第十三回 恋敵
許斐亘の他に、もう一人会っておかねばならない男がいる。
伊川郷士である堂島とは身分を越えた付き合いがあり、光当流山田道場の同門としても腕を磨き合った仲だと、廉平の報告にあった。
(是非、会って話は聞きたい)
特に、堂島の剣について。そう思い立ち、
まだ陽が高い。昼下がりだが、かなり暖かくなっている。微かな汗さえ感じる陽気だ。
斉木邸を訪ねるのは、これで二度目だった。昨日、許斐に会った後に立ち寄ったが不在だったのである。
訪ないを入れた雷蔵は、床の間に鯉の水墨画が飾られた部屋に通された。水差しには季節の花。名前は判らないが、淡い紫の花を咲かせている。
「失礼いたします」
女が障子を開けて平伏し、茶を運んできた。
「斉木利三郎の妻で、
「平山です」
雷蔵も、会釈をして返した。
美弥は、二十になるかどうかの若い女だった。色は白く、眉は下がり気味で温和な印象がある。多少の肉はついているが、肥っているという感じはない。寧ろ、それが女らしさを醸し出している。
(花はこの女の趣味だろう)
と、雷蔵は思った。
「お茶をお持ちしました」
穏やかな声だった。そこに、この女の持つ優しさを感じる。
「ありがとうございます」
「斉木は間もなく参りますので」
「いや、お気遣いなく」
美弥と入れ違いで、斉木利三郎が現れた。
若く、背の高い男だ。体躯は筋肉質で、小さな顔とは見事に均整が取れている。ただ、爽やか過ぎている、と雷蔵は思った。武の香り、或いは許斐が放つような獣臭が斉木には無い。真剣での斬り合い、つまり修羅場を経験していないように見える。
「あっ」
と、先に声を挙げたのは、斉木だった。
「あの時の……」
「何か?」
「ほら、二の丸で。相賀舎人様が来た時に脇に寄せた」
そこまで言われ、雷蔵は思い出す事が出来た。
猪俣八衛門に面会した帰り、二の丸で相賀と行き当たった。その時に脇に寄れと声を掛けてくれたのが、この斉木だった。
「何と。あなたが、平山雷蔵殿でございましたか」
「あの折は、色々とご教示をいただきありがとうございました」
雷蔵が頭を下げると、斉木は恐縮してそれよりも更に深く平伏した。
「いえ、左様な事はございませぬ。改めて、私は斉木利三郎と申します。先日は折角お越しになられたというのに申し訳ございませね」
と、昨日の不在を丁寧に詫びた。
「謝罪には及びません。私が突然訪ねたのですから」
「いやいや、本来ならば私からお伺いしなければならないというのに」
「お気になされないで下さい。斉木殿は、私より年長であられます。私から出向く事はおかしくありません」
そう言うと、斉木はただ頭を下げた。
身分では、馬廻組の斉木に比べると雷蔵の方が遥かに上であり、この様な態度を取るのも無理のない話だ。しかし、雷蔵は未だ十六の若僧である。父からも身分に奢るなと、厳しく何度も言われている。
「して、私に何かご用でございましょうか?」
斉木は、声色を低くして訊いた。代官の嫡男が訪ねる。それだけで、ただならぬ事態だと察知したのだろう。
雷蔵は一呼吸の間を置いて、
「堂島丑之助の件です」
と、告げた。
「丑之助の?」
意外な顔をした。雷蔵はそれに頷く。京都での一件を知らないのであろう。
「何も耳にしていないのですか?」
「え? ええ」
斉木は怪訝な表情で頷いた。
(知っているものだと思っていたが)
ここが、自分の未熟さだ。思い込みの想定で話を進めていた。
(さて……)
雷蔵は、視線を斉木から逸らした。
斉木に打ち明けるべきか。事は藩の秘事である。斉木は、堂島の親友。堂島に協力する可能性も有り得る。だとすれば、簡単に打ち明けるべきではない。添田からは他言無用と言われたが、必要に応じては明かしてもいいと、父から許可は得ていた。ただ、それは必要に応じてだ。そう思うと、これは必要なのか? とも、思う。
