間隙 夜吼党

 斉木利三郎が二度果てた時には、辺りは既に暗くなっていた。

 城下、御弓町おゆみ。その自宅である。

 利三郎は十日振りに屋敷へ戻るなり、得体の知れぬ性欲に突き動かされ、妻の美弥を押し倒したのだ。


「旦那様」


 美弥が反応する。武家の女は快楽に身を任せてはならず、ジッと耐えらねばならないとされている。しかし、この美弥は見掛けによらず放漫な反応を示す。それも最初からではない。まず始めは耐えるのだ。耐えに耐え、最後は自らせがむようになる。それが利三郎の男を、激しく刺激してしまう。


「美弥、いいか?」


 すると、美弥は頷く。以前は、そこまで女体を求める事はなかった。こうなったのも、利重の命令で夜吼党を率いるようになったからだ。

 人生が変わった。しばしば、それを考える。それまでは、剣をそこそこ使えるだけの男だった。それが、藩主に呼び出され、直に密命を受けるまでとなった。少し前までには、考えられなかった事だ。


(全ては、利重様が見出してくれたお陰だな)


 その内、加増の沙汰もあるだろう。それは斉木家にとっては喜ぶべき事だが、代わりに人間としての道徳も失いつつある。

 この十日間、夜吼党を率いて調練を行ったのだが、その内容というのが、残忍な人殺しだったのだ。

 天領や近隣諸藩で、浮浪者や浪人、百姓を襲う。時には商家や庄屋屋敷に押し込む。全て、江上八十太夫からの命令だった。平山孫一が率いる逸死隊も、同じ調練で鍛えたのだという。そうした凶行に、利三郎は命じるだけでなく時には加わった。

 人を斬り、奪い、犯す。自分が夜須藩士なのか破落戸なのか、判らなくなる。それに、悪夢にうなされる夜も増えた。おそらく、丑之助も同じ気持ちだったのかもしれない。


(そう言えば、丑之助は美弥に惚れていたな)


 と、腕の中で身悶える妻を責めながら思った。

 その丑之助は精神を摩耗し、江戸家老や同輩を斬り殺して逐電。夜須に戻った所を、雷蔵に討たれている。

 自分もそうなるのではないか。そう思うと恐怖すら覚える。だが、全ては御家の為。そう思って耐えた。それに利重からは、


「逸死隊に勝る、私の刀となる部隊を育てよ。夜須にはもうお前しかおらぬ」


 とも、言われた。殺し文句だった。

 この事を、美弥は知らない。ただ御家の大事に関わる重要な役目を申しつけられたとは伝えた。こうした荒々しい情欲に否とは言わない所を見ると、美弥は何かを察して耐えているのかもしれない。

 美弥の乳房を弄ぶのに飽くと、利三郎は自らの帯で美弥の両手を縛り、その目も塞いだ。


「何を為されるのです、旦那様」


 美弥が驚く。しかし、利三郎は何も応えず、暫く眺めた。


「だ、旦那様……」


 身悶える美弥の、白く柔い腹部に舌を這わせた。


「お許しくださいまし」


 しかし、その声には戸惑いよりも悦びの色が強く、利三郎の舌が下に移ると、より一段と大きなものになった。

 利三郎の脳裏には、夜吼党に弄ばれる庄屋の若妻の光景が浮かんでいた。そしてそれが美弥と重なり、いつしか夜吼党に犯される美弥となった。

 それが更なる情欲を注ぎ、利三郎は三度目を迎えるべく、美弥の両足を乱暴に開いた。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 翌朝、利三郎は何事もなく朝餉を摂り、屋敷を出た。

 向かったのは、かつて添田甲斐が別邸として使用していた、楽市村の屋敷である。

 甲斐の死後、この屋敷は藩庁に接収されて無人だったが、最近夜吼党の宿舎として与えられた。

 屋敷の前で、夜吼党付きの下男が掃き掃除をしていた。そして利三郎の姿を認めると、慌てて駆けてきた。


「斉木様、お客様がお見えになっておりますよ」

「私に?」

「へぇ、客間にお通ししております」


 利三郎は頷き屋敷に入ると、浪人達が庭や縁側でゴロゴロとしていた。木剣を振る者もいれば、将棋を指す者。中には博打に興じる者もいる。だが、酒は飲んでいない。日中の飲酒を禁止しているからだ。


「大将、客が来ているぜ」


 縁側で横になっている浪人の一人が言った。


「そうらしいな。誰が来ているのだ?」

「さぁ、知らねぇな。ただお偉いさんだろうよ」


 と、その浪人は鼻を鳴らした。


「いかすかねぇ野郎達だぜ。誰一人として俺達にゃ、挨拶一つしやしねぇ」


 客間に行くと、確かに嫌な顔があった。

 江上八十太夫と、平山孫一。それと、初めて見る老人の三人だ。

 孫一も八十太夫同様に、利三郎は好きではない。今まで何度か顔を合わせたが、どうも腹の底が判らない。つまり信用出来ないのだ。利重に声を掛けられなければ、付き合う事もなかった種類の人間である。


