愛しき此の日に、祝福を
【おもちゃ箱】 【アンインストール】 【六年前のあの日】 <太陽>
いつかの話をしよう。
なに、なんのことはない昔話だ、どうか構えずに聞いて欲しい。
幼い頃の僕は、誰の目から見てもどうしようもない奴だった。
聞き分けがなかったのかといえば、その通り、聞き分けはなかった。親は随分と難儀した事だと思うよ。
でも、どうしようもないというのは、そういう意味じゃない。
手の付けようがなかったと言えば、伝わるかな?
より正確には、手の施しようがなかった。
……そうだ、僕はひどく病弱だった。
よく熱を出して寝込んだし、何度も生死の境をさまよった。僕が倒れるたび、お医者様は決まって首を横に振ったそうだ。
そのくらい、ダメな奴だった。
病弱で、虚弱で、なによりも弱虫だった僕には、友達がいなかった。
うん、そうだね、この言い方は語弊がある。
僕には友達を作る勇気がなかった。
もちろん、その機会もなかったけれどね、大事なのは、僕は他人が怖くて仕方なかったという点だ。
怖くて、羨ましかった。
元気に外を走り回れる僕と同じくらいの年の彼らが、好きにお菓子を買って貰えて、泣いて笑って人生を楽しんでいる彼らが、僕はとてもうらやましかった。
羨ましくて、憎かった。
……そう、僕はやはり、手が付けようがない奴だった。
その性根は、こんなにもネジくれていたのだからね。
あのころの僕の趣味は読書だった。
それだけが僕に与えられた娯楽だった。TV? ゲーム? 親はよくないものだと言って、僕にそれをくれやしなかったさ。
僕の日々は、暗鬱として、地獄のような……緩慢に死に向かうだけで、絶望的な日々だった。
そう……彼女が現れるまでは。
彼女の話をしよう。
幼い僕の前に、とつぜん現れた彼女。
彼女はいわゆる余所者だった。
家族の転勤とやらで、引っ越してきた余所者だった。
僕の家にあいさつをしに来た彼女は、さて、僕に対していきなりなんと言ったと思う?
「あんた、あたしの手下になりなさい!」
こうだよ。
笑ってしまうよね?
居丈高に構えて、偉そうに、傲慢に、彼女は僕にそう言い放ったのさ。
……ああ、それが、契機だった。
それが、僕にとって、掛け替えのない言葉だった。
僕は、その日から変った。
正確には、変えられていったんだ。
彼女は毎日のように僕のもとへ顔を出した。
そして、僕を遊びへと誘った。
出来ないと言ったさ、そんな体力も気力も、ついでにいえば義理もないってね。
でも彼女は諦めなかった。
毎日毎日、僕を遊びに誘いに来る。
いま思えば、それは外交的なものだったんだろう。
少し難しい概念かな……でも、すごく簡単だ。
見知らぬ土地で自分の足場を固めようとした彼女は、取り入りやすそうな僕を選んだと、それだけの話だ。
そんなものに付き合う道理は僕にはなかった。
なかったよ。
でも……
彼女は、本当に毎日、僕に顔を見せに来たんだ。
晴れの日も、雨の日も、風が吹く日も、雪が積もっても。
彼女は僕と、遊びたいと言い続けた。
僕は、根負けしたんだ。
そんなに言うのなら、少しくらい、ほんの少しぐらいは付き合ってもいいかって。
だから僕は言った、じゃんけんで勝てたのなら、散歩に行ってあげるよって。
……結論から言おう。
僕はじゃんけんに負けた。
そして散歩は、大冒険へと変わってしまった。
彼女に引きずられるまま家を飛び出し、野山の一面を駆け巡らせられた僕は、とても疲れ果ててしまった。
疲れて、苦しくて、涙が出そうで。
……ほんとうに楽しくて、涙が出そうだった。
たぶんあのとき、僕は初めて誰かと〝遊ぶ〟ことが出来たんだ。
誰かを、他人を、近くに感じることができたんだ。
へとへとになって、近所の空き地に大の字になって倒れる僕を見おろし、彼女は微笑んでこう言った。
「あしたも、また遊びましょ!」
…………。
あのとき、差しのべられたその手が、その笑みが、僕にとってどれほど眩しいものだったか。
暗闇の中に引籠り、影の中で生きてきた僕に射し込んだかすかな光。
それがどれほど眩しいものだったか、きっと彼女は知らないままだったろうね。
でも、あれがきっとそれだった。
いけとしいきるすべてのものに必要な、暖かな輝き。彼女が僕に与えてくれたのは、きっとそれだったんだ。
それからの日々は怒涛だったよ。
遊んだ、僕は毎日遊んだ、僕らは毎日遊びほうけた。
もちろん無理は出来やしない。すぐに限界は来る。
それでも少しずつ、僕が遊んでいられる時間は増えていった。
彼女が教えてくれる遊びは、どれも魅力的で、すべてが初めて経験することだった。
泥団子をこねることも、石垣の上をおっかなびっくり歩くのも、山々を散策するのも、一緒におままごとをしたりするのも、本当に料理を作るのも、なにもかもが、素敵なことだった。
それはね、たぶん、きみにとってのおもちゃ箱のようなものだったんだ。
どれもこれもが、世界のすべてが、僕らにとってはおもちゃだったんだよ。
