最終回 末路

「ご苦労だった」


 呆然とする雷蔵に声を掛けたのは、大柄の黒毛馬に跨がった犬山兵部だった。

 陣笠に陣羽織という、物々しい出で立ちをしている。


「御別家様……」


 雷蔵は慌てて頭を下げた。


「そう固くならんでよろしい」


 兵部が馬を降りるなり、笑顔を雷蔵に向けた。その笑みには、穢れを知らぬ少年の無垢さがあり、雷蔵は慌てて目を伏せた。


「我々は殿の護衛で先発していた。途中、君の姿を密偵が見付けたのだ。もしやと追わせると、堂島がいたというわけだ」

「そうですか」

「怪我は無いだろうな?」

「はい」


 傷はというと、刀が頬を掠めたぐらいだ。それも唾をつけておけば治る。


「また武功を挙げたな。殿には私から報告しておこう」


 と、兵部の大きな手で背中を叩かれた。


「有り難きお言葉……」

「うむ。だが」


 横に並んだ兵部が、雷蔵を見据えた。


「何か言いたいようだな」


 急に鋭い声色になった兵部の言葉に、


「そのような事はございませぬ」


 と返したものの、背中に冷たいものが流れる心地がした。兵部は、自分の表情や口調から、堂島を射殺した事による不快感を感じ取ったのかもしれない。


「何故に撃ったのかと、聞きたいのだろう?」

「……」

「尋常な立ち合いを邪魔しやがって、とも」


 雷蔵は少し迷った後で、


「ええ」


 と、正直に答えた。

 嘘を吐いた所で、この人は見抜くはずだ。それに兵部の人となりを考えると、それで不興を被る事も無いだろう。仮に不興を被っても、それは仕方ないと思うしかない。


「ふむ……正直でよい。誰か、江上を呼べ」


 兵部は傍に控える武士に命じた。


(江上?)


 あの江上八十太夫か。父が江戸で斬ったという弥刑部の遺児であり、兵部の側近を務めている。


「最初の二発を撃ったのが、この男だ」


 二十を幾らか過ぎた武士が前に出た。爽やかな色白の男で、鉄砲を肩に担いでいる。

 八十太夫は雷蔵の目の前に立つと、一つ頭を下げた。


「江上八十太夫と申します」

「平山雷蔵です」

「まず、立ち合いを邪魔した事についてお詫びします。しかし、状況が切迫しておりました。堂島は必ず仕留めねばならない罪人。雷蔵殿の立ち合いは、息を飲む素晴らしいものでございましたが、お殿様のお命を守るのが第一でございますれば」


 八十太夫の言葉に、有無を言わさぬ揺るぎない力が篭っていた。もとより、利景の命を引き合いに出されると返す言葉も無い。


「どうだ、許してくれるか?」


 兵部が訊いた。


「許すなど。こちらこそ、助かりました」


 蜂の巣になった堂島の身体が、戸板に乗せられ運ばれてきた。見るも無残な姿だが、死に顔は何故か安らかだ。


(これが、末路か)


 死ぬ事で、人斬りの禊がなったと思ったのだろうか。或いは、宿命から解放された安堵か。


(ん?)


 不意に兵達が騒ぎ始めた。何者かが現れたようだ。


「如何したのです?」


 すかさず、八十太夫が駆け寄る。そして八十太夫は、すぐに道を開けるように命令した。

 現れたのは、父。平山清記だった。


「おお、内住代官殿も来ていたのか」


 兵部が声を挙げ、清記を迎え入れた。


「愚息が心配になりまして」

「見掛けによらず過保護だな」

「いやいや、お恥ずかしい限りでございます」


 清記が穏やかな笑みを見せた。


(何をぬけぬけと……)


 雷蔵は、冷ややかな目を、清記に向けた。

 心配だと。この人は、息子に嘘を吐いたのだ。念真流は授けていない、と言いながら、堂島は朧も落鳳も知っていた。


「見事にやってくれた。ご子息がいなければ、堂島を討ち果たす事は出来なかったかもしれぬ」

「過分なお言葉です」

「立ち合いも素晴らしいものがあった。大事に育てられよ」


 それから兵部は、撤収の命令を出した。その動きは無駄がなく、指図役が兵部の下で上手く兵をまとめている。これが、例の銃兵隊というものか。


「平山様」


 撤収で慌ただしい中、八十太夫が駆け寄って来た。


「如何した?」


 清記が一瞥して言った。


「平山様にも、御手先役のお邪魔をした事を謝罪せねばと思いまして」

「何も気に病む必要はない。お互い御家と御役目を大事と思っての事だ」


 清記の言葉を聞いて、八十太夫はホッとした表情を浮かべた。


「良かった。ご理解頂きありがとうございます」

「何の、何の。しかし、見事な腕前だった。亡き父上も、成長した息子の武者振りを喜んでおろう」


 亡き父上。その言葉に反応したのか、八十太夫は一瞬真顔になったが、直ぐに今までの笑顔を取り戻した。


「嬉しい言葉です。私は、弥刑部のような武士になりたいと励んでおりますので」

「そうか。素晴らしい事だな」


 雷蔵には、父の発言が挑発に思えた。弥刑部は父が殺した。つまり八十太夫にとって父は仇であり、その仇が弥刑部の名前を平然と、昔の友であったかのように出したのだ。父は、そうする事で八十太夫を問うたのかもしれない。自分を恨んでいるのか? と。


