流行は歯車のように
太刀川るい
流行は歯車のように
「きみのお父さんには感謝してもしきれない。あのシステムは私に莫大な富をもたらしてくれた」
イド氏が駅中のポスターのような作り笑顔を浮かべると、訪問者の女性は「そうですか、父も喜んでいると思います」 と、すまして応えた。
嘘だな。あいつが、俺を許すはずがない。イド氏はそう思ったが、長年の社長業から身につけた笑顔を崩さず、しかしその裏では猛烈な勢いで考えを巡らせていた。
一体何が目的なのだ? 金か? 特許はしっかりと抑えてあるし、今更どのような手段を取られてもさほど影響は無いはずだ。恐れることは無い。落ち着いて行動するのだ。
イド氏はコーヒーを一口飲むと、余裕たっぷりに柔らかいソファーに身を沈めた。
「亡くなった父からの伝言があります」その言葉から始まる不思議な電話がかかってきたのは数日前のことだ。静かな口調で告げられた名前に、イド氏は大きな驚きを感じた。
今から十年ほど前、イド氏と共にビジネスを始めた人物の名前だった。
当時、イド氏は今ではITバブルと呼ばれるブームに乗って小さな事業を起こしていたが、懐事情はお世辞にも良いとは言えず、先行きに不安を感じていた丁度そのころに、一人の男が話を持ってきた。
「未来を予測するシステムを作りたい」と、その男は語った。
未来を予測するシステムとはどういうことか、半信半疑で話を聞くイド氏に男は懇切丁寧に説明を始めた。
未来を予測することは難しい。しかし、一人の人間が週末に取る予定を予測することは出来ないかもしれないが、週末に混みあう場所を予測することは出来るように、ある一定の集団が全体としてどのように動くのかという統計的な予測は不可能ではない。
男は語った。莫大な計算能力と巨大なデータがあれば、ある程度の精度で世の中全体の予想が可能な学習が実行できるはずだと。まだ、誰も挑戦はしていないが、これは将来的に大きな分野になるはずだ。自分はそれを流行の予測に使いたいのだ。ときおり水を口に含みながら、男は熱っぽく語った。
今では目新しい概念ではない。だが当時、21世紀に入ったばかりの時期では全く前例のない世界だった。
イド氏は男の言っていることが理解できたわけではなかったが、自分の懐具合はよく理解していた。だから、すぐにその話に載ることにした。
結論から言えば、そのシステムは大成功を収めた。
システムは大量の入力データを元にまずいくつかの予言を吐き出したが、これは数カ月後の流行を見事に言い当てていた。無論、100%というわけではなかったが、実用に耐えうる数字であると、イド氏は判断した。
広告代理店がイド氏の顧客になった。イド氏のシステムが流行を的中させる度に、テレビや新聞はその成功を喧伝し、イド氏の挑戦はコンピュータシステムによる未来予測の成功事例として有名になった。
しかし、会社が成長するに従って、イド氏と男の間に亀裂が生じ始めた。
それはお互いの分け前に関することが直接の引き金であったが、一度生じたすれ違いはあっという間に修復不可能な破局へと突き進んでいった。
元々、ビジネスだけの関係だったのだ。金でつながっている関係は、金で簡単に壊れる。
争いはイド氏に有利に進んだ。法律や契約の面では経験のあるイド氏に分があったし、元々イド氏はかなり有利な契約をそれと悟られぬように結んでいた。
男は、捨て台詞と組み上がったシステムを残して会社を放逐され、イド氏はまんまと金の卵を産む鶏を手に入れたのだった。
それから十年近く、男はイド氏の周りに一切姿を見せなかった。
どこかで似たようなシステムを作ったという話も耳にしたが、その後の続報もなく、殆ど記憶から消えかけていた時に、その娘を名乗る女から電話がかかってきたのだからイド氏が警戒するのも致し方ないと言えよう。
かくして、イド氏は彼のビルの最上階の社長室で、その女性と向き合っているのだ。
「そうですか……彼は死んだのですか」
「ええ、ほんの数週間前に。父の作ったシステムは、まだ動いていますか?」
「動いていますよ。ハードウェアは変わりましたが、プログラムとモデル自体は彼が作成したものをそのまま利用しています。退社のゴタゴタでソースコードと学習パラメータが紛失したので、残っているのはそれだけですがね。それでも現役で動いているのだから凄いことですよ」
「システムの刷新は?」
「考えました。と言いますが作らせています。しかし、どうもうまく行きません。一種のオーパーツなんでしょうな。学習パラメータが無ければ同じものを作るのは不可能です。逆コンパイルも役に立ちません。未だにお父さんのシステムを超える精度は出せていないんですよ」
女性は静かに頷いて、こう言った。
「そうですか、だとするならば余計に伝えなければならないことがあります」
