新訳にごたん短編集(雪車町地蔵)

雪車町地蔵@カクヨムコン9特別賞受賞

第38回にごたん参加作品 【ストレイシープVSブラックスワン】

今回のお題――【アバンタイトル】【迷える子羊】【ライバルと手を結ぶ日】【料理】

【ストレイシープVSブラックスワン】

今回のお題――【アバンタイトル】【迷える子羊】【ライバルと手を結ぶ日】【料理】






 しらしらと雪が降っている。

 結晶が肉眼で見えるような、大きな雪だ。

 水の結晶は、うつくしい音色を聴くと、まるでこたえるかのように美しい紋様を描くという。

 振動の美醜が、結晶の美醜に置換されるのだ。

 これは、とても神秘的で、そして夢のようなお話。

 つまり――まるで愛と希望の物語のような――



††



【ストレイシープVSブラックスワン】



††



 息を吐き出す。白く凍る。

 この国の西の果て、南国に位置するこの街も、今日ばかりは雪化粧を帯びている。


「デコレーションケーキみたい」


 隣で彼女はそんなことを口にする。

 彼女は何者だろう?

 フルフェイスのヘルミットで顔を覆い、ライダースーツで身を包む。

 赤いマフラーは寒風になびき、小さな翼のように羽ばたいている。

 その各所に、黒い白鳥――ありえないものの象徴が刺繍されて踊っている。


「何者かって言えば、正義の味方なのだけど」


 なんだよ、あたしの名乗り、聴いてなかったのかよと、呆れたように彼女が言う。

 そうだった。

 彼女は正義の味方だ。

 お人好しの、正義の味方。


「そう、決して正義のそのものにはなれない、哀れな正義の味方よ。……じゃあ、ひるがえってあんたは何者かしら?」


 僕が何者か、それはひどく哲学的な問いかけだけれど、この場合は本当に簡単に答えが導き出される。

 僕は、悪人だ。

 罪を犯す、どうしようもない悪党だ。


「その悪党が、いま何をしているの?」


 彼女の問いかけに、僕はポーッと視線を落とす。

 空から落ちる雪を、そのまま辿るように。

 地面に落ちた雪は、嗚呼という間に赤く染まり、そして溶けた。

 僕の腹部から滴る血潮が、雪を、うつくしい雪を、溶かしてしまっていた。


「さながらベリーソース。あたし的には美味しい展開だけに」


 そうだろうね。

 きみにとって、悪人である僕が死ぬのは、とても愉快な、痛快な、これ以上ない善幸ぜんこうとして受け取られる展開に違いない。

 僕はそれだけ悪いことをしてきたのだから、当然の事だ。

 でも――


「そうよね? あんたは、いつまでも立ち止まってはいない。例え死が近くにあっても……既に死んでしまっているのだとしても」


 ……そうだね。

 その通りだよ。

 僕は、もう立ち止まることはないんだ。

 見る。

 世界の中心を。

 この街の真ん中で、それはいまも暴れている。

 虚神キョジン

 全長は8メートルほどもある、世界を侵すバケモノ。彼の者に殺され、食われたものは、魂の安寧すら消失し、永遠にこの世を迷うことになる。

 いまも、多くの建造物が破壊され、そしてその下で無辜の民たちが悲鳴を上げている。

 助けてと、叫んでいる。

 それでも彼女は動かない。

 ……いや、動けない。

 つい最前まで、あれと激戦を繰り広げていたのは彼女だ。彼女だけがあれを押しとどめていた。正義の味方の名は伊達ではない。

 彼女は、闘い続けてきたのだ。

 しかし、だからこそ、いまは動けない。


「はぁ……休んでる間に、随分と仲間が死んだわね。べつに、仲間だって思ったことはないけど、死人には敬意を払うわ。あいつら、いまは仲間よ。志なんて違うけど、たぶん」


 確かに、この世界には正義の味方がたくさんいた。

 たくさん。

 たくさんいた。

 でも、


 ――いまはひとりだ。


「……そうね、あたししか残ってない。ありえべかざる《ブラックスワン》と呼ばれたあたししか。でも、でもね。あたしは不可能を可能にする人間だし、なんとかなるわよ」


 絶対、大丈夫だと。

