第二十一回 死す者と死にゆく者と(後編)

 牟呂四が、建花寺村に現れた。

 夜須藩に帰属するのか、抗うのか。その話し合いをする為である。場所は内住郡代官所。清記の体調を気遣ってか、わざわざ出向いて来てくれたのだ。その間の宿舎は、三郎助が急いで手配した。

 牟呂四は、山人やまうどの多くが夜須藩に加わる意志がある。しかし、条件次第だと言った。もし物別れに終われば、潔く夜須を出るという。少なくとも、抗うという手段は選ばないと、山人の総意として誓った。


「山人が、山人として生きる事が難しくなった」


 一度目の話し合いの終わり酒になった時、どうして利重の命令を受け入れる気になったのか問うと、牟呂四がそう溢した。

 幕府開闢百八十余年。揺らぎを知らない泰平故に人口は増え続け、それを養う為に農地が広がり、結果として権力の手が山の中まで及びだしたという。それはどの藩でも同じようなもので、夜須藩でも相賀の発案である地蔵台の他に、幾つかの山野で開墾が進んでいる。

 勿論、要因は他にもある。牟呂四は決して口に出さないが、山人の若者を中心に、里で暮したいと申し出る者が年々増えている。わざわざ不便な山に住みたくないと、里人との交流によって思うようになったというのだ。現に清記は、そうした山人を受け入れている。今回の命令は奇しくも、里人になる事を我慢してきた山人の心の栓を抜く結果になったのかもしれない。

 話し合いの合間には、若幽が牟呂四の所へ押しかけ、薬草について話を聞いていた。牟呂四は若幽の熱意に苦笑いを浮かべたが、いずれ薬草に詳しい者を紹介するそうだ。山人の何人かは、薬師として雇うのもいいかもしれない。若幽は若い故か、偏見というものがない。山人にも化外けがいと忌み嫌わず、深い敬意を抱いている。そうした人物は少ないのだ。

 三度目の話し合いで、清記は藩庁の役人を同席させた。牟呂四も、他の集落ムレ頭領ズメロウを数人連れている。

 藩庁の役人は、驚く事に添田が育てた青年官僚達だった。相賀とその取り巻きが来ると思ったが、どうやら利重は彼らを選んだようだ。

 話し合いの前に、少しだけ話した。添田の育てた官僚が、利重に取り込まれた事をそこで悟ったが、清記は彼らを非難する気にはなれなかった。


(彼らに必要なものは将来であり、添田様との思い出ではないのだ……)


 僅かに残った添田派には憎まれようが、それも立派な選択である。

 第三者を交えた議論は白熱した。条件の食い違いが大きいのだ。回数を重ね、六回目で集落ムレの殆どが里への定住という事で決着がついた。内住を出るのは、僅かな集落ムレと棲家を持たず山野を渡り歩く風山人カザオの衆だ。

 驚いたのは、藩庁の譲歩だ。山人の為に村を新たに造る事、名前は山人風のままで強制的に改めさせない事を認めたのだ。更にはカガンも認めた。利重が書き出したカガンに目を通し、


