第四回 刺客街道(前編)
すれ違いざまの、凄まじい一太刀だった。
雷蔵は、それを何とか躱したが、斬光は頬を掠め、その
何という、抜き打ちか。雷蔵は目を見開きながら、後方に跳び退いた。
黒河から夜須へと抜ける、か細い往還である。右手には葦が群生している湿地で、往来する人影は無い。
その寂しい路傍で、雷蔵は深編笠の武芸者風の男とすれ違い、必殺の一太刀を浴びたのだ。
「挨拶もせずに抜き打ちとは、何とも失礼な人だ」
「……」
返事はない。ただ腰を落とし、居合の構えを見せた。
「夜須からの刺客か? それとも、平山家への遺恨か? 心当たりが多過ぎるので、せめてそこは教えていただきたい」
「……」
「ますます失礼だ」
雷蔵は黒羅紗洋套の前を払い、扶桑正宗の鯉口を切った。
(出来る……)
雷蔵は、男の二の太刀を最大限に警戒した。先刻は本能で察知して躱したが、血煙を上げて死んでいても不思議ではない腕前である。
雷蔵は、下段に構えた。それは本気であるという事の印である。
男の殺気は、尋常ではなかった。双肩に
どう攻めるか。雷蔵は考えを巡らせた。
相手は居合。その初手をどう捌くかが、勝敗を左右するだろう。
だが不意に、男の殺気が消えた。そして、姿勢を正す。
「また今度だ」
「勝手だな。どうせ
「断る」
男そう言い切ると、踵を返した。
「本当に礼儀知らずだ」
雷蔵も扶桑正宗を仕舞い、背を向けて歩き出した。
気が付けば、陽は暮れようとしている。対峙が思ったより長かったのだろう。
雷蔵は往還を逸れ、小高い里山の裾で野宿をする事にした。
本当は宿場なり城下なりの旅籠に入り、湯を浴びて布団で眠りたいが、今は人目につく事は避けた。どこに刺客が潜んでいるか判らないのだ。実際に、雄勝を出た最初の宿で襲われた。刺客は女で、小太刀の使い手だった。風呂上がりを狙われたのだ。その時は
女を斬るのは、気が進まない。どうにも、眞鶴の顔が浮かぶのだ。あの女には、裏切られた想いしかない。愛していたのは、過去のもので過ちだった。故に、二度と思い出したくはないが、女を斬るとあの感触が蘇ってくる。
手頃な寝床を見つけた。巨木が側にある、洞穴だ。空気の抜け道もあるし、風雨を凌ぐのには最適である。
枯れ木を集め、火を熾す。飯は、途中で捕まえた蛇だ。まず頭を落として皮を剥ぎ、塩を刷り込んでから切り分け、枝に刺して焼く。こうした事は、全て父から仕込まれた事である。
まさかこうなる事を見越して仕込んだわけではないだろうが、お陰で野宿でも飢えずに済んでいる。
蛇の肉が焼けだすと、脂が染み出し、それが炭に落ちて音が鳴る。香ばしい匂いも、立ち込めていた。
「こりゃ、いい匂いがしますなぁ」
その匂いに誘い出されるように、闇から渡世人風の小男が現れた。
「あっしも一つ……」
「お前の持って来たもの次第だな」
「へへ。そいつが条件なら大歓迎」
と、三度笠の庇を上げると、そこには前歯が二本だけ出た、鼠顔がそこにあった。
貞助だ。焚火を挟んで、雷蔵の対面に腰を下ろした。
「黒河藩が、追っ手を差し向けたようですぜ」
「継村の差し金か?」
「どうも幻舟の門人だそうで。まぁ、裏に何があるか判りませんが」
「存外、弟子に人望はあったのだな」
「幻舟は黒河藩で、刺客団の育成に携わっていたようでしてね」
「なら追っ手というのは、その刺客団か」
貞助が、焼けた蛇の串を手に取りながら言った。
「腕の程は判りませんが、師匠の意趣返しだと燃えているそうですな」
「面倒だな」
と、雷蔵も蛇の串を手に取り、頬張った。
咀嚼すると、脂が染み出してくる。その脂が旨味だった。塩も程よく利いている。
「しかも、夜須からも刺客が放たれたようで」
「日暮れ前に刺客に襲われた。何処からの差し金か判らないが、間違いなくあれは玄人だ」
「ほう、早速ですか」
「始末屋だろうな。凄い使い手だった。抜き打ちだけ浴びせてくると、勝負をせずに立ち去った。また襲って来るだろう」
「前門の虎後門の狼ってもんですね」
「何があろうと、やる事には変わりない」
その言葉に、貞助が頷く。
どのような妨害があろうとも、打倒利重への想いは揺るがない。それは、主を殺された貞助も同じだった。
蛇を食い終わると、雷蔵は身を倒した。目の前には夜空。星が瞬いている。それが眩しくて、目を閉じた。
「そういえば、雷蔵さん」
貞助が再び口を開いたのは、微かな眠気を覚えた頃だった。
「なんだ」
「利重を斬った後、どうするつもりでございやすか?」
その問いに、雷蔵は
(いや、考える必要も無い……)
