第3話・チームワーク

 出版という事業の仕組み、そして自分なりのスタンスや解釈をお伝えしておきます。ただ、自分はこの価値観のもとに善処した結果、力及ばず敗者となって脱落した訳ですが……皆様が漠然ばくぜんと思い描いている「出版」というものを、少し考え直してみましょう。


 まず、作家は孤独な仕事、孤高の仕事と呼ばれます。

 基本的に(よほど鈍感か聖人君子でない限り)無数の敵とひとりで戦うことになるからです。あらゆる面で一般職の勤め人や公務員、その他無数の業務形態の人間に理解してもらえません。そんな中で、最も作家業に対して理解のある人たち、それが同じ仕事仲間、編集部の方々、出版社の方々なんです。

 多くの仕事がそうであるように、出版事業もまたチームワークです。

 作家の作品が全てという、作家様中心ワンマンの商売ではないということですね。


 ただし、良くも悪くも出版事業における作家の比重は非常に重いものとなっております。大ヒット作が世に出て売れた時、作家の名前が大々的にたたえられますね? しかし、編集者や営業さん、広報さんは全く名前が出ません。

 逆はどうでしょうか? 盛大にずっこけて爆死した作品でも、嘲笑ちょうしょうされるのは作家のみということになります。出版業務というスポーツのチームで、最も勝敗に強い影響力を持ち、ハイリスクハイリターンなのが作家というポジションになります。……ここで「最も勝敗に強い影響力」と書きましたが、。詳しくはまた別の機会に。で、それでも形式上は最高責任者として、その作品に全責任を持たされるのは作家ということになります。


 では、スポーツで例えてみましょう。野球、そしてサッカーです。どちらにもそれぞれ、役割分担をこなすポジションというのがありますね? 全てのポジションが己の仕事を全うして初めて、チームは機能し試合が成立するのです。その中で、そうですね……例えば野球ならば、作家という職業は投手、ピッチャーになります。詳しい方はご存知かと思いますが、ピッチャーには「勝ち投手」「負け投手」という概念があります。チームの勝敗と共に、必ず報道されるピッチャーの勝ち負け……これは実は、極稀ごくまれに「好投をしてても負け投手になることがある」ということがあります。野球選手の花形と言われるピッチャーは、チームの勝敗と同じレベルで「ピッチャーの勝敗」が存在します。

 サッカーだとどうでしょう? サッカーでは作家は、フォワード? ミッドフィルダー? 自分の解釈では、作家のポジションはです。意外に思われるかもしれませんが、考えてみてください。フォワードが一人抜けても、ミッドフィルダーが一人抜けても、ギリギリで試合は成立すると言えるでしょう。しかし、キーパーのいない試合はもはや試合と呼べません。無くてはならない存在、全てを最後で受け止める存在……そして、常に試合(作品)に対して声をあげ続ける存在、それが作家です。で、運悪く点を取られる(打ち切りになる)じゃないですか? そんな時、観客は皆「キーパーなにやってんの!」って思うわけです。サッカー力学の観点から言えば、物理的にキーパーのミスではない失点というのはある訳です。でも、それは客(読者)にはどうでもいいことで、キーパーが止められなかったから失点した、という構図が共通認識として広く成立するんですね。


 ですが、ピッチャーにしてキーパーである作家というポジションに、自分はなんら悲観的な気持ちを持っていません。出版は事業、つまり商売です。目的はチーム全員で共有してる勝利……売れることです。売れて初めて、作家も編集者も営業さんも広報さんも、利益を得て勝ちとなる訳です。また、作家にとって「まず売れること」は絶対的なメリットしかない至上命題しじょうめいだいです。よく「売れなくてもいい、細々と好きなことが続けられれば」という方がいるようですが、残念ながらプロには向いていないです。良し悪しではなく、単純に「一緒にもうかろう! って気概がある人だけが出版に参加できる」という、不文律ふぶんりつにして前提条件をクリアしていないからですね。