「これは人として当たり前の事を書いたに過ぎぬ。禁止する理由はないし、むしろ家中に示し範とせよ」


 と、言ってあっさり認めたのだ。

 その他、年貢は米作の他、獣肉や皮革でも可という事になった。また農業に慣れていない山人に指導する為に、農学者を派遣するという。清記が想像した以上の手厚い保護だ。

 牟呂四や他の頭領ズメロウは譲歩させたと喜んだが、清記には藩庁は譲歩こそしたが一方的な勝利にしか思えなかった。


「結果として、藩庁は山人を山奥から里へ引き摺り出しました。そうなれば無理をせずとも、いずれ淘汰され山人は滅びます」


 全てが終わると、雷蔵が清記の部屋を訪ねて言った。交渉の結果を牟呂四から聞いたらしい。


「何とも悪辣な手ですね。おおよそ、王者らしからぬ策謀ですが、堅実一手でもあります」


 恐らく雷蔵の言い様は間違いではない。利重は無用な混乱を避け、更に先の藩政を考えて手を打ったのだろう。山人の数は、里人に比べて少ないのだ。


「雷蔵。私はお殿様が恐ろしく思える」

「父上程の方が、あの男を」

「ああ、怖い。あの政事手腕がな。お殿様は何の代償もなく、その力量を天下に見せつけたのだ」

「それはどういう事でしょうか?」

「お前が言ったように、お殿様は山人を山奥から里へ引き摺り出した。それだけでなく、今までお目溢しされていた年貢を科したのだ。山人が年貢を科せられていない事が、百姓にとって潜在的な不満だった。そして先日の添田様の処刑。これは武士のみならず、百姓にとっても不安を煽った。勿論、藩外にもな。利景様を支えた添田様の名声は、江戸にまで響いていた。そうした時に、これだ」

「つまり、添田様処刑の不安を一掃する為にと?」

「それほどの快挙だ。そして私は、その片棒を担いだわけだ。情けないな」


 雷蔵が深く唸った。そして清記に向けた視線には、明らかな失望の色が見て取れた。


 数日後、牟呂四が屋敷を訪ねてきた。

 何故か髷を結い、武士の恰好をしている。腰には、マヤダチではなく大小の刀だ。

 清記は、屋敷の客間に通した。


「どうした? その恰好は」

「正式に士分を与えられた」

「そうか」

「お殿様に拝謁したよ。他の頭領ズメロウと共にな」


 それによれば、帰順した頭領ズメロウの全員が馬廻組に、そして牟呂四だけが大組に編入されたそうだ。表向きは帰順の功労者だからだそうだが、それだけではない、何かしらの意図があると清記は思った。


「大組か。思い切った事をしたな、お殿様も。私と同列ではないか」

「そして、俺は山人村の開拓を差配する、山人奉行に任じられたよ。これからは、山辺室衛門やまべ むろえもんと呼んでくれ」

「奉行か……。いきなりそれは凄いな。確かに、帰順した山人の世話や管理は山人がすべきと思うが。しかし、名前は山人風から改めなくていいと決まったはずではないか?」

「士分となれば、他の武士との付き合いもある。改名すると、俺がお殿様に申し出たのさ。で、お殿様から名前を賜った」

「嬉しいか?」

「……いや、悲しいな。正直、武士になって誇らしい気持ちになった。しかも奉行だ。これから、城下に屋敷が与えられる。山人の村の中にもな。それを嬉しく思う自分が悲しいのだ。山人の誇りを持っていたはずなのに」

「これからは私は何と呼べばいい?」

「室衛門でいい。もう山人の牟呂四は死んだ」


 そう言った室衛門の表情には、深い悲しみが滲んていた。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 一日に一度、村を巡察する。それが、清記の日課だった。

 晴れようが、雨が降ろうが雪が降ろうが関係はない。身体が動く限り、村とその周辺を見て回るのだ。

 今日も清記は、巡察に出た。磯田が下役を連れて行けと言ったが、それを清記は断った。一人で歩きたい、そんな気分なのだ。

 屋敷を出て村に出る途中、清記は若幽の療養所を覗いた。

 薬の独特の臭いが立ち込めている。しかも山人の薬草を仕入れるようになってからは、その悪臭も増したように感じる。通いの奉公人の中には、療養所の前を通る際に息を止める者がいるというが、その気持ちも何となく判る気がする。

