廃墟

 おじさんと少年の暮らす部屋は居住区の中でも中心から遠く離れたところにあった。配給所までは少年の足では随分とかかる。あたりには崩れかけの廃墟ばかりが立ち並んでいる。

 少年の知る限り、このあたりで暮しているのは、おじさんと少年だけだ。臆病者と呼ばれこそこそと隠れて過ごす男たちの姿すら見かけない。

 おじさんはたまに少年と一緒に近所の廃墟を掘り起こす。おじさんはいつも何かを探していた。何を探しているのか、少年にはよくわからない。おじさんが瓦礫の中から何かを見つけている様子もほとんどない。

 おじさんは、ごくたまに、少年に行き先を告げずに出かけることがある。しばらく帰ってこない。少年が退屈し始めた頃、おじさんはふらっと帰ってくる。帰ってきてからも、どこに行っていたのかを少年に言うことはない。 あちこち歩き回っているのは、例えば部屋の何かを修繕するための道具であったり部品であったり、そういうものを探すためらしい。おじさんが帰ってきてからしばらくして、少年は部屋の何かが増えているのに気がつくことがある。見たことのあるような無いような、少年には使い道のよく分からないものばかりだ。触っても怒られることはない。おじさんが説明してくれることもない。




 配給所から戻った少年は、建物の前で立ち止まった。建物に入る前に周りを確認するようおじさんに言いつけられていた。建物に入るところを誰かに見られるな、おじさんはそう言った。もし誰かがいたら建物の入口を通り過ぎ、角を曲がって裏に回って、そこでも誰かに見られていないか確認してから建物の中に入れ、おじさんはそこまで言う。

 実際には、このあたりで他人を見かけることなど無い。だから、少年はいつもざっとあたりを見回したらすぐに建物の中に入っている。

 今日は、物音がした。物音がした気がした。

 少年は動きを止めた。向かいの廃墟から聞こえてきた、ような気がする。

 少年は息を潜めて音を探った。

 何も聞こえない。

 なるべく足音を立てずに建物の前から少しだけ移動した。人影が見えたら迷わず走り出すつもりだった。

 世界を覆う丸天井からは様々な音が跳ね返ってくる。このあたりは静かだとは言っても居住区を常に満たす喧騒と無縁ではない。遥か彼方、衛兵たちの区画からは隊列の行進に合わせたかけ声がかすかに聞こえてきた。

 さっき聞こえた音はそれとはまったく別だ。上からではなく、地上からの音だ。あの、目の前にある廃墟の瓦礫のあたりから聞こえてきた音だ。

 音のした方向から視線を動かさずに歩き続ける。早くこの場を離れたい。

 地上の世界には人間以外の生き物がいたとおじさんは言っていた。人間より小さな生き物も、大きな生き物も、空を飛ぶ生き物や水の中を泳ぐ生き物もいた、そうおじさんは言う。今は、どれもいない。地上から人類が滅亡したのとほとんど同じタイミングで生き物たちも姿を消した。人間が食べ尽くしたからだと、おじさんは言った。でも、それならどうして人間は人間を食べなかったのか、人間だけがこの居住区に生き残ったのはなぜなのか、少年にはそれが不思議だった。

 居住区には人間以外の生き物はいない。だから、物音がするということは誰か、この居住区で暮らす男たちの誰かがいるということだ。

 また、何か聞こえた。

 ごく小さな、軽い、足音のような、近いのか遠いのか判然としない、それでいていつも聞き慣れている普通の足音とは違う響きの混ざった音が、どこかから、いや、あの廃墟のほうから確かに聞こえてきた。音はゆっくりと遠ざかっていく。何かを踏んだ音が混じった。乾いた音ではなく、何か、よく分からない。

 そして、また消えた。

 丸天井からの喧騒が少年の集中を妨げた。これ以上はどうにも集中できそうにもない。辺りを見回した。人影は無い。肩をすくめ建物の中になるべく静かに入っていく。

 宮殿からの光はまだ赤く染まっていない。

 居住区はまだ夕方にはなっていない。

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