夏の日、小川の冷たい水に、火照った肌をさらす喜び。
秋の日、暮れゆく太陽を眺め、移り変わる星空へ焦がれる歓び。
冬の日、雪の冷たさに驚き、ゆきだるまをこしらえ、ともに笑い合う悦び。
そして春の日。
僕らに訪れたのは、だけれど慶びではなく、別れだった。
彼女は転校するのだと言った。
やはり親の都合で、場所をうつるのだと。
もう、会えないのだと。
彼女は、その日まで見せていた笑顔が全てうそになるような、哀しそうな顔で、今にも泣き出しそうな顔で、そう言ったんだ。
僕はそれにどう答えたかといえば、残念ながらなにも答えなかった。
何度も言うが、僕はひねくれものだったし、ろくでもないやつだったから、気の利いた言葉なんて口に出来なかった。
それどころか自分の事ばかり考えていたよ。
もう、彼女とは遊べないんだと。
ひどい裏切りだと。
そう思っていた。
だから、彼女といざ別れる日になっても、僕はなにもできなかった。
ほんとうにどうしようもない奴だ、自分でもそう思う。
気の利いた別れの品なんて用意できなかった。
笑顔で見送ることもできなかった。
お礼を言う、そんな簡単なことすら思いつかなかった。
船に乗り、旅立つ時、彼女は本当に沈鬱な表情を浮かべていた。
だから、これだけは僕は、僕を褒めてやりたいんだ。
「また、会えるよね!?」
僕は叫んだ。
生まれて初めて、あんな大声は出した。
なにかに衝き動かされるように、僕は彼女に願っていたんだ。
……ああ、そして。
そして僕は、その瞬間、その一瞬を忘れやしない。
「あたりまえよ!」
弾かれたように顔を上げた彼女は、確かにそう言ってくれた。
花が咲いたような顔で、彼女は笑ったんだ。
それから、僕は少し、前向きになった。
努力というものを覚えた。
相変わらず身体は弱かったけれど、それに甘んじないことにした。
なにせ彼女は、とても優秀な人間だったんだ。あんなにも非の打ちどころがない……とは言えないが、才気にあふれた存在はいないと、いまでも僕は思っている。
だから、再会できたとき、彼女に劣らない人間に、せめて彼女の〝手下〟であれるぐらいには力のある人間になりたかったんだ。僕の主殿に泥を塗らないような奴になりたかったのさ。
だから、頑張ったよ。
必死でやった。
病弱な僕は学校もほとんど通えていなかったから、そりゃあ大変な道のりだった。
運動も下手だったね。でも、彼女のおかげで、動けるようにはなっていたんだ。
僕は走り続けた。
歩くような速度で、だけれど確かに走り抜けた。
そうして、あの日。
きみにとっても記念日である、あの日。
僕は、彼女と再会した。
学校から帰ったら、ポストに一通の手紙が入っていたんだよ。
『あの場所で待ってる』
……そのとき僕が何を思ったかって?
もし僕の脳髄が、機械仕掛けの正確さを持っていたのなら、とっくの昔にそれをアンインストールしていただろうね。
なにせ「会うのが怖い、逃げ出してやろう」と、そう思ったんだから。
いや、笑い話じゃない。あのころ僕は、まだまだ未熟にもほどがあって、とても合わせられる顔なんてなかったんだよ。
うん……でも、そうだね、これは笑い話なんだ。
きみが将来そうするように、僕らがきみへと贈る、微笑ましい過日の笑い話。
そうだ、これはそういう話なのさ。
話しを戻そう。
あの場所がどこか、僕にはすぐわかったよ。
でも、先に言った通りの理由で、行くのは随分遅れた。
だけど。
それでも、彼女は。
僕を、待っていてくれた。
「やあ」
「ひさしぶり」
最初に出てきた言葉なんて、会話なんてそんなものだった。ドラマティックな事なんて一つもない、ロマンチズムの欠片もないそんなものさ。
なにせ、僕は彼女が戻ってきた理由をそのとき知らなかったし、気付けるはずもなかった。鈍感だったから、察しすることなんてできなかったさ。その状態にある乙女の行動力なんて、慮外の限りだよ。
ただね。ただ、懐かしさがあふれてきたんだ。
そして、それは彼女もおんなじだった。
泣いたんだよ、彼女は。
微笑みながら、ぽろぽろとね。
だから、僕は言ったのさ。
ありったけの、勇気を振り絞って。
「お願いだ、僕の主殿。あなたを、僕だけの――」
……おっと、もうこんな時間だ。
そろそろ彼女も帰ってくるだろう。
そうしたら、みんなで料理を作ろう。いつか僕らがそうしたように、今度は君と一緒に料理を。
きみのための料理を。
…………。
ああ、そうそう。肝心のこの言葉を、きみに贈るのを忘れていたね。
やさしいきみ。
僕らのもとへ来てくれた希望。
神さまがくれた最高のギフト。
愛する我が子よ――
「6歳の誕生日、おめでとう」
ああ、ドアの開く音がする。
彼女が――きみのお母さんが、帰ってきた。
新訳にごたん短編集(雪車町地蔵) 雪車町地蔵@カクヨムコン9特別賞受賞 @aoi-ringo
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