 療養所に声を掛けたが、返事はなかった。仕方なく裏の薬草園へ回ると、若幽と弟子達が畝の土を弄っていた。


「清記様」


 若幽が清記を見つけ、歩み寄って来た。


「励んでいるようだな」

「ええ。山人から薬草の種を分けてもらいまして。感冒に効く薬になるとかで」

「ふむ。紹介した甲斐があったというものだ。ところで、病人はいるか?」

「いえ、療養所にはおりませぬ。百姓の太吉が腰を痛め、万次郎の娘が軽い腹痛で寝込んでいるぐらいです」

「そうか」


 百姓や家人関わらず、誰がどのような病に罹患しているのか、それを把握し報告するのも、若幽の役目の一つだ。これは流行り病を警戒して始めたものだった。


「そういえば、新入りが入りました」

「ほう、弟子か?」

「いいえ。筋はいいですが、弟子にはなりたくないようで」


 と、若幽は固まって作業する弟子の輪を指出した。

 驚いた事に、その中に手拭いで頬かむりをした貞助の姿があった。


(しまったな……)


 その時、自分が山人との話し合いに忙殺され、貞助の処遇を決めていなかった事に気付いたのだ。

 若幽が下がり、代わって貞助がやって来た。


「こりゃどうも」


 と、貞助は頬かむりを取り、一つ頭を下げた。


「薬草園で働いているのか」

「へぇ。雷蔵さんに『働かざる者、食うべからず』と言われましてねぇ。私はこれでも武士ですんで野良仕事は嫌だと言ったら、此処を紹介されやしたよ」


 貞助は、二本の大きな前歯を剥きだして笑った。


「ほう、雷蔵がな」

「立派なご子息です」

「まだまだだ」


 そうは言っても、内心では感心していた。代官所で仕事に追われていると思ったが、ちゃんと見ている所は見ているようだ。


「お前、若幽の助手にはならんのか?」

「へへ。なりませんよ。あっしは忍びですぜ」

「殺しが得意な医者がいてもいいと思ったのだが」

「変装の参考になればとやってるだけでさ。それはそうと、あっしにも仕事をくれませんかね?」

「仕事なぁ」

「働き処なんざ、山のようにありまさあ。それに薊より使えますぜ」

「お前の腕は、よく知っている。信頼に足る凄腕だ」

「なら」

「私の命に従うと誓ったはずだぞ」

「そいつを言っちゃ」

「黙れ。それにお前は武士だろう。畦利という姓を持つ。武士に二言はあるのか?」


 そう一喝すると、貞助は肩を竦めた。


「判りやしたよ、旦那。暫くは大人しくしておりやす。でもね、旦那。あっしが仕事をしたいという事は覚えていて下さいね」


 そう言って貞助が薬草園に戻ったので、清記も村へと降りた。

 一刻掛けて、村の中を見廻った。行く先々で百姓と言葉を交わす。こうした機会に、相談や苦情を受ける事があるのだ。今日はどれも他愛もない世間話だった。

 村の外に出たのは、辺りが茜色に染まった頃だ。戻ろうかと思ったが、少し歩きたい気分だった。


(美しいものだ……)


 黄金の稲穂が、夕陽を浴びて輝いている。今年の作柄は良好だと、磯田が言っていた。

 夜須の百姓は純朴で、真面目だ。自分達が米を作らねば、世の中の全員が飢えると思っている。その気概こそ尊いもので、本来武士も持つべき信念だ。しかしその武士も、今や腰抜け揃い。最近では勘定方の役人が、ヤクザに袋叩きにされたという。長い泰平が、武士をこうも堕落させたのだ。

 その中で、利景は稀有な存在だった。利重もそうなるかもしれない。名君の資質はある。それは判ってはいるが、仕える事が出来ない。武士道とは、人を縛る鎖のようなものだ。

 暫く田畑を見て回っていると、道の向こうに氣を感じた。

 殺気だった。それを、隠す事は無い。清記は歩みを速めた。

 人影が見えた。三人。何か喚ている。朝賀の仇討ちだろう。腕の程は判らないが、彼らの剣名など聞いた事も無い。

 斬るべきか、追い払うべきか。清記は迷いながら腰の扶桑正宗に目を落とした。

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