第7話・批判批評の意味と価値

 さて、今日は誰もが気になる「批判」や「批評」のお話です。


 この文章をご覧になってる方は、多かれ少なかれ、他者の感想が気になる方がいらっしゃるのではないでしょうか。悪く言われる、低い評価を受けるのは、誰でもつらいことです。自分は辛いです、ヘコみます……ここ数年はアレコレ経験してマイルドになりまして、長物守ナガモノマモルという「仕事の時の評価」は凄い気になる、悪いと凹むんですが。ながやんという「趣味の時の評価」は、逆に気にならないですね。趣味は仕事と違って、好きなものを好きなふうに書けるので、気楽に気軽に「好きな人だけ、よかったら読んでみてね」という感じ。良し悪しは別にして、書いて公開することで一定の満足を感じてしまいます。

 でも、誰だって悪く言われたくはないし、低い評価は心にこたえる。

 では、プロの作家さんは世間せけんの批判批評に対してどうしてるのか?

 その辺を、自分が知る限りの範囲でですが、お話したいと思います。


 まず、創作家である限り、作品の公開は絶対に避けられないということ。自分でつくって自分だけで楽しむ、それは悪いことではないし、むしろ自分は一定の自己満足は絶対に必要だと思っています。しかし、創ると「誰かに見せたい」と思うのが創作家のさが……そして、見てくれた人が必ずしも好印象をいだいてくれるとは限りません。

 プロの作家さんには、概ね三種類の人間がいます。

 大多数が「ネット等で自作の世間的評価を、たまに見る」という方。

 そしてこれも多いですが「ネット等の不特定多数の評価を全く見ない」という方。

 最後に、極稀ごくまれに「ありとあらゆる手段で、自分に関する評価を全部見る」という方。

 繰り返しですが、良し悪しではありません。

 自分にあったやり方が自分で選べれば、それでいいんです。


 では、批判や批評は本当に必要なのでしょうか? よく「批判はなにも生まない」という言葉を耳にしますが、それは正確ではありません。より適した言葉として共有するならば「」と言うべきでしょう。

 では、知性と責任がある批判とは、どんなものでしょう。


 まず、知性……その批判が論理的に、筋道を立てて行われたものである場合、一定の価値があります。逆に、ただ条件反射や感情論で言われた言葉(そう思える言葉)は、これは批判とは言えないものでしょう。実は以前から思ってるんですが、プロの作家ってアスリートと一緒なんですね。

 ロードワークをするように本を読み、反復練習にも似た執筆活動で己を鍛え、ビジネスパートナーとのチームで試合に望みます。そんなアスリートに「なんか駄目だ」とか「ちょっとおかしいよ」なんて言葉を投げかけても、それでは感想でしかなく、批判ではありません。批判ならば必ず「試合を見たが、スタミナが後半不足していたように見える、何故ならば以下略」と、論理で語らねばなりません。そうした言葉であれば、真摯しんしに受け止める価値があります。


 次に、責任……これはちょっと「責任」という言葉が相応ふさわしいか、自分でも疑問ですが、こういうことです。つまり「貴方への批判をノーリスク&ノーコストで行ってる人は、あまり気にしない方がいい」という話なんですね。例えば、見ず知らずの他人、フォロワーでもないしフォローしてない人が「長物守って最悪だよね」とつぶやいたとしましょう。そのTweetツイートは、その人の周囲でなんらかの反応があったり、リプやRTでにぎわうかもしれません。しかし、そうした人は絶対「自分の発言で損をしない、手間をかけてもいないしなにも失わない」という人なのです。そういう方の発言で、貴方が傷付く必要はありません。傷付いてなんかやらないでください。目にすると凹むので、なるべく見ないのも手です。

 さらりと無視するのは、大変難しいですが……安易に受け止めるのは危険ですね。逆に、例えば編集部、例えば創作仲間、例えばプロの評論家、ライター、雑誌記者……そして、友人知人。そうした方が「ちょっと変だよ、おかしいよ」と論理的に言ってくれたら……少し己をかえりみてみましょう。仕事で繋がってる方は、貴方と利害の一致をみているか、貴方を語ることで得をしたり損をしたりします。プロの評論家は、自分のネームバリューや評判、看板をけて、全ての発言に責任を持っていますしね。それに、創作仲間や友人知人等、親しい人は……少し大げさですが「貴方に少しムッとされてもいいから、伝えたいことがある」という方たちです。

 ネットが普及して、誰もが自分の意志や考えを広めやすくなりました。

 結果、安易な言葉が無条件で行き交う混沌カオス、無秩序な雰囲気もわずかながらあります。

 貴方にとって批判や批評の言葉は、ずしりと突き刺さって重いかもしれません。その人が全読者の総意として語っているかのような、一種の錯覚すら覚えます。ただ、批判や批評が正当なものならば、それを受けて己を見直すこともまた好ましい選択ですね。


 ちなみに、長物守に関しての一例を御紹介しましょう。

 以前、近未来のヴァーチャルリアリティをテーマに、デスゲームとなったMMRRPGの物語を書きました。発売当初から「これって超有名なのパクリだよね!」と、ネット界隈では騒がれていたようです。御丁寧にTwitterツイッターで自分宛てに「……のパクリ」とTweetして下さった方までいました。

 似てますかね?

