山羊女
澄川三郎
プロローグ
プロローグ
急激な人口の減少により農業労働従事者は激減した。失われた労働力を補うために人類が選んだのは食料生産を高効率化するという道だった。
高収穫性の穀物の発達は、世界にかつてない安定と繁栄をもたらす。皮肉なことにそれでも止まらぬ人口減少の中、人類は穏やかな衰退の時代を過ごしていた。
しかし、何の前触れもなく一斉に穀物が枯れ出した。為す術はなかった。安定と平和、そして衰退。黄昏の光芒を放ち続けた退屈で豊かな時代は脆くも崩れ去った。
穀物の種子を独占的に扱っていた巨大食料商社は、タブーとされていた人体への直接的な遺伝子操作とクローン技術による複製技術を密かに解禁した。秘密裏に建設された深地下の施設には、まだ生き延びていたわずかな数の科学者が世界中でかき集められ、悪魔の所業とも神の所業ともつかぬ研究が進められていた。
地上では過去の遺物として捨て去られたはずの国境や国家が復活し、人類は再び分断の時代に突入した。もはや衰退が止められないことは明らかであるにも関わらず指導者たちは頑なにその事実を認めようとはしない。わずかな食料の奪い合いによる殺戮が日常となった世界の光景は、過去の人類が思い描いた地獄、もしくは最後の審判そのものだったのだろうか。
争いに暮れる人類が地上を紅蓮の炎に包まんとしていたまさにその頃、地下深くの秘密施設では科学者たちによって遺伝子に操作を加えられた小さな命が生まれた。人間には消化できないセルロース(植物繊維)を山羊のように消化吸収できる腸を持つ少女は食糧不足解消の切り札と期待され誰からともなく「山羊女」と呼ばれることとなる。科学者たちは山羊女の卵子を使用してセルロースを分解する腸を持つ男、山羊男を複製する実験を繰り返す。しかし、山羊女の遺伝子は男性にはまったく受け継がれない。
はたして山羊男は生まれるのか。
争いの続く地上から隔絶された地下に、世界中の種子や植物の標本とともに山羊女の遺伝子を受け継ぐ施設が作られた。科学者たちは施設を永続させるために謎めいた儀式とその儀式を支える制度を用意した。目的や理由を問わぬ儀式であれば本来の目的を忘れたとしても、残された人々に長く受け継がれるはずだ。それが彼らの思惑だ。
長い時間が過ぎた。
設備の多くが朽ち果てた。しかし、科学者たちのもくろみ通り、目的を忘れられた儀式は連綿と受け継がれていた。
山羊男は、まだ生まれていない。
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