Ep.22 愛と罪の告白を

 ハッとして引き返す。空いていた扉から教室の中に目をやると、4、5人の女子相手に伊奈々ちゃんが一人肩を震わせていた。



「もういいよ、行こ」


「勝手に怒らせとこうよ」



 伊奈々ちゃんに詰め寄っていた女子たちが小声で口々に言う。


 そのまま声が止んだと思うと後ろの扉が勢い良く開いた。ちょうど扉のそばに居た僕は先頭の女子に鋭く睨まれた。


 言葉を失っていると、その女子たちは何も言わずに行ってしまった。


 中には伊奈々ちゃんが一人、取り残されている。



「……大丈夫?」


「あ〜……、見てた?」



 迷った挙句に声をかけると伊奈々ちゃんが苦く笑う。ため息を零して、机に寄りかかる。



「胡麦ちゃんが可哀想だよ」


「蓮村さん?」


「今の1年生なんだけど、胡麦ちゃんが男の子ばっかり優しくしてる、とか。可愛いからって調子に乗ってる、とか。裏で泣かされた子がいる、とか。散々……言いたい放題」



 僕は頭を抑えた。


 これが初めてじゃないことは、容易に想像がついた。蓮村さんは笑顔の裏に沢山のものをよく隠すから、僕にも伊奈々ちゃんにも、誰にも言うつもりは無かったのだろう。ふいに蓮村さんの小さな背中が脳裏に浮かんだ。



「悪口くらいで大袈裟だと思う?」


「思わないよ。別れても、蓮村さんがどうでもいい存在になるわけじゃないから」


「……八尋君」


「これがきっと蓮村さんの日常だったんだよね」


「うん、多分。だから私は悔しいんだよ。本人が気にしてなくても私が気になるの。胡麦ちゃんが悪く言われてることが許せない!」


「ありがとう、伊奈々ちゃん」


「……ふふ、なんで八尋君がお礼?」


「それも、そうだね」



 僕はもう、蓮村さんの彼氏じゃないんだからお礼を言うのはおかしな話だろう。


 でも伊奈々ちゃんが怒ってくれて良かった。情けない話だが伊奈々ちゃんが怒ってくれれば、僕も蓮村さんも救われるのだ。



 それから少し遅れて、呼び出されていた体育館裏に到着した。そこで待っていたのは、顔も名前も知らない女の子で、手紙に書いてあった通りに彼女は僕を好きだと口にした。一生懸命に想いを伝える彼女が、どこか違う世界の人に見えて、びっくりするくらい心が動かなかった。


 それでも「付き合えない」と告白を断ると、罪悪感が重くのしかかった。



「……そうですよね。分かってました。……分かってたけど、こんなに辛いのは想定外でした」



 そう言って、彼女は僕の前を走り去った。


 いい子だったのだろう。



「……僕のために泣かなくていいんだよ」



 一人呟く。頭上から降りしきる雪が、冷たさを増していくようだった。



「――お前、キモイぞ」



 聞きなれた声にギョッとする。


 建物の影から姿を表したそいつは、僕を見てあからさまに顔を歪めた。



「まさかお前がこんなにキモイやつだったとは」


「なんでここにいるんだよ、亮」


「これでも俺は優しいのだよ!」


「そうだなお前は優しいよ。僕が彼女の告白を断るのを見届けてくれるくらいにはな」


「どーどー。そう怒るな。たしかに八尋との付き合いはまだ短いが、俺には分かる。お前の様子が変だったことも、お前が急にネガティブ野郎に成り下がっちまったことも、全部な」



 亮はやけにはっきりと言い切って、僕の背中を一発、バンと叩いた。


 叩かれたところがひりついてかなり痛い。


 本気でやりやがったな、こいつ。



「俺たちは健全な男子高校生だぞ? モテたら喜べよ! 俺なんか以下略とか言ってる場合かよ。ああ! 一体どうしちまったって言うんだよ?」


「別にどうもしてないよ。僕はいつも通りだ。亮が変だって思うなら僕は前から変なんだよ」


「かぁ〜ッ! 気に食わん! お前今、俺との間に線を引いたな」



 亮は声色1つ変えずにぐいぐいと詰め寄ってくる。悩みなんてひとつも無いとでも言いたげな自信に溢れた目だ。



「……引いてないよ、目に見えないだろ」


「甘いな八尋。俺の愛読書は『星の王子さま』だぞ。目に見えるものがすべてだと思っていた時代はとうに卒業している!」



 また訳のわからないことを……。


 だが亮は真剣だ。


 真剣に疑わずバカだ。



「そうなってくると、僕がバカにならないのもバカらしいか」


「は? バカ?」


「亮、聞いていいか?」


「ん、ああ」


「僕がもしも人を殺したことがあるって言ったらどうする」


 一瞬、空気が重くなる。


 亮から目を逸らそうかと思った。


 しかし亮はそのまま僕の目を見つめてくる。



「……分からん!」


「それはどういう?」


「話を聞いてみないと分からんってことだ。最初のその一言だけで、俺がどうこう言えることはない」



 それは意外な回答だった。


 


「そりゃあ人殺しは駄目だ。当たり前だ、犯罪だ。だがそれが殺意を持ってのことなのか、自己防衛なのか、はたまた事故なのか、俺は頭が悪いからすぐに判断は出来ん。違うか?」


「それにもしそれが本当だったとして、そんな顔をしながら殺人の告白をするやつに殺意のある殺しをしたやつはいないだろう」



 それから亮はもう1度僕の背中を叩く。


 今度は痛くない。



「んなことより、寒すぎて死ぬわ! いつまでこんなところに居るんだよ。中に入るぞ」


「それは同感」



 僕らは互いに肩をすくめた。


 そして雪の降る体育館裏を後にした。


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