「自宅に戻っていたのか?」


 八十太夫が冷めた声色で問う。


「昨日は非番でしたので」

「女が寂しがりでもしたか」

「ええ、まぁ」

「呑気なものだな」


 利三郎は血が沸くのを感じたが、それを抑え腰を下ろした。八十太夫は側用人で、謀略を統括する利三郎の上役だが、家格は同じ。別に気を使うつもりはない。


「江上様。このご老人は?」


 利三郎は、部屋の隅に控えた老人を一瞥した。白髪で、皺が深い。身体が小さな武士だ。誰かの従者かもしれないが、もしそうなら外で待たせるはずである。


「この者は、柏原夢十かしわばら むじゅう。浮羽から招いた忍びの頭領だ」

「目尾組が手薄になっていると聞きましたが、そのテコ入れですかな?」

「いや。まだ殿に御目通りしておらぬ。今は私が手の者として使っているに過ぎない」


 夢十は、黙礼をした。視界に入らなければ気付かないほど、気配がない。それだけで、この男が只者ではないと判る。


「それで、この面々が集まったのは?」

「平山雷蔵が、黒河を襲ったのだ」


 そう言ったのは、孫一だった。かつては皆藤左馬と名乗っていたが、今は平山家の名跡を継ぎ、平山孫一としている。聞けば、平山家の一族だそうだ。


「何故に黒河を?」


 雷蔵が雄勝藩から消えたのは、八十太夫に聞かされていた。しかし、あの雷蔵がとは思う。女形のような妖しさを持つ男が、無類の絶剣を使うとは驚きだった。


「黒河には私の身内が仕えておってな。義父であり師である幻舟と、跡取りの六郎が雷蔵めに斬られよった」

「一族間の内訌でしょうか?」


 すると、孫一は首を横に振った。


「そもそも我々が殿に協力しているのは、平山宗家の座を得る為。平山清記を潰す為だった。そして、雷蔵はその事を何処からか知った。恐らく、これは雷蔵からの意志表明だろうよ。『父を殺した者は一人残らず殺す』というね」

「その雷蔵の名簿には、当然私の名も孫一の名もある」


 八十太夫が、平然と言った。雷蔵に狙われていても、意に介していない風である。

 自分はどうだろうか。利三郎は考えてみたが、雷蔵に恨まれる節は思い当たらない。不思議な事に、それで安堵している自分がいる。かたきとして、平山家を憎んでいるというのに。


「その雷蔵が、夜須に向かっている。これは夢十が掴んだ情報だ」


 隅に座した夢十が、軽く黙礼する。


「それを討てというのですね、我々夜吼党に」

「いや、違う。それについては、私から刺客を放っているし、黒河藩も追っ手を出している」

「左様ですか」

「ふふ。それでも突破するぞ、あの小僧は」


 孫一が鼻を鳴らした。この男は、一度雷蔵と対峙しているらしい。その際に、雷蔵から並々ならぬ天稟を感じたそうだ。それも父親以上のものという。


「それほどの腕前なのですか」

「ああ、俺でも勝てるかどうか」


 孫一ほどの使い手が言うのだ。間違いはないだろうが、一度屋敷で木剣を合わせた際には、その天稟を感じなかった。巧妙に隠していたという事だろうか。


「本題はそこではない。藩内に由々しき事態が起ころうとしている」


 八十太夫が、割って入った。


「ほう。既に由々しき事態だと思いますが」

「斉木、皮肉を言っている場合ではない。栄生帯刀の遺臣が、謀叛を企んでいる」

「またですか」

「主君の仇討ちらしい。そう言っても逆恨みで、彼らに正当性は無い。故に謀叛だ」


 正当性は無いだろうが、相次ぐ謀叛は利重の名を貶めるだろう。つくづく敵が多い男だが、これが無理に藩主になった代償というものだろう。自分を見出してくれた恩人で、心からの忠誠は捧げてはいるが、やはり利景に比べれば、人格という点では見劣りしてしまう。


「その一党を、早急かつ秘密裏に片付ける必要がある」

「それが、夜吼党の仕事ですね」

「そうだ。叛徒の動きは、夢十の手下が把握している。どうやら、明日の夜に旧領の若宮庄の廃寺で謀議があるそうだ。そこを夜吼党のみで討て」

「かしこまりました。やり方は?」

「任せる。だが、夜吼党が使えるかどうか、その試しだと心しろ」


 利三郎は、口許を緩めて頷いた。いいだろう。夜吼党の実力を見せてやる。そんな気分だ。


「一つだけ訊きたいのですが」

「何だ?」

「雷蔵と遺臣達が結びついている可能性は?」

「無い」


 八十太夫は即答した。


「それも、夢十が掴んだ情報ですか?」

「いや。叛徒の中の一人を、こちらに寝返らせている。命の保障と恩賞を餌にな。主君の仇討ちと言っても、その程度の屑共だ」


 八十太夫が、初めて笑った。だが、そこには明るさはない。陰性の笑みだ。やはり、八十太夫は好きになれない。

 三人が去ると、広間に全員を集めた。

 目の前には、十四名が思い思いに座している。どれも不敵で、隙の無い面構えだ。

 思えば、何故自分がこの悪人共を率いる事になったのか。何を見て八十太夫は決めたのか、疑問だった。今まで忌み嫌った浪人なのだ。だが、今では同志とすら思えるから笑えて来る。

 利三郎は立ち上がり、今回の任務を伝えた。その間、浪人達は黙って聞いている。


「これが夜吼党としての初仕事だ。働いた分だけ、見返りがある。心して掛かれ」


 そう言うと、浪人達が吹き出した。


「そう意気込むんじゃねぇぜ、大将」

「やるこたぁ、人殺しだ。何も変わりはしねぇよ」

「これだから、坊ちゃん大将は困るぜ」


 方々で、ヤジと笑い声が上がる。釣られて、利三郎も笑っていた。

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