第四回 刺客街道(後編)

 死体が転がっていた。

 九人。面相から、昨日襲って来た山賊達だとすぐに判った。

 渓谷を流れる清流の側である。死体から流れ出した鮮血で、川の水が既に洗い流したのだろう。その清流に、血の赤の欠片もない。


「口封じですかねぇ」


 貞助が言った。雷蔵は答えず、死体の側にしゃがみ込んだ。

 しかし、襲撃に一度失敗したからと言って、このような真似をするだろうか。手駒は多いに越した事はないのであるし、山にいる限り襲える好機は幾らでもある。


「弓矢か」


 死体には、細かい刺し傷がいくつもあった。刀傷もあったが、それはとどめの一撃だけである。


「矢傷ですかい。しかし、肝心要の矢がございやせんぜ」

「回収したのだろう」


 矢は使い捨てではない。余裕があれば、回収して再利用する。矢羽も、鏃も安い代物ではないのだ。


「襲撃者は山賊を誘き出し、囲い込んだ上で木の上から射掛けたのだろう。そして山賊が動けなくなると、木から降りてとどめを刺した」

「やはり、口封じでごさいやすか?」

「どうだろう。賊は賊で敵が多いと聞く」


 どちらにせよ、どうでもいい事だ。敵が減ったのは喜ぶべき事だが、その死を詮索する余裕はない。


「おっと、誰か来やすね」


 死体を検分していた貞助が、山の茂みに目を向けた。

 藍色の貫頭衣。腰には禍々しい剣。山人やまうどだ。

 浅黒い肌に、精悍な顔立ち。まだ若いが、自分よりは上だろう。そこそこ出来ると感じ取ったのか、貞助の全身から闘気が噴き出していた。


「待て。俺は敵じゃねぇ」


 若者が、慌てて両手を挙げた。


「俺は、伊刀児イトジって者だ」

「伊刀児。山人か?」


 雷蔵が訊くと、


「おう、そうだ」


 と、伊刀児は、親しみのある笑みを湛え、近付いてきた。貞助の闘気は消えたが、警戒していないわけではなさそうだ。


「あんたが、雷蔵さんかい?」

「そうだ」

「加勢に来たぜ」

「加勢だと。この惨状も、その一環という事か?」

「山賊は山人の敵だ。山を荒らし、略奪し、女を攫う。殺せる時に殺すのが、山人のカガンさ」


 山人には、〔カガン〕と呼ばれる厳しい掟がある。その掟には様々あるが、山賊は死罪という話は、父に聞いていた。


「あんたら、夜須の殿さんを殺すんだろう? 話に聞いたぜ」

「お前には関係のない話だ」

「だから、俺も手を貸すってんだ」

「無用だ」


 雷蔵は即答した。


「そう言うと思った。あんたの評判は聞いているからね。俺、内住の山人だったんだ」

「ほう」

「俺は、あんたの親父さんに助けられた事があるんだ」

「父にか」

「おうよ。俺が里人と喧嘩して取っ掴まった時、ちゃんとした裁きをしてくれたんだ。ちゃんとした裁きをするってのは当たり前だが、それが出来ねぇ奴が多いからよ。俺は清記様に恩義があるんだよ。だからってわけじゃねぇが、あんたに加勢しようと思ったんだ」

「伊刀児。お前が何者であろうと、父とどのような縁があろうと、お前に加勢を頼むつもりはない。これは俺の復讐なのだ」


 雷蔵がそう吐き捨て、貞助に目配せをした。貞助は頷き、歩き出した雷蔵に従った。


「へん。この朴念仁の分からず屋。てめぇ一人で、何が出来るってんだ。相手は大名だぞ。それに、俺らにだって、やる理由はあるってんだ」


 背中から、喚き声が聞こえて来た。雷蔵が無視していると、貞助が顔を寄せて来た。


「いいんですかい?」

「何が?」

「手駒は多い方がいいってもんじゃないですかね?」

「手駒と思っていたものが、相手の駒だったという事もありえる」

「相変わらず、疑い深いようで」


 夜須の山人が、苦境にあるという情報は得ている。定住化を強制され離脱した者もいるという。そうした中の取引で、利重が伊刀児を送り込んだとも考えられる。

 そのまま、幾つかの山を越えた。途中で、山兎を仕留めた。見つけたのは貞助で、咄嗟に飛礫つぶてで打ち倒したのだ。頭蓋を砕かれた兎を、貞助が嬉々として捌き、持っていた岩塩を刷り込んで焼いて食べた。