 彼女は無根拠に、そんな事を言う。

 だけれど、その背中からは。

 その、赤いマフラーをその色に染め上げたのは――


「これさあ、ほんとは訊くつもり、なかったんだけど」


 急に彼女が砕けた口調になって僕に尋ねてくる。


「ずっと不思議だったのよ。ずっと、子どもの時から不思議だった。でもそれはさぁ、やっぱり聞いちゃいけない事なんだって知ってた。そりゃ解るよ、あたしにだって解かる。でも。この機会を逃したらたぶん次はないよね? だから訊くよ――」


 あんたはどうして


?」


「――――」


 答えなど、決まっている。

 それは、許されないからだ。赦されてはならないからだ。僕がいままで積み上げてきた犠牲が、この足が踏み台にして、未だ燃え盛る彼ら彼女らの魂とその血が、僕を許さないからだ。

 無駄にしてはならない。

 そのいのちを、魂を、覚悟を、犠牲を!

 だから――!


「もう少しだけ、僕の心臓は疾駆する」


 ドクン。

 心臓が脈打った。

 血が噴き出す。

 立ち上がる。

 僕は。

 僕は――虚神に向かって走り出した。


「そうこなくっちゃ!」


 嬉しそうに声を上げ、ブラックスワンが僕の後に続く――



††



 ……もし、彼を英雄と呼んだのなら、あなたたちは笑うだろうか?

 半世紀、たった独り、虚神と戦い続けたひとりの愚かな男のことを、英雄と呼んだら、笑うだろうか?

 彼は、決して自分をそうだとは認めなかった。

 たぐいまれなる身体能力と、常軌を逸した精神力。

 それを備えてなお、虚神を倒すことは難しい。いや、不可能だと言って間違いではない。

 化け物を倒し得るのは、また化け物のみ。

 人間の魂を喰らうバケモノを倒すのは、人間の魂を糧に主機エンジンを回すことができる改造人間ただひとりだった。

 そうだ、彼はつくられた存在だった。

 元は平凡な男だったのかもしれない。

 初めから飛び抜けていたのかもしれない。

 だけれど、あるとき虚神が現れて、それに抗うために人類は捉え、改造した。

 化け物に、変えた。

 以来、彼は人の命を貪らなければ生きていけない身体になった。

 彼を優秀な兵器としてたたえる一方で、人々は彼を悪魔だと蔑んだ。

 おぞましい怪物だと。

 彼はいつしか、守るべき人々から石を投げられる存在になっていた。

 それでも彼は戦った。

 ……彼のことを、英雄と呼んだらあなたたちは笑うだろうか?

 それとも、石を投げるのだろうか?

 だけれど、あたしは。

 この、ありえべかざる黒鳥は――


「ブラックスワン、上だ!」


 怒声を受けて、ハッとあたしは我に返る。

 バク転を繰り返し、その場から逃げる。

 轟音。

 一瞬前まであたしがいた位置を、巨大な拳が粉砕していた。

 冗談ではない、あんなものをまともに喰らったら即死だ。

 冷や汗をぬぐおうとして、ヘルメットをしていることに気が付く。


「いけるか、ブラックスワン?」


 問われて苦笑し、ファイティングポーズをとる。それだけで背中の痛みは、失神しそうな痛みを発するけれど、関係ない。

 このひとと戦っているという、それだけで、あたしには力が湧いてくるのだから。


「もちのろん! こんなやつ、ささっと料理して次はあんたを倒してやるわよ!」

「解った。いまだけ共闘だ。同時攻撃する、呼吸を合わせてくれ」


 あたしの軽口に生真面目に答えて、彼が大きく空中へ跳躍する。

 あたしも逆サイドに、まるで対象のラインを描くように飛びあがる。

 あたしの名前はブラックスワン。

 空へ上るのは、あたしの方が得意だ!

 トンボを切って一回転。

 ふたり同時に、虚神に向けて急加速しながら気を見舞う!


「セイハアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」

「セイヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」


 交叉殺法!

 Xの字を描いて虚神の肉体が破壊される!

 でも――


「通じてない!?」

「……だろうね。物理破壊は、やはり困難か」


 虚神が禍々しい咆哮をあげる。

 その肉体は健在だった。

 虚ろなる神の名に嘘偽りはなく、それはある方法でしか殺すことが出来なかった。

 しかし、その方法は――


「僕が時間を稼ぐ」


 彼が言った。


「ブラックスワン。これは提案なのだけど」


 彼は続けていった。


「僕が死ぬまでに、一人でも多くの人を、避難させてくれないか?」


 彼は――

 あたしが答えるよりも先に、化け物へと突っ込んでいった。


「オ――」


 彼の名前を呼ぶことが間に合わないほどの超高速戦闘。

 一瞬にして戦場が遠のいていく。


「……っ」


 あたしは、メットのなかで唇を噛んだ。


「あんたは……いつもそうだ!」


 絶叫し、走りだす。

 一人でも多くの人を救うために。



††



 ……あの夜も、確か雪が舞っていた。

 虚神の軍勢を殺すために、たくさんの人を殺したあの夜。

 罪に塗れた僕は、なお罪を重ねていた。

 そんな時に、あの少女に出会った。

 長い、長い銀髪の少女。

 その少女に虚神が、いたいけな少女に化け物が、いまにもその大咢で襲いかかろうとしていて。

 僕は無我夢中で、それを殺した。

 ……そのために、少女の母親の命を使って。

 あんなもの、誰も望んじゃいなかっただろう。

 そんなこと、しなければよかったのだ。

 でも、僕は消え行行く命を見捨てることはできない。とんだ偽善者で、最悪の極悪人。

 どんなに雪が降り積もっても、僕の罪だけは、覆い隠すことが出来ないのだろう。

 この身が纏う血液が、この罪の証が、すべてを溶かしてしまうから。


「――――」


 僕は、されるがままになっていた。

 虚神に殴られ、踏みつけられ、砕かれ、ねじ切られ、破壊され。

 それでも、抵抗しない。

 もう身体が動かないし。

 そもそも、こうしている間は時間を稼げる。

 虚神も、僕がにっくき怨敵であることが解っているのだろう。執拗なまでに破壊しようと迫る。

 既に右手はない。

 火花を散らすケーブルと、鋼の骨格、そしてオイルが零れているだけだ。

 血の色の、オイルが。


「――――」


 眼が霞む。

 世界が暗い。

 ああ、これが、死ぬということなのかと、僕は悟る。

 怖い、とても怖い。

 こんな恐怖を、僕はいつも他人に強いていたのか。

 なら、できるだけ無残に死ぬべきだろう。

 虚神よ、虚神。

 僕は貴様らが大嫌いだけど、でも、もっとも残酷に殺してくれるというのなら――


 虚神が、拳を振りかぶる。


 拳がスローモーションで振り下ろされる。


 僕は、ゆっくり眼を閉じる。


 願わくは、二度と僕のような化け物が生まれないことを願って。


 ――衝撃。




 ――



「ふっざけんじゃねーよ!」


 叫ぶ。

 聞き覚えのあるその声が、叫ぶ。

 僕は目を開く。

 眼を、見ひらく。

 そこには。


「な」


 そこにあった光景は。


「なん」


 あってはならない、その光景は。


「なんで――僕を庇ったりしたんだ、ブラックスワン!?」


 正義の味方が、その胸を貫かれながらも、僕をまもる姿だった。


「なんでって? そりゃあ、ねぇ……」


 致命傷。

 どう見ても致命傷だ。

 機械の身体の僕とは違う、彼女は生身だ。

 なのに、だというのに!


「恩返しに、決まってるだろうが!」


 フルフェイスのフルメットが割れる。

 そこからこぼれ落ちるのは、足元まで届くような、うつくしい


「ああ、あああああ――あああああああああああああああああああああああ」


 笑っていた。

 かつて少女だったその女性は、満足そうに、これでいいというかのように、笑っていた。


「母さんとおんなじだよ――



『あなた――あたしの命で、あの子を救って』


 幻聴が耳の奥でよみがえる。

 守るべきものを守るためならば、自らの命を投げ出すことも厭わない。

 それが彼女の、その母親の遺志であり。

 僕の妻の、遺言だった。


「あ、ああああああああああああああああああ」


 彼女が倒れる。

 僕は精一杯に左腕を伸ばして、それを抱きとめる。

 軽い、軽すぎる肉体。それは、いまにも消え入りそうな雪の結晶にも似て。


「なあ、やっつけちまおうぜ」


 彼女は言う。

 その瞳に、もはや光はない。

 それでも彼女は、言うのだ。


「一緒に、一緒にやっつけようよ、親父。武器はここにあるから。みんなを、迷える彼らを救ってやれる燃料はここにあるから。なあ、そんな顔しないでよ」


 見えていないものをそれでも見て。

 彼女は僕の名前を呼んで、言った。


「迷える子羊を導くもの《ストレイシープ・メサイア》――あたしを、使ってくれ……!」


 その魂を、僕は迷わず喰らった。

 閃光が、爆発する。


『GURUAAAAAAAAAAAAA!?』


 虚神がうろたえたように声を上げる。

 それでも瞬時に拳を突きだしたのは、さすが化け物と言ったところだろう。

 だけれど僕は、それを片手一本で受け止める。

 光が去る。

 僕の心臓が脈打つ。

 この罪科の心臓が、いま脈打つ。

 ドクンと、エンジンが律動した。


「やろう、一緒にやろう。やっつけよう! あんな外道、許しちゃおけない!」

「ああ、きみの言う通りだ……っ!」


 それが収束する。

 彼女の魂。

 それは形を持つものではない。しかし、確かに僕の心臓を震わす力を持つ。

 その振動が、その美しく気高い意志が、僕の肉体に鎧を与える。


「――結晶!」


 全身をつつみあげる白銀の装甲。

 長大な、丈長のコートのようなそれは、背中に一対の翼を宿す。

 黒い、黒い白鳥の翼。

 それを羽ばたかせ、僕は一気に飛翔する。

 天高く、成層圏近くまで舞い上がり、罪科の心臓生み出すすべての波動を右足に収束する。

 バケモノを殺すのはバケモノだ。

 だけれど、それを為すのは――


「いつだって――人間の強さなんだよ!」


 叫び、僕は加速した。

 一条の流星となって、天より駆け下る。


導救蹄刻セイヴァー・インプレス!」

「セイヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」



 僕と、娘の姿が重なる。

 その一撃は、確かに虚神を貫いて――



††



 たくさんの人々が死んだ。

 殺された。

 街は廃墟同然で、復興には時間がかかるだろう。

 虚神だって、あれが最後じゃないはずだ。


「つまり、僕はまだ、闘わなくっちゃいけない」


 ぼつりと、独り瓦礫の中で呟く。

 全身を包んでいた銀色の装甲がほどけて、さらさらと天に昇って行く。

 ……泣きだしてしまいそうだった。

 僕は、こうなって欲しくなくって、闘い続けてきたというのに。


「さようなら、ブラックスワン。僕のいとしい娘よ」

「勝手に殺すなよ、馬鹿親父」


 耳元で囁かれた、僕は驚愕と共に振り返る。

 振り返り、僕は目を瞠った。

 そこには、そこには銀髪の彼女が居て――


「なん、で」

「なんでって? なんだよ親父。やっぱりあたしの名乗り、聴いてなかったんじゃん」


 彼女は笑う。

 笑顔で、朗らかに。


「あたしの名前はブラックスワン。ありえべかざるの名を冠する正義の味方。だから、さ」


 絶対大丈夫だって、言っただろ?


「な? 奇蹟だって起こせるんだあたしは! スゲーだろ?」


 ぱちりと、ウインクする彼女に、僕は。

 僕は。


「ああ……君は――自慢の、娘だよ」


 ぼろぼろと、涙を流しながら、答えたのだった。


 かくして、僕の孤独な戦いは終わる。

 独りではない。

 もはや、独りではないのだから。

 そう。

 これは、とても神秘的で、そして夢のようなお話。

 つまり――まるで愛と希望の物語のような――




「英雄親子の、物語さ」





【ストレイシープVSブラックスワン】 HAPPYEND!


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