第十五回 獣肉

 夜須城下の東、吉原町の裏路地に太郎小路はある。

 酒気と汗の澱んだ空気が漂い、路傍では乞食だか浪人だかつかぬ酔客が潰れ、年増の私娼が客引きに勤しんでいる。まるで、有象無象の吹き溜まりである。


(何故、斯様な場所に)


 そう訝しみながらも、雷蔵は〔八ツ造〕と印された赤提灯を見つけた。小さな店が肩を寄せ合って立ち並ぶ中で、その外観は比較的大きいように見える。

 戸を開けると、威勢の良い店主の声と焼けた獣肉の臭いが雷蔵を迎え入れた。串焼きの店だった。肉食はあまり一般的ではないが、海の無い夜須では、焼いたり煮たりとそれなりに食べられる食材である。

 店内は吹き抜けの二階造り。一階の土間は満席に近いが、添田の姿は無い。むしろ、


(このような場末に、御家老がいるのか?)


 とも思うぐらいだ。

 見た感じでは、下士や町人相手の店で、上士のような身分ある者が来るような店ではない。


「おい、こっちだ」


 頭上から声がした。見上げると、手だけが見えて上に来いと手招きしている。添田であろうか。雷蔵は店主に目配せし、階段を上がった。

 吹き抜けの二階は座敷になっていた。その隅の席に、添田甲斐がいた。他に客はいない。


「よく来てくれた」


 添田は、口元だけに笑みを浮かべた。格好は、気儘な着流し姿である。城中や別邸で見たような立派なものではない。柄も色も地味なもので、質感も安っぽい。


(これでは、どちらの身分が上か判らぬではないか)


 雷蔵の着物も地味ではあるが、質は高級であり上品さというものが滲みでている。こうした着物は三郎助が見繕ったもので、雷蔵が高級品を選んでいるわけではない。


「まぁ、座れ」


 添田は、卓の向かい席を顎でしゃくった。


「随分とお待たせしたようで、申し訳ございませぬ」


 雷蔵は、座るなり頭を下げた。


「いや、構わぬ。儂が先に来ていて始めていたのよ」


 着流しの首席家老は、猪口を煽った。そして、また手酌で注ぐ。その所作は堂には入ったもので、この男が夜須二十六万石の宰相だとは到底見えない。むしろ、ただの呑兵衛だ。


「しかし、どうして儂が待っていたと判った?」

「卓の上を見ました」


 卓上には、銚子が二本と串焼き、冷や奴が並んでいる。しかも、食べた後の串が三本。これを見て、暫く待たせていたと判断したのだ。


「なるほど。腕っ節だけの馬鹿ではなさそうだな」


 そう言って笑った添田の笑みには、人を小馬鹿にする冷笑的なものが含まれている。

 添田の皮肉屋な人柄や毒舌ついては、父からも三郎助からも聞いていた。故に、嫌う者が多いというが、同時に師と仰ぐ者も少なくない。添田の力量は、名君を支える軍師として藩外にも知れ渡るほどなのだ。


「雷蔵、飯はまだであろう?」

「はい」

「なら頼むぞ」


 添田は下に顔を出し、


「串焼きの旨い所を適当に持ってきてくれ」


 と、頼んだ。階下から店主の声が返ってくる。


(贔屓にしているのだな)