 肉を頬張りながら、今後の行程を話し合った。あと一つ峠を越えれば、磐前と築城の国境に入る。そこには関所もあり、当然警戒もしているだろう。こちらの進路は、既に把握されているのだ。


(敢えて、街道を通るのもありか)


 いや、駄目だ。人目が多い街道では、不測の場合に逃れる事が難しい。それに逃れる道筋も限られてくる。その点で山道は、相手を欺くのに容易だ。夜になれば、それこそどうとでも出来る。

 腹の読み合いである。利重も今頃は大いに悩んでいるだろう。或いは、何か罠を施して、手ぐすねを引いて待っているのか。どちらにしても、さぞ夜が長く感じているに違いない。


(有利なのは、自分たちの方だ)


 と、雷蔵は自らに言い聞かせた。狙われる者より、狙う者の方が強いと相場が決まっている。

 その日は暫く進んで、野宿になった。


「雷蔵さん、お願いがありまして」


 貞助が、残った兎の肉を頬張りながら言った。


「どうした、急に」

「あの伊刀児を仲間に加えて下さりませんかねぇ?」

「何故、それをお前が頼む?」

「実は、あっしが手引きした者達なんで」


 貞助が、伏し目がちに答えた。


「説明してもらおうか」

「利重を斬る。この大望は、我々二人だけでは成し得られねぇ事です。そこで、清記様に深い恩義があり、故郷を追い出した利重を激しく憎む山人の一派がいると聞いて接触したんですよ」