 出版し売れれば、関わる全ての人が利益を共有でき、それぞれに成功体験を得る訳です。特に作家は、印税が入ってくることは勿論、自分が「名作を生み出した」という実績になる訳です。普段は通らなかった企画、理解されなかったプロットやシナリオも、売れた作家が出せば編集者は見方を変えます。作家にとって売れることは、次の作品に繋がり、強いては自分の本当に書きたい作品に繋がっているのです。


 では、そんなチームプレイの出版事業、どうやったら全員で勝者になることができるんでしょうか? その答は残念ながら、自分の中にありません。自分は一度も勝利したことがなく、成功体験を得たことがないからです。ただ、こうして今、敗者として「こうやっちゃうと負けやすいよ」ということをお話はできる……なんらかの形で、誰かがかしてくれればと思います。

 出版事業という競技で、作家というポジションが絶対にしてはいけないこと……それは、。編集部は必ず、貴方の作品に「売れる要素」「売れやすいと思われる要素」をねじ込んできます。繰り返しますが、善悪はありません。一緒に売れて勝ち、利益を得るためによかれと思ってねじ込んできます。それをもし、貴方が必要と認めれば、素直に取り入れてください。ヒロインの裸が最初の10P以内にないとイカンと言われて、そうだなと思ったらそのシーンを書いてください。

 逆に、絶対にいらないと思った時……作家の義務として、ポジションを預かる者の責任として、それにあらがってください。言葉の限りを尽くし、論理を積み重ねて編集部を言い負かしてください。結果的に編集部の意向を飲むにしろ、妥協点を探るにしろ、絶対に行動を起こして言論で示すこと、これが大事です。あとは、執筆内容や修正内容に関して、少しでも疑問に思うところは自己判断ではなく、合議の上で再確認すること。とにかく、作家というポジションは絶対に「ただ言われた通り書くマシーン」では務まりません。


 私事わたくしごとになりますが、随分前から自分は「編集部の言う通りに書く、言う通りに直す」ということを信条としてきました。これは自分の未熟さもありますが、誤った判断だったと言わざるを得ないでしょう。自分よりラノベ市場や昨今の流行り廃りに詳しい、編集部の意向を第一にと思ったのです。結果、今回のように「言う通りに全部書いて、言う通りに全部直したら、何故か出版前に打ち切りになった」という、理不尽なことになったのです。これを理不尽と思ってしまうのは、自分が作家というポジションで十分に働いてなかった、半ばポジション放棄していたからかもしれないなと思っています。

 編集部は無茶を言います。

 売れるため、なんでも言ってきます。

 不景気で冒険ができないんです、安全策でいきたいんです。

 でも、安全な冒険で一稼ぎしたいんです。

 そういう人たちがいて初めて、貴方の作品は世に出て、商品として流通します。そのために、清濁併せいだくあわむとは言いませんが……貴方の作品に沢山手が入れられるでしょう。それが嫌なら、趣味の世界で同人活動としてやるしかありません。

 チームプレイなんです。

 一つのボールを全員で回して、運んで、点へと結びつけるんです。

 自分は小説のあとがきで、なるべく多くの方へ謝辞を述べたいと思ってます。編集部は勿論、営業さんに広報さん、本当は大活躍してる法務の方や各種事務手続きの方。校正さんも印刷屋さんも本当にありがたいです。

 チームプレイなんか嫌だ! という方は、それもいいでしょう。

 ただ、チームプレイ無用論でプロをやるにも、実績はいります。

 実績がある人、金が稼げる人だけが、ワンマンな作家になれます。


 余談ですが、三谷幸喜先生の映画「ラヂオの時間」という映画があります。プロの作家を目指す人には、是非見ていただきたい作品ですね……あれが、公の場に作品を出して、客の前にさらすということ。その本質を考えさせられる名作だと自分は思います。


★今回のポイント

・あくまで出版は「利益を得るため」の「チームワーク、チームプレイ」である。

・作家というポジションはハイリスクハイリターン、一番比重はデカい。

・チームの仲間が「よかれと思って最善を尽くしている」ことを忘れないこと。

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