大名を殺すのだ。生き残れるはずもない。仇討ちならば、何処かで庇護を受ける芽はあるが、これは違う。叛乱を起こそうとして志半ばで斃れた父の、遺志を継いだ藩主弑逆なのだ。この国で生き延びる場所などありはしない。ならば、利重を斬った後は、斃れるまで刀を奮うのみ。
「雷蔵さん。差し違えてもなんてのは御免ですぜ」
「……」
「あっしはお父上と深江で組みましたがね、もし自分に何かあった時はと、頼まれたんですよ。あっしという男を見込んで。だから、何があっても雷蔵さんを生かす義務があるんでさ。不義理をさせんでくれやせんか」
「煩い奴だ」
それ以来、貞助は口を閉じた。
大名を殺し、何処で生きろというのか。朝鮮か
◆◇◆◇◆◇◆◇
磐前は、かつて巨大だった陸奥国を分解して作った国である。
雷蔵と貞助は、人目を避ける為に江戸浜街道や奥州街道を使わず、その間に横たわる山岳を地帯を進んでいた。
道は貞助が先導してくれている。自分が雄勝藩にいた頃、貞助が事前に踏破し調べてくれていたらしい。何でも、いつか夜須へ帰還する事を考えての事だそうだ。
しかし敵も多く、これまでに二度の襲撃があった。
一度目は、五人組の山伏。雷蔵は一人を相手にし、残りを貞助に任せた。次は三人組の百姓で、これは手を出さなかった。
傍観する雷蔵を貞助が詰ったが、貞助の実力を見極める為には必要な処置だった。
貞助は、これらの敵を難なく片付けた。どうやら殺しが得意という放言は嘘ではないらしく、組む相手としては申し分ない。ただ、本格的な剣客相手にだと難しいだろう。要は使い方だ。背中を任せたり、陽動などには使えそうだ。
それにしても、前後左右敵だらけだ。左右からは、待ち伏せをしている始末屋や賞金稼ぎ。前からは夜須入りを阻止しようとする刺客。後ろからは黒河藩からの討っ手。
緊張の連続であるが、中々遭遇しない状況に、軽く愉悦すら覚える。
「何だか楽しそうですねぇ」
昼餉の休憩の時に、貞助が言った。
「そう見えるか?」
「そりゃ、もう。敵が現れた時なんざ、気持ち悪いぐらいニヤニヤしてますぜ」
すると雷蔵は鼻を鳴らし、燻製にした蛇肉を齧った。
「心から笑う事など忘れていたのだがな。稀有なこの状況がそうさせるのだろう」
「なら、これからもっと楽しくなりますぜ」
「ほう、それは何故だ?」
「此処らは山賊が出没する地域でしてね。夜須藩が方々の賞金稼ぎに声を掛けているとしたら、その山賊にも声を掛けているに違いありやせん」
「なるほど。だがな、山賊退治は経験済みだ。現れたなら返り討ちにしてやるまでだ」
四半刻休んで、出発した。
貞助は健脚だった。流石は忍びという事だろう。その歩みを見ていると、自分はまだまだだと思わざる得ない。
そもそも剣には多少自信を持てたが、それ以外は並みだと思っている。何でも出来た父に聞いて、積極的に学べばよかったと思わざる得ない。貞助にも学ぶべき所は、多くあるだろう。もし生き残れば、その術を学ぶのも悪くない。
先頭を歩む貞助が足を止めたのは、陽が傾きだした頃だった。
「感じたか?」
その殺気を雷蔵も感じ取った。
「来やすぜ」
その声をとほぼ同時に、銃声が鳴った。雷蔵と貞助は、弾かれたように身を屈めて巨木の陰に隠れた。
「当世の山賊は鉄砲を持っているのか」
「猟師かもしれやせんね」
不意に呼び笛が鳴った。鯨波が上がり、男達が上手の斜面から駆け下りて来た。
「山賊だ」
数は十五か六。荒くれた格好をしている。得物は刀槍の類で、鉄砲は無い。射手はどこかに潜んでいるのだろう。
「逃げやすか」
「まさか。この山を
「そいつは、重畳」
雷蔵は立ち上がって扶桑正宗を抜き払い、殺到する敵の中に躍り込んだ。
剣を奮う度に、首が舞い、血が吹き上がった。一人一人の腕は大した事は無いが、殺しには慣れているようで、攻撃に迷いはない。
五人を斬り斃した所で、銃声が轟いた。雷蔵は避ける動きをしたが、斃れたのは山賊だった。
もう一発。今度は、雷蔵の側にいた山賊が、眉間を撃ち抜かれて崩れ落ちた。
(あいつめ、良い腕だな)
どうやら、貞助が鉄砲の射手を始末したらしい。その事を悟ったのか、頭領らしき男の顔が歪んだ。
「畜生め。お前達、一旦退くぞ」
背を向けて逃げ出した山賊を、雷蔵は追わなかった。また襲ってくるかもしれないが、その時にまた殺せばいい。
「案外、腰抜けばかりでしたな」
山肌の茂みから、貞助が現れて言った。手には鉄砲を二丁抱えている。
「鹵獲したのか」
「まぁ、折角なので。どうでやした? あっしの腕前は」
「まぁまぁだ」
そう言って歩きだすと、
「たまにゃ褒めたらどうですかねぇ」
と、口を尖らせて追いかけて来た。
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