 ……似てますよね。

 似てるはずです。

 むしろ、似てて当然です。

 だって、自分と編集部で「アレっぽく、ですか」「アレっぽくですよ!」って……そう打ち合わせして作り上げた作品なので。いつかの機会に「」という概念や、その意味、そしてなにより「◯◯っぽいですね! って言われるのってどうなの?」ということも語りましょう。

 ま、それは一度置いといて……ようするに、不特定多数の方にパクリと御指摘を受けた訳です。勿論、そうしたものを目にしてしまうと、いい気分ではいられません。自分はM、それもドMですが、いじめてくれる相手といじめかたにはドMなりのコダワリがあります。

 で、ですね……そうして作品を悪く言う人って、実は「読者全員の総数の、ほんの僅かな極一部」なんです。でも、少数ながら声がデカいので悪目立わるめだちするんです。難しいかもしれませんが、スルーしましょう。自分もいちいち「あのねーキミ、クリス・クロスっていう作品を知ってるかい?」なんて返信したりしません。ネット上では頂いたコメントには、なるべく返信させて頂くようにしてますが……構われるのが好きな構われ上手なんですが、スルーですね。その人たちは「作品を語りたい」のではなく「なにかを叩いて盛り上がりたい」だけなんです。それがたまたま貴方の作品だった……体よく言えば「野良犬に噛まれただけ」ですね。だって、なんの責任も危険も伴わぬ場所から、知性と知識を使わぬ条件反射的な感情論で「駄目だよねー、最悪だよね~」と言っても、説得力がありませんし。

 安全な場所から手軽に投げかけられた言葉は、軽い。

 気にし過ぎは禁物、気に病む必要はないと思うんですよね。


 では、有益な批判批評……知性と責任が存在する言葉に対しては? それは勿論もちろん、よく考え、時には批判者と言葉を交わしてかてとしましょう。えてして有益な批判批評ほど、修正すべき欠点や欠陥を見つけやすいものです。何故なら、有益な批判批評とは、数値的な根拠を伴う考察と分析であり、技術論や方法論の妥当性を語っているからです。

 作品によくない評価が下される、これは誰でも辛いです。

 プロでも凹みますし、自分は凹み過ぎだとよく言われます。

 でも、凹みながらでも、批判批評を「いいもの」と「いらないもの」にわける。これは有益! と思った批判批評には、真摯に向き合うのがいいなといつも思っています。


 最後に、誰でも批判批評をする権利があり、なか陰口かげぐちのようだろうが、直接ぶつける非礼な言葉であろうが……ネットの社会ではOKとされています。つまり「駄目と禁ずる根拠が存在しない」というのが現状です。誰だって一般の読者として、一人のネット民として、思ったことや考えたことをモラルとマナーの範疇はんちゅうで書き込む権利を持っています。「あの作品はクソだわー」とか、「俺が受け付けないってことは駄作だわー」とか。一言バッサリと「必要なし」とか「イラネ」なんてのも攻撃力が高いですし、「これはちょっと……(苦笑)」なんてにごされてもボディブローのようにキます。でも、それに対して反論するのはオススメしません。

 まず第一に、そういう方たちの自由を許容し、受け入れるのもまた創作家の仕事だからです。創作家はやはり、大なり小なり、プロアマを問わず評価されるまでで創作活動と言えるでしょう。

 第二に、わざわざ反応してリプを返したり反論を書き込んだりして、そうした人たちを喜ばせてもむなしいだけです。貴方の貴重な時間をいて、炎上にすらならないくだらない話へ燃料を投下する必要はないんですよね。

 最後に、これはプロだけの話になりますし、プロの中でも賛否両論ですが……言い訳を相手に伝えるのは、あまりオススメしません。プロの作品は「読者=お客様」です。あらゆる業種のクレーム対応の基本ですが、言い訳はいけません。何故なら、突き詰めるとどんな言い訳も「なら、最初からそう書けばいいじゃん」って言われてしまうからです。……オトナノジジョーなるものがあって、そう書けなかった理由もあるでしょう。俺にはありました。でも、それを相手に伝えても最終的には「なら、最初から以下略」となってしまうのです。ま、心の中で「次から気をつける、明日から本気出す」くらいでいいかと。


 批判批評を恐れるな、なんてなかなか言えたものではありません。誰だって苦痛なんです、悪く言われるのは。更に言えば、作品に対して創作家は感情移入しがち、我が子であり分身と思う方もいるでしょう。批判批評に、まるで己を否定されたように感じることもあるかと思います。

 そんな時は、どういう類の批判批評か、落ち着いて精査するのがいいですね。

 なるほどと思えば、糧にする。

 なんじゃこら、と思えばスルーする。

 難しいですが、なるべくそうできたらいいですよね。


★今回のポイント

・凹んで落ち込むのは一緒、自分だけがメンタル弱いなんて思わなくても大丈夫!

・時には図々ずうずうしくふてぶてしく、無視してスルーも大事かもしれない。

・寄せられる批判批評は全て「」ではなく、個人的な感想や意見。

・冷静に批判者を知り、有益と感じる批判批評だけを気に留めて頑張ろう!

・長物守はよく「文章が装飾過多」「倒置法とうちほう的表現多過ぎ」と言われまくるンゴ!

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