「それが、伊刀児か」

「ええ。実は伊刀児も清記様に、雷蔵さんを頼むように言われていたようでして」

「だからとて、我々の味方とは限らん」

「雷蔵さん」


 貞助が顔を上げた。その語気も、貞助にしては珍しく荒い。


「清記様は、雷蔵さんの為に多くのものを残されました。目に見える物は殆ど奪われてしまいましたが、本当に大切な物はちゃんと残されております」

「……」

「あっしは男です。ちんけな下級武士ですがね、男ですよ。そのあっしが言っているのです。どうか信じてくだせい」

「お前を男と見込んでか」


 貞助が頷く。すると雷蔵は、


「呼べ」


 と、短く命じた。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 暫くして、伊刀児が闇の中から現れた。

 その背後には、物々しい数の一団。その影を数えると、十六もあった。


「全員か?」

「おう」


 先頭の伊刀児が答えた。


「何が出来るのだ」

「何でも。罠、殺し、かっぱらい。何でもさ」

「俺は父と一族の無念を晴らす為、利重を討つ。お前達は何の為だ?」

「そりゃ、清記様への恩義と、山人を故郷から追い出した事への腹いせ」

「どちらが強い?」

「腹いせだな。まぁ俺は清記様に恩義があるが、後ろの奴らはそうじゃねぇ。利重憎しで集結した者達だ」

「なるほど」


 雷蔵は貞助を一瞥した。


「問題は腕だ」

「そりゃ安心してくだせい。身のこなしは山人仕込みで天下一品。得物もかなりの腕。忍びとしちゃ、十分ですぜ。それに、山賊の骸を見たでしょ?」

「まぁ、そうだが。それで、こやつらはお前が鍛えたのか?」

「まぁ。東北の各地で」

「なるほど。あの旅はその為か」


 そう言うと、貞助は歯を剥き出し、鼠のように笑った。

 雷蔵は立ち上がり、伊刀児の前に進み出た。全員の顔を順に見た。中には女の顔もある。誰もが眼光鋭く、そして精悍な顔立ちをしていた。


「条件が、幾つかある」

「何だ?」

「俺の命令には従う事」

「そりゃ、あんたが大将だ。命令には従うさ。なぁ?」


 伊刀児は振り返り、一同に同意を求めた。全員が頷いている。


「その上で、指揮は貞助。当面はこの男に従え」

「いいぜ。貞助さんは俺達の師匠だしな。頭領かしらって事で」

「最後に、山人の恰好を改める事」


 それには、一同が騒然とした。


「おい。そいつは納得出来ねぇぞ。俺達は山人を続けたいから、戦おうとしてんだ」


 そんな声も挙がった。


「おい、お前達は俺の命令に従うと言ったばかりだぞ」

「何を言いやがる」


 数名が憤慨して立ち上がったが、雷蔵はそれを躱すように背を向けた。


「大将、俺達には誇りがある」


 伊刀児が言った。


「よく考えろ。山人として戦えば、藩に恭順した山人に迷惑が掛かる。それぐらい判らんのか?」

「そりゃ……」

「それに山人の誇りは、着物を改めただけで失われる安っぽいものなのか。そうではなかろう?」


 伊刀児は反論を諦め、口を尖らせて腰を下ろした。


「異論はねぇよ。お前達もそうだろう?」


 反論は無かった。貞助が笑顔でその様子を眺めている。


「それでよ、御大将おんたいしょう。俺達に名前を付けてくれねぇか」

「名前?」

「おう、名前よ名前。貞助さんを頭領に、雷蔵の大将を助ける俺達の名前さ。名無しの権兵衛じゃ気合が入らねぇだろう」


 雷蔵は、貞助を一瞥した。すると、貞助は付けてやれと言わんばかりに、頷き返した。

 仕方なく、この一団に〔山霧やまぎり〕という名を与えた。山の中で人を幻惑し、気が付けば散っている。故に山霧。それには、皆が気に入ってくれたようだ。

 雷蔵は、まず貞助率いる山霧を先行させ、夜須藩内の拠点作りと反利重分子の探索を命じた。利重を斬るという大望は二人の力だけでは成し得ない。そう貞助に言われ、考えを変えた。父の同志、そして添田甲斐や栄生帯刀の旧臣など反利重分子がいるのなら、協力を乞うのも悪くないと思い始めている。

 雷蔵は、山霧とは離れて横になった。貞助と伊刀児達が、しきりに何かを話している。それでも、雷蔵は仄かな眠気を覚え目を閉じた。眠ろうと思えば、いつでも眠れる。そのような身体に、いつの間にかなっていた。


(さて、どうするか……)


 ぼんやりと、これからの事が頭に浮かんだ。

 利重を斬る。だが、敵は利重だけではないと、思い定めていた。

 夜須藩。復讐の対象は、祖国である。国を滅ぼす。平山家を利用してきた、栄生家と夜須藩を滅ぼすのだ。その為には、鬼畜に堕ちる覚悟もしている。


(利重に従う者は、全て斬ろうか)


 それもいいかもしれない。斬って、斬って、斬りまくる。そうするうちに、自分はこわれるだろう。それで迎える滅びなら、歓迎だ。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 翌朝まだ日も登っていない時分に、貞助と伊刀児が二手に分かれ進発した。夜須への入り方を工夫し、刺客を幻惑するつもりなのだという。

 雷蔵は一人になり、山道を進んだ。獣道であるが、途中で見慣れた道になった。夜須の藩境である。この辺りは、何度か歩いた事がある。

 最後の峠。登り詰めると、視界が広がった。

 夜須だ。遠くには小さく城下も見える。

 故郷。そして、決戦の地。感慨は無かった。ただ、生きて戻れたと思っただけである。


「待っていた」


 声を掛けられた。背後。振り向くと、深編笠の武芸者風の男が立っていた。

 あの抜き打ちの男だ。雷蔵は粟立つ肌で、それを察した。


「他の刺客は惑わされたようだが」

「流石に、あなたは無理でしたか」

「そう言いたい所だが、俺は此処で待っていただけでね。特に何も考えていない」

「名を聞かせてください」

「始末屋にそれを訊くか」


 男は深編笠を取ると、投げ捨てた。歳は三十程。色白で、平凡な顔立ちである。勘定仕事が似合いそうな小役人風で、始末屋などには到底見えない。


「いいじゃないですが。どちらにせよ、どちらかが死ぬのです」


 すると男は鼻を鳴らし、


「佐野甚五」


 と、答えた。


「こちらも、一つだけ訊きたい」

「何なりと」

「平山雷蔵。あの平山清記殿の縁者か?」

「流石、父上。始末屋界隈にも名が知られているのか」


 そう言うと、雷蔵は黒羅紗洋套の止め紐を解き投げ捨てた。


「そうか。清記殿のお子か」

「父とあなたは何か?」

「いや、同じ穴の狢なだけだ」


 平山家は、父の代まで始末屋を副業としていた。それは藩が御手先役の費用を与えず、平山家の禄だけでは足らなかったからだ。しかし、父が藩に掛け合って資金を引き出し、また代官としても精励し、始末屋から足を洗う事が出来た。その為に命を狙われたらしいが、その話は聞いていない。


「長くなったな。人が来る前に済まそう」


 雷蔵は頷いた。


「では、やろうか」


 佐野は腰を落とした。左手で刀の鯉口を切り、右手はダラリと下げた構え。


(きっと、何かが飛び出すに違いない)


 雷蔵も扶桑正宗を抜き払いながら、そう思った。

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