儀式
天井の照明を落とされた茶色のホールは集まった男たちでざわめいていた。あちらこちらの床に置かれた炎から放たれる赤い光が大きく揺らめく男たちの影を四方の壁に映し出している。集まる男たちの数は増え続けていた。熱気が渦巻いていた。
ホールの中心に据えつけられた台の上では赤い髪の若者が忙しげに指示を出していた。男たちをかきわけながら台に向かってくる太めとガキどもを見つけた若者は、招くように手を振った。それを何かの合図と勘違いしたのか、男たちの一群が台ににじり寄り、太めとガキどもの行く先をふさいだ。
若者は両手を口に当て太めに向かった何か叫んだ。うなずいた太めは、ガキどもを素早くその場で整列させた。ガキどもが背中に抱えていた大きな鉄の板を手に持ち一列に並ぶと、自然に列の前が通路のように開く。ホールの入口に通じていた。
赤い髪の若者が入口に向かって両手を差し伸ばした。それをきっかけに太めに率いられたガキどもが手に持った鉄の板を打ち鳴らし始める。ガキどもの鳴らす音があっという間にホールのざわめきを飲み込んでいく。
乱れながらも一定の調子で鳴らされ続けるその音と合わせるような別の音が、入口の外から聞こえてきた。音は少しずつ大きくなってくる。
ふたりがかりで抱えさせた大きな箱を叩きながら赤い堀が入口から姿を現す。後ろに続く男たちの何人かは脇に抱えた箱を棒で叩いている。何かを詰めた箱を規則的に揺らしている男たちもいる。箱の角を凸凹とした鉄筋でこすっている男もいる。
赤い堀の手下たち、赤い男たちは、太めとガキどもが作った通路で彼らと対峙するように向かい合わせに並んだ。競い合うように音が強まっていく。呼応しあい重なり合う音と音とが、ざわついていた男たちを黙らせる。繰り返される音に合わせてホールに集まった男たちが身体を動かし始める。男たちの足音が響き出す。上下する頭が、うねりながら広がっていく。
まったく別の音が台の上から流れ出していた。長く伸びる高い音が、最初はかぼそく、徐々に力強く、ホールを満たしていく。ガキどもや赤い男たちの短く繰り返される音の隙間を埋め、バラバラだった音を結びつける。
音の元は赤い髪の若者が顔の前に突き出した長い楽器だった。若者は目を閉じ、全身でその金色に輝く楽器に息を吹き込んでいる。
上下に飛び跳ねる男たちの息遣いと足音に一体感が生まれだしていた。繰り返される音もますます熱を帯びていく。若者の楽器も細かい音を刻み始めていた。
男たちは熱狂し、叫び始めていた。もはやあらゆる音が渾然一体となり、一度は整っていた音が今度は徐々に入り混じっていく。男たちの叫びも絶叫に変わっていく。ホールの中は猛烈な音と、そして汗と燃える炎の匂いとに満たされていた。
天井の照明が明るく点灯した。その直後、照明が消える。床に置かれた炎もあらかじめ待機していた男たちの手で大きな容器で覆われた。
ホールは完全な暗闇の中、音と匂いと振動だけで満たされた。
その闇を裂くように鮮烈な光が一直線に伸びた。
汗塗れで飛び跳ねる男たちが歓声を上げた。
入口から何者かが隊列を組んで入場してくる。
元剣士たちだった。
元剣士たちはホール中央の台をめざして進んでいく。台の上では楽器を置き、片手に棒を持った赤い髪の若者が待ち構えていた。
元剣士の最初のひとりが台に上がった。
赤い髪の若者の片手の棒の先から大きな炎が上がった。若者はその棒を台に上がった元剣士に向けて突きつけた。元剣士は目の前の炎から一歩も退かなかった。瞳に燃え盛る炎が映っていた。
赤い髪の若者は炎をついた棒を元剣士の眼前から離した。そのまま顔を元剣士の耳に近づける。その耳に向かって何かを伝えた。元剣士は目を閉じた。
