第一章 おじさん

部屋

 おじさんが言うには、世界が滅びた理由はジンコウのゲンショーなのだそうだ。

 部屋は薄暗く埃に満ちていた。壁の本棚はおびただしい数の書物で埋め尽くされている。収まりきらない書物が床のあちこちに無雑作に積まれ、机の上にも重ねられている。

 机の前の椅子に腰掛けたおじさんは、開いた本から目を離さずに話し続けていた。

「高収穫性の穀物の導入がきっかけとなったのだ。食糧事情が解決することで人々は無益な争いから解放され、世界は平和を獲得した」

 少年はおとなしく椅子に腰掛け、いつものようにおじさんの話を聞いていた。

「それ以前の世紀に伝染病は解決していた。医学と栄養学の進歩によって人類の寿命は飛躍的に延びていた。そういう下地があった上で、食料の心配も争いもなくなった世界で、皮肉にもそれでも人口は減り続けた」

「ジンコウ?」

 痩せて血色の悪い少年は首をかしげた。その言葉はおじさんから何度か聞いている。けれど、どうしてもよくわからなかった。いや、本当のことを言うとおじさんの言っていることのほとんどがわからない。

 少年は退屈していた。

 おじさんは顔をあげ、少年がそこにいたことにたった今気が付いたかのような表情を見せた。

「そうだ、世界の人口が減少した。つまり……、そうだ、急激に減った、ということだ。労働力と生産力の問題が解決したにも関わらず」

 やっぱりおじさんの言ってることはわからない。

 窓からは時を告げる赤い光がさしこんでいた。光は宮殿の尖塔からやってくる。部屋の中の埃が長く伸びた光に照らし出され、キラキラと輝いていた。

「しかし、世界は再び暗黒の時代を迎える。高収穫性の穀物を襲った原因不明の疫病だ。穀物は収穫を前に一斉に枯れだした。為す術はない。あらゆる栽培方法が試された。が、穀物は種としての寿命を終えたかのように枯れ続けた。種子は発芽せず、培養された組織は腐敗した。備蓄されていた食糧が底をつく前に、失われたと考えられていた争いが、生存のための壮絶な争いが始まった」

 熱弁は終わりそうにもなかった。

 椅子に座った少年の足は、まだ床まで届かない。痩せ細った足をぶらつかせながら、それでも少年は我慢強くおじさんの話を聞いていた。おじさんの話は嫌いじゃない。滅亡した世界の不思議な話を聞くのは面白い。けれど、分からない時はずっと分からない。

 だいぶ前の話だ。おじさんが本棚の中から文字ばかりじゃない本を取り出し、見せてくれたことがある。鮮やかな色の「ムシ」が並んでいた。滅亡した世界に沢山いたという指よりも小さな生き物だ。

 今はいない。この世界には人間しかいない。赤い堀の外側の居住区には男たちしかいない。赤い堀の内側には剣士たちと衛兵がいる。世界の真ん中にそびえる宮殿には審査員のおばさんたちと山羊女がいる。山羊女は宮殿にひとりで暮している。

 宮殿の尖塔からの赤い光が弱くなってきた。いい加減、食事を済ませてしまわないと世界が夜になってしまう。

 いつまで経ってもぶつぶつ言いながら本を読み続けるおじさんに食事のことを聞くのは気が引けた。少年はそっと椅子から降りようとした。

「お、こんな時間か」

 おじさんがようやく赤い光に気づいたようだ。本を閉じ、ゆっくりと立ち上がる。おじさんの背丈は少年の倍近くある。居住区の他の男たちと比べて極端に大きいというわけではない。少年が小さいのだ。

 少年はキッチンに向かうおじさんの後についていった。おじさんはやかんに水を入れ、コンロにかけた。戸棚からカップを取り出し、スープの素を入れる。沸いたお湯を注ぐと食欲をそそる匂いが漂ってきた。

 おじさんは床に無造作に置かれたカバンからパンと袋に入った肉を取り出し、テーブルに置いた。スープを一口飲み、袋を開ける。中身の肉を平たい皿に載せた。パンにかじりつき、フォークで肉を口に運ぶ。

 簡素な食事はあっという間に終わる。皿を片付けるのは少年の仕事だ。

 食器を洗う少年の背中から、おじさんがまた声に出して本を読んでいるのが聞こえた。世界の終わりと失われた食べ物たち。滅亡した世界にはどんな食べものがあったのだろうか。そんなことを考えているのは楽しい。滅亡した世界ではどんなものを食べていたのだろうか。

 山羊女の宮殿で鳴る夜を告げる鐘の音が世界の丸い天井に反響していた。明日は配給所に行って食料を持ってこないと。少年はふと、その食料はどこから来ているのか考えてみた。いつかおじさんに聞いてみよう。聞きたいことは溜まっている。おじさんは教えてくれるだろうか。それとも教えてくれないのだろうか。そう思うと、なぜか悲しくなる。

 鐘の音が徐々に消えていく。丸天井を照らす明かりも落とされていく。

 居住区は夜を迎えようとしていた。

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