Ep.23 成れ果てエゴイスト


 教室に戻ってから、亮は『人殺し』についての話を掘り返さなかった。それは同情なのか、気を遣った結果なのか、それとも天然なのか、正直僕には分からない。だけど亮ならどんな話をしても変わらずにいてくれることだけは分かるから、僕は自らその話題を振った。


「さっきの話だけどさ、長くなるし、重い話だけど……それでも聞いてくれるか?」

「許可なんていらないさ。友達だろ? お前ん家でゆっくり聞くわ」

「……。俺ん家かよ」

「当たり前だろ」


 マフラーを巻きながら大真面目に言う亮に呆れ笑いをこぼす。強引というか、遠慮がないというか、すごいやつだよ本当に。


 昇降口へ向かう途中の渡り廊下で、反対側から歩いてくる女子生徒が蓮村さんだと気がついたのは、それからすぐのことだった。

 腕の中には十数冊のノートがある。恐らく職員室に届ける最中なのだろう。


 隣で歩きスマホをしている亮はまだ蓮村はすむらさんに気がついていない。だけど蓮村さんの方は僕らに気がついた。反射的に視線を逸らした蓮村さんの歩幅がやや早まる。


 蓮村さんは視線をこちらに戻さなかった。

 だけど自分勝手な僕はこのまま彼女を無視できなくて、小さく呟く。


「じゃあね、蓮村さん」


 すれ違うその瞬間に、たった一言だけ。

 それを聞いた蓮村さんが驚いたように振り返る。


 ……ダメだよ、蓮村さん。

 そんなに嬉しそうな顔をされたら僕は勘違いしてしまうから。


「先輩方、さようなら」

「えっ、あ! 蓮村さんじゃん! 気が付かなかったわ〜。じゃーね」


 遅れて蓮村さんに気がついた亮がのんきに振り返る。僕も小さく手を振った。

 すぐにお互い背を向けあって別方向に進む。そうだ、これでいい。



 学校を出たところで、亮はやっと、というように聞いてきた。


「やっぱまだ好きなの?」

「……誰が誰を?」

「おいおい、分かりきってることを聞くなよぉ」

「藤八尋が白雪姫をだよ」

「難問だな」


 しっかりと答えているというのに、亮はあからさまに顔を歪めた。


「はぁ、お前には難問か。そうか。かわいそうなやつだ」

「本人前にして言うなよ」

「裏で言えって? やだよ、そんなん」


 そうは言ってないだろ。

 だが亮の質問は嘘でも冗談でもなく、本当に難問だと思ったのだ。かわいそうなやつだ、と言うくらいなら亮は伊奈々ちゃんに対して、迷ったり分からなくなったりしないのだろうか。


「誰かを好きになるのはエゴだよな」

「エゴだな。究極の」

「………」

「自分が好きだから、相手にも好きになってもらいたいと思うんだ。だから俺だって始まりはエゴだと思うぜ」

「始まりは?」

「エゴがいつまでもエゴだと思うなよ。いいか、エゴはいつかでっかい愛を生むんだぜ?」

「……よくそんな恥ずかしいこと言えるな」

「お前が言わせたんだろう!?」


 寒空の下なのに、亮の小っ恥ずかしい言葉の続きを聞いていると、全然寒くなくて、肌を刺すような冷えきった風も、気持ちいいくらいだった。



「ただいま」


 亮を後ろに従えて、玄関を跨ぐ。

 いつもなら弥英やえが「おかえり」と顔を出すはずなのだが、今日はそれがない。

 料理かなにかしていて、手が離せないのだろうか。「いいよ上がって」と亮を促しながら、リビングを覗く。


「弥英?」


 すると中にいたのは、どこか見覚えのある後ろ姿だった。リビングの四人席の手前、すぐに誰なのかピンとくる。弥英は奥の席にいた。気まずそうに「おかえり」とやっと帰ってくる。


「どうした? 弥英ちゃんいたか?」


 なにも知らない亮が僕の後ろから、リビングに顔を出す。そして、彼が振り返った。


「え、誰?」


 亮は貴也たかや君にそう言い放った。



 藤家のリビングで鉢合わせした僕達はどういうわけか、息も詰まりそうな気まづさの中、4人で鍋を囲っていた。


「兄貴が友達連れてくるなんて、珍しいじゃん。どうしたの?」

「弥英こそ、貴也君と仲良かったんだな」

「おい訂正しろ。誰と誰が仲が良いんだよ。俺はこいつに連れてこられただけだ」


 白菜を頬張りながら貴也君が鋭く否定する。その横で弥英もすかさず否定に入る。


「は? それはあんたがッ……! いいよもう、知らない!!」

「どーどー、落ち着きなさいな。こんなに美味い鍋を前に言い争いなんて、勿体ないだろ?」

「亮は落ち着きすぎだろ」


 僕にも分けて欲しいくらいの落ち着きぶりだ。たしかにまだ例の話はしてないけど、貴也君と僕の雰囲気を重いとも感じていない様だった。


「弥英ちゃんは料理が上手いんだな」

「いえいえ、お鍋なんて野菜切って煮込むだけですから」

「たったそれだけが出来ないやからも多いんすわ。例えば俺とか俺とか俺とかね?」

「ふっ、俺ばっかりですね」


 弥英が亮の前で初めて笑顔を見せる。それを見てさらに調子よく亮は話し続けた。


「それを証拠に、え〜貴也君だっけ? さっきから箸が止まってないし」

「…………腹、減ってたんで」


 貴也君もさすがに無関係の亮にまで、冷たい対応ではないらしい。気まずそうに、手元の茶碗に視線を落とした。


「そうですよ、こいつお腹空いてたんです。空腹で倒れそうになるくらい」

「え、そうなの!? 貴也君大丈夫!?」


 僕は思わず立ち上がる。倒れるくらいってなんで? 今日は平日だし学校とか……、あれ、貴也君私服……?


「お〜! お前は過保護か、八尋。いきなり立ち上がったら驚くだろおい」


 亮に腕を掴まれて、僕は強制的に座らされた。これにはさすがの貴也君も驚いていた。あまり見慣れない顔で「別に大丈夫だろ……」と呟いている。


「ごめん、今のはごめん。ちょっと取り乱した」

「……まぁ、そういうこともあるわな。よし食べよう! ほら、まだ鍋余ってるぞ」


 亮がなんとか空気を変えようとしてくれる。それがありがたくて、だけどとても不甲斐なくて、途端に僕はいたたまれなくなった。


 それから僕がみんなの食べ終わった食器を洗ってると、隣に貴也君がやってきた。


「あなたにしては、まともな友達ですね。思いやりのある優しい人だ」

「うん、そうだね」

「……」

「……」

「……あの、さっき――」


「貴也?」


 貴也君がなにか言いかけたところで、弥英が貴也君を呼んだ。貴也君は即座に踵を返す。「なんでもないです」と短く言った声は、ホッとしているようにも聞こえた。

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世界の終わりには幸せな結末を。 成瀬 灯 @kimito-yua

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