跳ね続ける男たちの叫びと動きが止まった。
目を開けた元剣士の目の前には赤い髪の若者ではなくマントのフードを深く被った男が立っていた。
マントの男は元剣士に何かを告げた。
元剣士はひざまずいた。
その肩に手を触れたマントの男が何かつぶやいた。次の瞬間、姿を消した。
驚きのあまり声も出さずにひざまずいたままの元剣士に、赤い髪の若者が細長い筒を渡した。元剣士は立ち上がり、赤い髪の若者に促されるまま、その筒に口をつけた。迷うように一口飲み、それから一気に中身の液体を飲み干した。
赤い髪の若者は剣を掲げ、元剣士に手渡した。元剣士は受け取った剣を片手に持ち、台の下で跳ねる男たちを見渡し、剣を天井に向け突き出した。
ホールは割れんばかりの怒号に包まれた。男たちが前より激しく飛び跳ね始めた。
元剣士たちは次々と壇上に上がり、突然姿を現し、突然姿を消すマントの男から何かを告げられ、赤い髪の若者の渡す液体を飲み干し、剣を受け取った。
最後の元剣士が台の上に上がった。片手の元剣士だった。
片手の元剣士は赤い髪の若者が突きつける炎に動じることはなかった。赤い髪の若者が精一杯背伸びして耳に何かを伝えようとするのを制する。赤い髪の若者が事前に何度もくどいほど伝えた段取りに従うつもりは最初から無かった。
片手の元剣士は、マントの男、地下世界の男たちに名前を与えるもの、ガキどもを率いる少年、その登場を目を閉じることなく待っていた。
何の兆しも無く虚空からマントの少年が姿を現した。
片手の元剣士は少年を見下ろした。
少年はそれまで取らなかったフードを外し、片手の元剣士を見上げた。
「あんたには名前を与える必要はない」
少年は元剣士を見上げて言った。
「なぜだ。貴様は我らに名前を与えるのではないのか」
元剣士は挑発するように言った。
「あんたは名前をとっくに持っている」
「どういうことだ?」
元剣士が眉を上げた。
「あんたも気付いてるはずだ。あんたは特別だ」
「そんなことは知ってる」
「だから、あんたはもう誰からも知られている」
「それがどうした」
「あんたの名前はとっくに決まってる」
少年は瞬きもせずに元剣士を見つめ、続けた。
「あんたは皆からあんたにしかない名前で思われてる。あんたはここではずっと前からそうだった。それが、あんたの名前だ。あんたのことはこれから誰もがその名前で呼ぶ。あんたが勝っても負けても、あんたは名前で語られる。あんたの名前が語り継がれる」
「永遠に?」
「それは『炎』が言ったことだ。永遠なんて無い。死んでからも覚えられているってだけの話だ。ただ、あんたに名前が無きゃ誰もあんたのことを覚えていられない。忘れるだけだ。オレがあんたに名前を付けたいんじゃないんだ。あんたが名前を欲している。だから、あんたに名前を与えよう」
少年は再びフードをかぶり、ひざまずけ、と告げた。
片手の元剣士はその巨体を少年の前でかがませ、頭を下げた。
少年は元剣士の肩に手を置いた。
「あんたの名前は『片手』だ」
次の瞬間、少年は消えた。
片手は赤い髪の若者から手渡された液体を一気に飲み干した。焼けるような熱さが喉を通り抜けていく。すぐに身体中がたぎり、力が、今までに感じたことの無い力がこみ上げてくる。
受け取った剣をすぐには突き上げなかった。片手は剣を自分の脇に軽く当て、ゆっくりと引いた。服が裂け、浅く切られた肌から剣の表面に血が滴り落ちる。片手は剣を顔の前に持ち上げ、そこについた自分の血を舐めた。
それから高く剣を突き上げ、吼えた。
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