 添田も慣れていれば、店主も家老に対する遠慮はない。


「飲め」


 添田が銚子を差し出したので、雷蔵は酌を猪口で受け呷った。腹に染み渡る酒だった。酒は飲むようになったが、本当に旨いと感じられるほどにまでは慣れていない。


「驚いたろう? こんな場所で」


 添田が訊いた。


「ええ、正直」

「ここはな、儂の馴染みの店なのだ」

「斯様な店がですか?」

「ふふふ。そうだ」


 階下からは、酔客の下品な笑い声が聞こえる。かなりの盛り上がりようだ。上士の武家が馴染みにするような店ではない。


「儂はな、元々浪人よ」

「ええ」


 その話は有名だった。雷蔵は盃を置くと、視線を正面に向けた。添田が不敵な笑みを見せている。


「生まれは、九州は長崎。駄賃欲しさにオランダ商館で下働きをし、その合間に語学・数学・工学・法学・商学を学んだ」

「添田様は蘭学で高名だと、父に聞いております」

「ふむ。その私が夜須藩に雇われたのは、商館長カピタンの妻に手を出したからだ。いい女だったのだ。豊満で、抱けば白い肌が紅潮した。だが、商館長カピタンにばれると、雇われた破落戸ごろつきに追われてなぁ。それを救うという条件で、私は夜須藩に学者として雇われた。そうでなければ、こんな辺鄙な山奥になど来る事はなかった。だが、浪人が一代で一藩の宰相とは、どこぞの太閤様には及ばぬが見事な立身出世だろう?」

「……」

「これも、お殿様があっての事だ。利景公が儂を引き上げてくれた」

「確かに。と、雷蔵は頷いた。利景の慧眼が無ければ、このような立身出世は有り得ない」


 店の女が、串焼きを運んで来た。タレに漬け込んだものや、塩を振りかけたものもある。


「獣肉は嫌いか?」

「いえ、好きです。宇美津への旅でかなり食べました」

「ほう。何を食べた?」

「兎、野鳥。鹿や猪も食べました」

「鹿や猪は狩ったのか?」

「いえ、山人やまうどから購いました。山深い所には、そうした民がいるのですよ」

「らしいな。だが、儂には縁がない。して、その肉は旨いのだろうな」

「焚き火で焼きます。荒塩を塗し、遠火でじっくりと。新鮮ならば刺身で食べる事が出来ます。肝臓も」

「ほうほう。こりゃ、聞くだけでも涎が出る。だが、ここの串焼きも負けず劣らずだ。さぁ食え」


 雷蔵は、促され串焼きに手を伸ばした。鹿肉の串だ。まずはタレ。黒に近い色合いで、甘辛い。次も鹿肉で、粗塩が振ってある。肉の旨みを引き出すぐらいで、ちょうど良い。


「どうだ? 旨いか?」

「予想以上に」

「そうだろうて」


 添田は、満面の笑みで猪口を口に運んだ。


「して、お前を呼んだのは他でも無い堂島の事だ」

「はい」


 雷蔵は箸を置き、背筋を伸ばした。


「ここ最近、色々と動いているようだな」

「ご存知なのですか?」

「城下には、儂の眼になる者がいるからの」

「なるほど。流石は添田様」


 と、雷蔵は感心した。藩政を取り仕切る者は、このぐらいはないといけない。


「世辞はいい。何を調べていた?」

「それもご存知ではございませぬか?」

「小癪な若僧だのう。愛嬌無しは、父親譲りか」

「よく言われます」


 雷蔵は即答した。微かな酔いが饒舌にさせている。


「儂は、自分の耳目しか信じぬ。つまりな、お前の口から報告を聞きたいのだ」


 添田が、酒で赤らんだ顔を雷蔵に向けた。多少酔ってはいるだろうが、眼は真剣な眼差しである。


「堂島が、どうして夜須に戻って来るのか。堂島という男を知る事で、その理由を見極めようとしました」

「ほう」

「逃げようと思えば、西国にでも逃げられたはずです。そうなれば、我らの手での捕縛も不可能に等しいはず。しかし、それでも堂島は、捕吏が待ち構えている夜須に戻る選択をしました。つまり、夜須に戻らねばならない理由があるのです。そして、その理由さえ判れば、堂島を待ち伏せする事も可能だと」

「それで、許斐亘と斉木利三郎を訪ねたわけだな?」

「はい」


 二人の名が出た事に、雷蔵は驚かなかった。探索していた事を知っていたのなら、誰を訪ねたかぐらいは掴んでいて当然である。


「何か判ったのか?」

「両者には、堂島に斬られても仕方がない遺恨がありました。許斐殿は、堂島に暗殺を指示した上役。そして斉木殿は、友でありながら、堂島が長年慕っていた美弥という女を奪いました。もとより、美弥は堂島より斉木殿を慕っていたようですが」