◆◇◆◇◆◇◆◇


「見事だったぞ雷蔵」


 八十太夫が去って二人になると、清記が肩に手を置いて言った。


「いえ。私が斬ったわけではありませんので」

「江上に邪魔をされたのだな?」

「救ってもらったのかもしれません。堂島の片腕を切り落としたとは言え、手負いの虎こそ怖いものはございませんから」

「そうか。しかし、その銃口はお前にも向いていたかもしれんぞ」

「父上、御冗談を」

「どうかな。二発目は、お前を押しのけた堂島に命中した。つまりは、そういう事だ」


 雷蔵は、去りゆく銃兵隊を見据えた。もうその姿は小さくなっている。


(なるほど……)


 父が、以前に江上八十太夫を覚えておけと言ったのは、命を狙う敵だと知らせる為だったのかもしれない。当然、今後も八十太夫には気を付けなければならないだろう。


「しかし、私は父上からも殺されそうになりましたよ」

「ほう……」


 清記が、些か驚いて雷蔵に顔を向けた。


「父上は堂島に念真流を授けていないと言いましたね。ですが、堂島は朧も落鳳も知っていましたよ」

「だから何だと言いたいのだ?」

「父上は、私を殺そうとしたと言いたいのです」

「念真流と立ち合う経験が出来た、と思えないのか? まさか、父と立ち合うわけにもいくまい」

「お役目ならば、斬りますよ。それは父上も同じでしょう」


 そう言うと、清記は鼻を鳴らして話題を変えた。


「どうやら堂島は、黒河藩と結託していたようだ。しかし、仲違いしたのだろうな。八木山の山中に、黒河藩士と思われる者の骸が残されていたそうだ。だが数名は逃亡したらしく、目尾組が追っている」


 今更どうでもいい事だった。堂島が黒河藩と組んでまで為そうとした気持ちも判る。今の雷蔵には、堂島への同情しかなかった。


「雷蔵」


 名を呼ばれ、雷蔵は清記に視線を戻した。


「眞鶴を斬れ」

「え?」


 突然の言葉に、雷蔵は驚きの声を挙げた。


「斬れ、と言った」

「斬れと。私に眞鶴を斬れと仰るのですか?」

「そうだ」

「それはお役目ではないですよね。父上の命令だけならば、私はお断りします。それに、どうして眞鶴を斬らねばならないのか解せません」


 そう言うと、清記が少し意外な顔をした。今まで斬れと言われれば、何も言わず斬ってきたのである。意外と思うのも無理はない。


「眞鶴は、黒河藩の隠密だ。いや、若菜村自体が黒河藩の拠点だったと言ってもいい。何代にも渡って築かれたのだろう」

「俄かに信じられませぬ」

「まだあるぞ。眞鶴の亡夫は、夜須勤王党の志士だった。そしてお前が鶴三緒屋で見た男も、またそうだ。眞鶴は、黒河藩と夜須勤王党を結び付けていた存在だ」

「嘘だ」


 愕然とした雷蔵は、必死に言葉を絞り出した。


「お前は、両替商の鶴三緒屋から出てくる二人を見掛けたであろう。鶴三緒屋の主人は黒河の生まれで、勤王党に資金援助をしていた。そして、若菜村の庄屋もだな。今は獄で、二人仲良く石を抱いている」

「そんな事」


 嘘だと信じたい。父は、眞鶴と別れさせる為に、虚言を弄しているのだ。事実、父は一度自分を騙した。そんな父を信じられるはずはない。


「これならどうだ?」


 そう言うと、清記は懐から書付を差し出した。


「これは」


 眞鶴の文字。流麗で芯のある、紛れもない眞鶴の字だ。その筆で、真崎惣蔵の事や藩の内情に関する事が記されてあった。それ以上に、驚く事が書かれてあった。

 その文中には、平山雷蔵という名が記されていたのだ。


「……」


 雷蔵を篭絡し、情報を引き出させるよう努める。いざとなれば、附子ぶす(トリカブト)を用いて殺すともあった。


「騙されたな、見事に」


 同情も労りも侮蔑すらない、冷たい清記の言葉に、雷蔵は何も言えなかった。

 愛していた。眞鶴も愛していると思っていた。しかし、眞鶴は愛してはいなかった。黒河藩への忠誠と亡夫への愛の為に、我が身を捧げていたに過ぎない。


「眞鶴をどうするかで、お前の今後が決まる。私は斬れと言ったが、それに従うかどうかの判断は、お前に任せる。これはお役目ではないのでな」


 清記はその言葉を残して去ると、雷蔵は独りになった。薄暗い不動尊。先程までの闘争が嘘のようにせきとしている。

 選択肢は無かった。眞鶴は、藩政をいたずらに乱す叛徒の走狗いぬ。そうした者には、罰を与えねばならない。そして、それを遂行するのが御手先役である。

 お互い様だ。そう思うと、笑えてきた。雷蔵も勤王党を狩っていた事実を隠していたのだ。しかし、眞鶴が一枚上手だった。

 つまり、これが眞鶴との運命であり、この末路しか二人にはなかった。


「望み通りに斬ってやるさ」


 鋭い殺意を抑えながら、かつて愛した女のもとへと、雷蔵は歩みだしていた。

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