マント
小さく聞こえ続けていた音が変わり、ずっと感じていた細かい振動が消えた。壁のひとつが明るくなった。
「よし、到着だ」
明るくなった壁が上がりきるのを待たずに、おじさんと少年は動く部屋を出た。
「ここにはまだ警備はいないはずだ。だが、念のためだ。なるべく静かに進む。ついて来い」
少年は後ろで閉まる壁のことが気になっていた。
「大丈夫だ。帰りにはまたこれに乗る」
気軽な、まるですぐ近くに出かけているような、そんな口調だった。
ここはそんなに近いのだろうか。
そもそも、ここはどこなんだろう。
「このマントには色々と機能がある。まずはフードをかぶってみろ」
おじさんは少年のことを心配する風でもなかった。
おじさんに言われるままにフードを深くかぶった。
一度試した時と同じだ。世界から音が消える。自分の音すら聞こえない。
さっきは驚きすぎて分かっていなかったが、このフードは周りの音という音を全て消し去ってしまうらしい。今度はよく分かった。
おじさんがフードを外す仕草をしてみせた。
少年はフードを外す。周りの音が戻ってきた。
「このマントは音を吸い込む。外の音だけでなく、自分が立てる音もだ。このマントを着ていると足音はほとんど周りに聞こえなくなる。もちろん、外の音も聞こえなくなるから、フードを被ると今のように私の声も聞こえなくなる。だが、袖にあるこのボタンを押すと、私の声は聞こえるようになる。よく分からないだろう。とりあえず試してみよう。もう一度フードをかぶってみろ」
少年はフードをかぶった。おじさんもフードを被る。それからおじさんは腕を上げ、少年に見せるようにマントの袖にあるボタンを押した。見よう見まねで少年も袖のボタンを押してみた。
「どうだ、聞こえるか」
おじさんの声が耳元からはっきりと聞こえてきた。
「聞こえた」
「私にも聞こえた。次は胸元のボタンだ。これだ。押してみろ」
少年はおじさんに示されたボタンを押してみた。特に何も変化は感じられなかった。
「もう一度押してみろ」
言われるがままにボタンを押した。やはり、何も変化は起きない。
少年は拍子抜けしていた。
「次は私が押してみるからな。よく見ていろ」
おじさんが消えた。
まったく不意に、目の前にいたはずのおじさんが消えてしまった。
おじさんがいたはずの場所には何もない。見えるのは通路の壁だけだ。
と、次の瞬間、おじさんの姿が現れた。
「胸元のボタンを押すと姿が消える」
そう言うとおじさんはまた姿を消した。
現れた。
「わかったか?」
少年はぽかんと口を開けていた。驚き過ぎて言葉が出なかった。
「このボタンは私が言うまで気軽に触るな。いいな。ボタンを押して消えてしまうと私からも見えなくなってしまう。それは困る。使うのはよほどの時だけだ。わかったな」
少年は出しかけた言葉を飲み込んだ。何故消えるのか聞いたところで分かるはずがない。多分、聞いてもしょうがない、それが少年にはよく分かった。
「よし、分かったな。では、フードを被ろう。図書館まではもうすぐだ。袖のスイッチを忘れるな」
音の無い状態がこれほど不安なものだったことを少年は初めて知った。まったくの無音の中、前を歩くおじさんに遅れないように歩くだけで精一杯だった。
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