梃子
崖沿いの廃墟の傍らには男たちが集まっていた。男たちの視線の中心では赤い髪の若者が大きな身振り手振りを交えながら声を上げている。若者の隣には鉄筋を曲げるあの男が目を閉じ腕組みをしていた。
話を終えた若者と男の足元に大きな箱が運ばれてきた。男は目を見開き、渡された短い二本の棒を受け取った。重さを確かめるかのように軽くその棒を振ってから周りを見回す。
男は棒を高く振り上げ、足元に置かれた箱を力強く叩いた。
それが合図だった。
走り出した男たちが廃墟の前で二手に分かれた。一方は廃墟の崖から遠い側に突き出た何本もの長い棒に群がる。もう一方は廃墟の上階から下ろされた無数の太い紐を掴み、それを引きながら建物から離れていく。
合図の音がまた鳴らされた。
男たちは咆哮とも叫びともつかない声で応答した。
長く突き出た棒に我先にと飛びついた男たちが体重をかけていく。力の込められた腕や肩の筋肉が隆起する。廃墟の根元に突き立てられた棒はそれでもピクリとも動かない。崖の側では、紐を引いた男たちがじりじりと後ずさりしていく。男たちが引く無数の紐はピンと伸びきっていた。
廃墟の壁からパラパラと細かなかけらが落ちた。
合図の音がさらに響き渡る。
大きな槌を持った男たちが数名、建物の根元に駆け寄った。あらかじめ打ち込んである鉄筋を大槌でさらに打ち込む。それに合わせて棒にぶら下がる男たちも、紐を引っ張る男たちも、ますます力を込めていく。男たちのこめかみにも腕にも首筋にも血管が浮かび上がっていた。
廃墟から落ちる瓦礫の数が増えてくる。何かが割れるような、軋むような音が聞こえてくる。
また、合図の音が轟いた。
歯を食いしばる男たちの口から唸りのような声が漏れてくる。
一瞬、廃墟が動いた。
その瞬間を見逃さず、長い棒が今度は棒の下に潜り込んだ男たちによって持ち上げられる。何本かの棒が接触している箇所がグザグザと崩れだす。すかさず、棒を抜き、別の場所に突っ込み、そのまま持ち上げる。
廃墟が大きく動き出した。
紐を引いている男たちがここぞとばかりに腿に力を込める。何本かの紐が外れ、引いていた男たちが背中から地面に倒れこむ。棒は次から次へと場所を変えて差し込まれ、持ち上げられ、その度ごとに廃墟が動いていく。
真っ直ぐだった廃墟が徐々に傾いていく。どこかから動きが早くなる。壁の一部が崩れ落ち、紐が外れる。
突然、廃墟に大きく亀裂が入った。そこから分かれるように倒れ出す。限界はもうすぐだ。壁の一部が地面に落ちていく。
音が鳴らされた。
限界を超えた廃墟は一気に崩壊した。大きな壁がそのままゆっくりと崖に向かって倒れ、遥か下の堀に向かって落ちていく。残された部分も見る見るうちに崩れていく。激しい音に続いて土煙が舞い上がった。
合図を送っていた男のあたりも土煙にまみれていた。
「ひどいな」
赤い髪の若者は服の裾で口と鼻を覆っていた。
合図を送り続けていた男は、赤い髪の若者には目もくれず崩れ落ちた廃墟に群がる男たちをじっと見つめていた。
「進み具合はどう?」
赤い髪の若者は布を取り出して目のあたりを拭いながら言った。
男はまた大きな箱を叩いた。廃墟から瓦礫を運び出す男たちが足を止め、男に向けてこぶしを突き上げる。男もそれに答える。
「ちょっと、聞いてんだけど」
赤い髪の若者はイライラしていた。
「名前は気に入っている」
男は若者を見もしなかった。
「はあ?」
若者は顔をゆがめた。
「死んだ後に何が残るとか残らないとか、そんなことはどうでもいい。死んだ後のことを考えるのは馬鹿げた話だ」
瓦礫を崖から落とした男たちは振り向き、男に手を振る。男もひとりひとりに手を振って答えている。
「名前が気に入ったのは、死んだ後がどうこうじゃない。それがオレだってことだ。オレは名前をもらった。オレには名前がある。だから、オレのことは名前で呼べ」
そう言うと男は顔を若者に向けた。
「わかったよ。赤い堀、あんたの手下の赤い男たちはそろそろ堀を埋められそうかい?」
若者は投げやりな感じだった。
赤い堀、と呼ばれた男は、また若者から目を逸らし、考え事でもしているかのように遠くを見つめた。
その視線の先には高く聳える宮殿の尖塔があった。
若者は赤い堀から顔をそむけ、小さく舌打ちをした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます