第8話・成功体験という名の万能薬

 今日は、作家に限らず働く人、労働者にとってとても大事な話です。

 特に、メンタリティやテンションが直接能力に影響しやすい、クリエイターやプロスポーツ選手、そして対人関係を中心にした営業職やサービス業の方には切実な話になるかもしれません。

 今回は、特に経営者や編集者、教師といった方々にも読んで欲しいですね。


 幾度いくどか自分が口にしている「成功体験」という単語。

 これってなんなの? という話の前に、長物守ナガモノマモルの場合をちょっと語りましょう。

 ラノベ作家長物守は実は、。正確に言うと、「成功体験を感じることが全くなかった」という訳ですね。三つの作品を世に出しましたが、どれも売上が思うように伸びず、打ち切りとなってしまいました。当然原稿料も少なく、思い描いていた物語の展開を全て諦めざるを得ません。そして、著作権はレーベル側にあるので、恐らく続きを書くこともできないでしょう。以前も申し上げましたが、こうした中で年収150万生活(これが一番多かった年です)を過ごしました。

 更に言えば、自分は編集部の担当さんから褒められたことが一度もありません。

 編集部としては褒めているのかもしれませんが、その記憶が全くないんですね。

 電話での打ち合わせやメールでは、全てがダメ出しという状況の五年間。

 果たして自分は、この五年間でなにか成功と言えるものを残せたのでしょうか?


 時々、世の中では「」という言葉を聞きます。

 実はこれは、とても理にかなった手段の一つだと自分は思います。そして同時に、多くの職場、教育現場、そして様々な組織の中で、全く重要視されていません。残念ですが、褒めて伸ばすという手法はまだ、科学的に立証されていないのです。

 しかし、褒めて伸ばすというのはとても大事で、人間の心理に大きく作用します。

 褒められた時、人間は実は成功体験を得ていると、自分は考えています。

 まず、例えば試合に勝った、仕事で成功した、本が売れた……こうした明確な成功体験はわかりやすいですね。こうした成功体験で不快になったり、気分が悪くなる方はまずいないかと思います。そして、成功をバネに再び新たな勝負に挑むことができる。次の勝負では「前回成功を収めました」という、実績が後押しをしてくれる。当然、チャンスも増えます。打率のいいバッターはスタメンに入りやすいし、仕事でプロジェクトを成功させると、さらに大きな仕事を任されるかもしれません。そして、本が売れると……重版出来じゅうはんしゅったいでさらなる印税が入り、編集部も「前回の成功もあるし、次は少し冒険しようかな? 先生の書きたがってた作品も再検討しようかな?」となる訳です。

 よく、成功はおごりや過信を生むと言います。

 ですが、よく考えてみてください……この世の中で、自我エゴが暴走したり人格が破綻するレベルの成功、大勝利というものがあるでしょうか? 本が売れた程度で、天下を取ったかのように増長し、仕事が雑になる作家がいると思いますか? 基本、よほどのことが無い限り、我々一般人が収める成功は、どう頑張ってもつつましいものでしかないのです。本が売れて、コミカライズが漫画雑誌で連載され、アニメ化しても、恐らくそうでしょう。そこまでいってもまだ、有頂天うちょうてんというレベルにはならいのがラノベ作家です。

 極論を言えば「小市民レベルの成功体験は、ノーリスク・ハイリターン」ですね。


 では逆に試合に負けたり、仕事が失敗したり、本が打ち切りになったらどうでしょう? これは、誰が見ても敗北だなと思える結果になった時……当たり前ですが、人間は落ち込みます。誰でも落ち込むんです、ヘコむんです。こういう時こそ、本当に必要となるのが成功体験なのです。

 例えば、スポーツの試合に負けたとします。

 それでも、誰かが「負けたけど内容はよかった」と言ってくれたら、どうでしょう? コーチや関係者に「結果は出なかったが、前より強くなったな」と言われたら?

 負けは負け、敗戦は分析して振り返り、冷静に敗因を洗い出す必要があります。しかし、そうした理性と合理の埒外らちがいに、メンタルがある訳です。そして、そのメンタルは、小さくてもささやかでもいいから、成功体験がないと回復しないんですね。

 仕事が赤字だったけど、部長からはねぎらいの言葉が貰えた。

 担当の入院患者さんが亡くなったが、御家族からとても感謝された。

 甲子園に行けなかったが、先生が建設的アドバイスをくれた。

 なんでもいい、本当に些細ささいなことでいいんです。

 失敗の反省という、技術論や方法論と合わせて、どこかで「負けたけど終わりじゃないよ、いいとこもあったよ」というものを得ないと、メンタルが回復できないのです。

 勿論、それを全て自分で自己解決できる方は、とても素晴らしいです。

 自分で自分に「負けたけど俺は今日、ここがよかったぞ」と思える方……そうした方は、自分で成功体験を生産することができます。そういうメンタリティを育てることは、社会人として大なり小なり必要です。しかし、時にはそうした自家発電の成功体験が通用しない敗北、大敗が訪れます。そんな時、やっぱり人に言われたい……どこかちょっぴり褒められたい。これは人の心理として、ごく当然のことです。


 因みに自分は(あくまで個人の感想ですが)打ち切りが決まったあとに、フォローの成功体験を他者からもらったことがありません。これは自分のメンタリティの悪さ故かもしれませんが、打ち切りを重ねるごとに編集部の対応は冷たくなっていきました。当たり前ですが、実力社会は弱者には冷たいものです。営利団体である出版社は、利益に繋がらない、生産性の低い作家をできれば切り捨てたいと思っています。繰り返しますが、良し悪しではありません……そして、出版社側、編集部側からは絶対に「もういらないです」とか「今後貴方の本は出しませんので」とは言いません。

 言いはしませんが……打ち切り常連作家とは、いたたまれないものです。

 自分に限ったことかもしれませんし、自分の被害妄想かもしれません。

 だから、話半分に聞いて欲しいのですが、実力なき者はプロの世界では必要ないのです。

 編集部は、作家の生殺与奪せいさつよだつの権利を握っています。どんな作家も、編集部と出版社を通さないと作品を売ることができないからです。今は電子書籍の自費出版など、大きく社会が進歩しましたが……今でもやはり、本屋さんに作品を流通させるためには、絶対に編集部とのチームワークが必要になります。しかし、勝つためのチームに弱者はいらない、いられないんですね。

 自分の場合、最後には「ここまで時間がかかりすぎた」等の理由で、最後の作品は出版前に打ち切りとなりました。一年近くかけた作業が、全て無駄になってしまった瞬間ですね。勿論、1円も入ってきません。初稿を書き、編集部からの修正提案を全肯定して第二稿に直したのですが、結局突然出版の機会を失ってしまいました。そして、編集部の担当さんからの「わかってるでしょ? ね? もうね、こっちも仕事なのよ、だからさ」という空気が伝わります。向こうがこちらに「すみませんでした、もう筆を折ろうと思います」という台詞セリフを期待しています。向こうからはレーベルの手前もあり、労働環境的な理由から首を切ることはしません。ただ、弱者に対する肩叩かたたたきは、言葉ではなく空気で存在します。


 そんな状況に負けないための、成功体験です。

 打ち合わせの時、出版の時、そして打ち切りが決まった時……どうにかして「負けたけど、ここはよかった」というものが必要です。そしてそれは、できれば他者と共有できればベストですね。編集部の担当さんと共有できれば、肩叩きの空気というものも感じない、感じても頑張れるかもしれません。そもそも、実は肩叩きというものはないのかもしれませんし。

 ただ、小さな成功体験でメンタルを上向きにしないと、心はどんどんり切れていきます。

 作家はアスリートと一緒だと自分は思います。例えば空手、柔道、そして剣道……これらの武道は、システム的に成功体験の制度があって、上手く活用されています。それが、段位だんい昇段試験しょうだんしけんです。試合に負けても、負け続けても、昇段試験で一歩ずつ段位を上げることができる。勝率が悪い選手でも、段位が上がって嬉しくない人はそうそういないでしょう。「最近調子が悪いけど、やっと二段になったぞ、これからも頑張ろう!」とか……そういうものではずみを付けることで、心の卑屈や敗北主義と戦えるんです。

 他の業種でも学生生活でも、家事や育児でも一緒です。

 負けたら、負けた時こそ誰かと「ここはよかったんじゃね?」と共有しましょう。

 自分で自分を褒めて、他者と褒め合って、過度に落ち込んだり絶望したりすることを食い止めましょう。因みに出版業界では「打ち切りですね、すみません! 編集部も至らなくて……申し訳ないです。!」という慣例があるようですね。要するに「反省会を兼ねた慰労会いろうかい」で、これは通常は出版社がオゴリです。美味しいものを食べて酒を飲み、愚痴ぐちり合ったり褒め合ったり……そうしてお互いに成功体験を補充し合う。とてもありがたいし、編集部の気遣いは素晴らしいと思います。

 まあ、自分は田舎暮らしなので、東京の編集部の方と慰労会はしたことないですが。


 さて、では……どうしてこんなことがわかっていて、長物守は敗北に敗北を重ねたまま、ドロップアウトしたのでしょうか? ここに、成功体験の重要性や、褒めて伸ばす手法の弱点があります。

 基本、まだまだ日本は科学的なメンタリティ管理、フォローやケアの概念がいねんが遅れてます。

 企業によっては、未だに根拠なき精神論が幅をきかせています。

 そして、褒めて伸ばす成功体験補完の仕組みには、巨大な敵がいるのです。

 それが「」です。

 甘えは許さんという思考が、実はどこの業界でも強く根付いています。それに、普通は誰でも「すみません、自分のことは褒めて伸ばしてもらえますか?」なんて、ビジネスパートナーには言えないでしょう。言ったら「少し、頭冷やそうか」とか「とりあえず表に出ろ、話はそれからだ」とか言われますヨ。それでももし言ったとしたら、帰ってくる言葉はこれです。


? 社会人なら甘えは通用しないよ」


 そのあとに、頑張らなきゃとか、根性だとか、一生勉強だとか言われるわけです。

 これこそが、ちょっと恐い「」なんです。

 それは甘えだと言えば、相手を完封で否定できる。

 検証や考察を交えず、甘えだと一蹴すれば反論の余地は許さない。

 そもそも「甘え」がどんな状態、どういうことを指すかの定義も曖昧あいまいです。しかし、社会では多くのことが、甘えという言葉によって片付けられています。何故なら、いつか貴方が「成功体験が欲しい、反省を踏まえつつ褒めて欲しい」と思っても……それを甘えだと断じて却下する方もまた、甘えはイカンと言われて育った人間だからです。

 経済学やスポーツ力学が科学的に進化した今、認識は少し変わってくる筈です。

 努力と根性は当然必要として、それと違うもので癒やすべきダメージもあるんです。

 それを甘えだと言っている限り、誰かに「甘えるな!」と言う人は増え続けます。

 だから……皆様がもし、どんな形であれ努力し、懸命に頑張ったとします。結果が思わしくなかったら、どうか成功体験を……「それでも、ここだけはよかったお!」と言えるなにかを確認してください。俗に言う「心が折れる」という状態を回避する、最も効果的な方法です。人間の心理とメンタリティは、今や科学的に解明されつつあります。これはただの甘えた話ではありません。効果が高いと思われつつある、一つの技術なのです。

 次回は、スポーツでも有名な「ルーティーン」について御紹介しますね。


★今回のポイント

・勝ち負けは必ずついてくる、結果をまずは受け止めるしか無い、逃げられない。

・その上で「でも、ここはよかった」と自分を褒め、完全敗北ではないと強がろう。

・できれば、他者とも「だよね、ここだけはよかったよね」を共有しよう。

・褒めて伸ばす方法論を、他者に求めるのは難しい……だからこそ、自分を大事に!

・自分は、自分だけは、決して自分を全否定しないこと。

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