大きくはないがよく通る声だった。
「父は、死ぬ間際、私に秘密を打ち明けてくれました。貴方の会社を追い出される時、父は将来訴えられることを覚悟でシステムにバグを仕込んでいったそうです」
「バグだって?」イド氏は怪訝な顔をした。
「でもこの十年何も不具合は……」
「不具合は出続けてたんです。父のシステムは何が流行するのかという答えを莫大なデータを元に導き出すわけですが、父はその中に答えがランダムになるような要素を一つ仕込んでいったそうです。中々見つからないような意地の悪い方法で。その結果、システムはまるで正しい答えのように、でたらめな答えを返すようになったんです」
「いやいや、そんな馬鹿な」一瞬の沈黙の後、イド氏は語気を荒らげて言った。
「システムは正しい答えを出した。間違いなくそれは保証できる。君のお父さんが嘘をついたのでは?」
「父は間違いなく、実行したと言っていました。もっともその言葉を確かめる術はありませんが」
「じゃあ、あの予測は一体何だったんだ? なぜ適当な答えが高い的中率を出すんだ。筋が通ってない君の話はでたらめだ!」
「そこです。父が悩んだ所は」興奮するイド氏をよそ目に、女性は頬に指を当てると静かに続けた。
「父は貴方の会社を追い出された後、他の会社に拾われて同様のシステムを作りました。もっとも貴方との契約違反だったそうですけれど……そのシステムは理論上貴方のシステムより精度が上がるはずでした。ところがそうはならなかった。適当な答えを吐き出すだけの貴方のシステムに予測の精度で負けてしまったんです。なんど繰り返しても結果は同じ。そこで父は一つの結論に達しました」
女性はまっすぐイド氏の目を見据えて言った。
「『偶然』です」
「馬鹿馬鹿しい!」イド氏は大げさな身振りで否定して見せた。
「いいえ、そう考えるのが最も筋が通っているのです。
父は一つの結論に達しました。システムは流行を予測したのではありません。貴方がその予言を実現させたのです」
イド氏は無言で答える。
「正確に言うならば、貴方と、貴方の会社に注目した人々ということでしょうね。
父が貴方のシステムを壊した時、貴方の会社は既にかなり名が知れていました。数々の広告代理店も参入し始めていましたね。貴方のシステムは、理由をつけるのに調度良かった。新しいプロジェクトを回すのに、根拠としてシステムによる予測をつければ、何も根拠が無い状態より説得力が増したことでしょう。結果、企画はより通りやすくなる。
だから、貴方のシステムは驚くべき速度で受け入れられた。そして貴方のシステムでお墨付きを得た企画は成功を収め……ブームを作る。それとは知らず、関わった全員が予言を成就させてたんです。
そのため、貴方の会社以外が同じことをやろうとしてもうまく行かなかったのです。貴方のシステムの実態は、『当たるという確証』だったのですから」
そういって女性は、カップに唇をつけた。
女性を見送った後、イド氏は無表情で窓の外を眺めた。
俺のシステムがデタラメだって? そんなはずはない。現に俺は成功したじゃないか。俺の成功の秘訣がそんな未開の部族の呪術めいたものであってたまるものか。
だがどうやって確かめればいい? エンジニアを雇って解析させれば分かるだろうか? だがそれが何の役に立つ? イド氏には分かっていた。システムが本当に壊れていたとして、それを発表できるはずもないということを。正常に動いていたということにして隠し通すしか無い。
あの女性がこの話を他の誰かに持ち込んだらどうなるのだろうか。口止め料を払うべきだろうか? それともただの戯言として取り合わないのが最適だろうか?
イド氏は小さくうめき声を上げた。
嘘だ。これは嘘だ。対立する会社が俺を疑心暗鬼に追い込もうと、あいつの娘を名乗った役者を使って、システムが破綻しているだなんて嘘をついたのだ。
おちつけ、今までと何も変わらないじゃないか。同じことをすればいいのだ。今までだってできたから、大丈夫なはずだ。だが、本当にそれは可能なのだろうか。盤石に見えたロジックが思い込みに過ぎなかったと聞かされて、今までと同じことが出来るのだろうか。イド氏は体の中からこぼれ落ちる自信を必死でかき集めようとしたが、それは不可能だった。コップの水に落とされた一滴のインクのように、心のなかに疑いは静かに広がっていく。
「そうか、これがお前の復讐か」イド氏は虚空を見つめながら呟いた。
もう予言は存在しなかった。広い社長室でイド氏は一人、静かに椅子に座っていた。
流行は歯車のように 太刀川るい @R_tachigawa
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