「それで、お前はどちらだと思う?」

「正直、迷っております。二人共、『堂島は自分を斬りに来る』と言い出す始末ですし」

「自分を斬りに来る、か……」

「どちらの遺恨も、理由として十分なものがあります。もし私が堂島だとして、口封じに殺されそうになれば許斐殿を斬るでしょう」

「女を友に奪われたら?」

「……斬りはしないでしょうが、一発は殴ってやりたいですね。ただ、世には女に狂った者もいます。堂島もその口である可能性もあります」

「なるほどのぅ……」


 と、添田は銚子を傾けた。串焼きもう全て平らげ、酒の肴は豆腐や漬物だけになっている。


「それに、一つ加えぬか」

「何をでございますか?」

「藩そのものへの遺恨。自分に人斬りを命じた藩に対して。……藩、即ちお殿様の事だ」

「まさか。流石に城に斬り込むような真似は」


 すると、添田は如何にも軽薄な笑みを口元に浮かべた。


「城では無理だわな。城では」


 雷蔵は思わぬ話の展開に、次の言葉を待った。


「二日後、先代藩主利永公の御命日だ」

「……」

「あくまで可能性の一つである。ただな、目尾組が堂島を発見したのだ。八木山峠やきやまとうげでな」


 雷蔵は脳裏に、夜須藩の地図を思い浮かべた。


(確か、南か……)


 八木山峠は夜須藩境にある峻険な峠である。この峠を越えると砥石山があり、その裾野を通って城下に続く道がある。


「南だな。網を張っていた南山道みなみせんどうより遥かに」

「ええ」


 南山道に網を張る。夜須に生まれ育った堂島ならば、そこで待ち伏せしていると考えるのは当然の事だ。


(だが、どうして八木山峠なのだ……)


 と、いう疑問が湧いた。

 南には、砥石山など険しい山道があり、城下へは遠回りになる。


(と、すると、険しいから見つからないと思っているのか……)


 そんな安直な理由とは思えない。とすると、南に目的とする何かがあるのではないか?


「雷蔵」


 推理を遮断するように、添田に名を呼ばれた。


「城下の南には何がある?」

「南ですか……」

「砥石山の手前に、馬敷村って村があるのだがな」

「もしや」


 雷蔵は、絶句した。


「……栄生家菩提寺、東光寺」


 堂島も伊川郷士ながら、夜須藩の一員。利永の命日に、決まって利景が東光寺を訪れるのは当然知っているはずだ。


「まさか、堂島は本当にお殿様を」

「さぁな。しかし、堂島は南で発見された。八木山峠から馬敷村までは二日もあれば事足りる。そして、利永公の命日は二日後」

「堂島の狙いはお殿様なのですか」

「あくまで可能性の一つだがな」


 雷蔵は、手元の盃を煽った。


(しかし、堂島が畏れ多くも、お殿様をしいするというのか)


 可能性が無いわけではないが、俄に信じられる話でもない。当然警備も厳重で、そこに単身斬り込めば犬死である。だが、


(殿の御命は何よりも尊い)


 役目から外れるが、利景を守る事を最優先にするべきであろう。


「私も、お殿様の護衛の列にお加え下さい」


 雷蔵は、後ろに身を引いて平伏した。


「ならぬな」

「何卒」

「雷蔵、極論を申せば、お前は堂島だけを斬ればよい。許斐や斉木を守る必要はない。無論、お殿様もだ」

「しかし」

「勘違いするなよ。お前は御手先役。つまりは、刀だ。それを使うのは、お殿様であり執政。お前は、命じられた事だけを遂行すればよい」


 雷蔵は、下唇をグッと噛み締めた。腹立たしい物言いだ。しかし、正論でもある。


(御手先役に心は無いのだな……)


 判っていた事だ。言うなれば、堂島と同じ人斬りという名の犬である。

 雷蔵は、表情を消しながら面を上げた。


「そう、怖い眼をするな」


 添田が苦笑する。


「申し訳ございません」

「心配せずとも、殿には十分な護衛を付けている。お前は堂島を斬る事だけを考え、心のままに動くがいい。それが、この添田甲斐からの命よ」

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