学校

 寄り道をしなければ配給所まではそれほど時間はかからない。

 居住区の他の建物とは明らかに異なった作りの建物に、少年は最近よく寄り道していた。おじさんはその建物のことを学校と呼んでいる。

 世界の中心へと真っ直ぐに伸びる大きい通りから脇に逸れる。高い廃墟に挟まれた細い路地を進む。朽ちかけた建物と建物を結ぶ橋、それもおじさんが言っていた、橋の下をいくつかくぐり抜ける。すると、ぽっかりと開けた場所がある。おじさんが学校と呼ぶ背の低い建物は、開けた場所の一角に、開けた場所を見下ろすように建っている。

 学校の中の部屋にははほとんど鍵がかかっていない。他の建物と同様に、鍵のかかっていない部屋にはだいたい何もない。ガランとしている。

 空っぽの部屋には目もくれずに階段を駆け上がり建物の奥をめざす。3階の突き当たりにある鍵のかかった部屋がめざす場所だ。

 もどかしげに鍵を開け、部屋に飛び込む。背の低い本棚と幾つかの小さな机、椅子。ここは少年にとって今、一番居心地のいい場所だった。

 おじさんからもらった鍵を使ってあちこちを探索し始めてすぐにここを見つけた。

 本棚に並ぶ僅かばかりの本は、少年が自分で見つけてきたものだ。おじさんの部屋でも図書館でもない場所にある本。おじさんからその存在は聞いていた。鍵のかかった部屋の棚の中にはたまにそういう本が落ちている。夢中で探した。見つけた本は、おじさんには渡さずこの部屋の本棚に並べている。まだあまり並んでいない。いつか、おじさんの部屋に並ぶ本、とまではいかなくとも、本棚の一段を埋めるぐらいは集めたいと思っていた。

 お気に入りの一冊を取り出し、椅子に座る。

 少し年上に見える男たちが写った写真ばかりが並んでいる。文字はほとんど書かれていない。写真の下には意味の分からない数字と文字。ちゃんと読める内容のある文章はその本の中には見当たらない。

 本棚の本はどれも何度も読み返していた。特に最初に見つけたこの本は、どのページにどんな写真が載っているのか覚えてしまうほど見返している。

 男たちは誰も彼もが驚くほど似ていた。同じ服を着ている写真では、ひとりひとりの区別がつかないほどだ。髪の毛が特徴的だった。居住区の男たちは肩ぐらいまで、もしくは、それ以上の長さに髪を伸ばし、気が向いた時に料理用のナイフで自分でばっさりと切る。写真の男たちは耳が出るぐらいまでの長さに短く髪を整えている。

 この本に魅せられた最大の理由はその髪型だ。

 おじさんと少年は、この写真の男たちと同じ髪型だった。

 少年の髪が伸びるとおじさんが鋏で切ってくれる。おじさんの髪は少年が鋏を使って切る。自分がいつからおじさんの髪を切っているのか少年は覚えていない。思い出せないぐらい前から、おじさんの髪の毛をずっと切り続けている。

 ひとりで外に出る時は絶対にフードを外すなとおじさんに言われ続けている。フードを被っていると臆病者のように見えることを少年は気にしていた。自分はそうじゃないのに。

 もしかすると、おじさんはこの写真の男たちのことも知っているのだろうか。

 学校の中にはもうひとつ、本棚のあるこの部屋と同じぐらいのお気に入りの部屋がある。

 楽器のある部屋だ。

 学校の中を探索した少年は、地下の楽器庫にあるのと同じような楽器のある部屋を見つけていた。

 おじさんと一緒に初めて図書館を訪れた日、通り過ぎた楽器庫で目にした楽器たち。それから何度も図書館に行った。その度に必ず目にするあの楽器たち。いつか触れてみたいと思いながらも、目もくれないおじさんと一緒だと、どうしても言い出せなかった。宮殿の図書館ではおじさんと離れて楽器について書かれた本を探し続けている。図書館のどこにそんな本があるのか。闇雲に探すには広過ぎる。膨大な本に打ちのめされそうになる。探したい本を見つけるのは至難の業だ。途方もなく高い本棚も少年を悩ませた。おじさんは図書館に行くと少年のことなどかまわず本を探しに行ってしまう。届かない高さの本棚からどうやって本を取り出すのか、そのやり方はまだ教えてもらっていない。

 本当のところ、楽器庫を通過する時に間違えたふりをして触れてみたことがある。艶のある大きな黒い背の高い三本足の、テーブルとしては背が高過ぎる楽器。黒い表面にただ触るだけでは何も起こらなかった。失望はしなかった。むしろ、楽器というものの正体を知る日への期待がますます膨らんでいった。

 学校で見つけた楽器は楽器庫の棚に置いてある楽器と似ている。少年がなんとか抱えられるほどの大きさで、光沢のある赤い表面が金属で縁取りされている。片方には白と黒の細長い四角が、反対側には丸いボタンが整然と並んでいた。

 楽器からは音が出てくる、おじさんからそれだけは聞いている。

 居住区の中では大きな音を出すことは禁物だ、おじさんはそうも言っていた。

 どうして居住区では音が、音楽が禁じられているのか、その理由は聞いていない。

 少年は何度か楽器の白い四角やボタンを押してみた。音は出ない。楽器庫にはこれとほとんど同じものが置いてある。これは間違いなく楽器だ。

 でも、どうやったら音が出るのだろう。

 男たちの写真を見ながら考えているのは楽器のことばかり。

 本を閉じ、棚に戻す。

 少し長居をしてしまった。

 少年は鞄をつかみ、部屋を出た。

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