(しかしだ、ここで知らせないとすると)
斉木は、不信に思い独自に調査するであろう。ともすれば、そこから広まる可能性があるのではいか。それに緘口令を敷いているにしても、この件が知られるのも時間の問題とも思う。武士の口は閉じれても、民衆までは出来ない。
「これから話す事は、藩の秘事です」
雷蔵の言葉に、斉木の表情が固まった。
「他言無用でお願いします」
「かしこまりました」
「もし漏らせば、斉木家がどうなるか。そこまでは言わずとも判るでしょう」
斉木が頷くのを確認し、雷蔵は堂島の一件を話した。京都で何をしていたのか、そして遁走した事実も。ただ、藩庁が粛清しようとした事実だけは伏せた。
「そうだったのですか」
神妙な顔で聞き入っていた斉木は、一つ深い溜息を吐いた。
「丑之助が京都でそのような事をしていたとは。私は思いもしませんでした」
「無理もありません」
「上洛する前日、私は丑之助と酒を飲みました。彼とは身分は違えど、親友だったのです。剣の技を磨きあった」
「存じております」
「京都で出世して、婆様に楽をさせるのだと張り切っておりました」
と、斉木は眼を伏せた。
「私は、堂島殿を斬らねばなりません」
そう言うと、斉木が顔を上げた。
「執政、添田甲斐様からの命令です」
斉木の表情が一際厳しいものになった。
「そこで、斉木殿に堂島殿の剣がどのようなものであるかお聞かせ願いたくお伺いしたのです」
「そういう事でございますか……」
「申し訳ない」
「それより、平山殿。その若さで、討っ手のお役目とは」
「私は建花寺流の宗家。百姓剣法ですが、剣客の誇りはあります」
「なるほど。そのお覚悟があるのでしたら」
斉木は立ち上がると、障子を開けた。
「丑之助とは、いつも竹刀を打ち合っていました。あいつの剣は、この身体には嫌でも染み付いています」
「試す、という事ですか?」
「論より証拠と申します。失礼でなければ」
「かまいません」
二人は、縁側から小さな庭に出た。
美弥の趣味なのか、様々な種類の花が植えられている。水差しに活けられた花は、ここから摘まれたのだろう。
「これをお使い下さい」
竹刀を手渡されると、四歩の距離を空けて向かい合った。
「丑之助の剣は、徹底した返しにあります。つまり、守勢の剣」
「守りに徹する剣ですか」
「ええ。相手の攻めを見極め、そこから反撃をする。完全な守りから勝機を見出だす剣です。ただし、それを出すのは窮地に追い込まれてからですが」
斉木の物言いは、指導者のような風がある。実戦よりも、道場の師範に向いているのかもしれない。
「平山様、軽く打ち込んで下さりませんか」
「はい」
雷蔵は正眼に構えた。斉木も正眼だ。
雷蔵が気勢を挙げて打ち込む。すると斬撃は弾かれ、首筋に斉木の竹刀が伸びていた。
「もう一つ」
斉木が頷く。今度は突きを放った。少し、力を込める。斉木を試したい、という気持ちが何処かにあった。だが切っ先をいなされ、次の瞬間には小手、首筋に竹刀を添えられた。
「ほう」
と、雷蔵は口を鳴らした。中々の剣だ。竹刀での試合ではかなりのものだろう。
(だが、怖くない)
鬼気迫るものが足りないのだ。それが斉木の、お稽古剣術の限界かもしれない。
「斉木殿。守勢というのは見せ掛けですね」
身体を引いて、雷蔵は言った。
「いかにも。自ら攻めはしませんが、相手が打ち込むと恐ろしく攻勢になる。丑之助は、三百通りの返しがあると豪語しておりました」
「凄い。だが、こちらから攻めなければ返しもないでしょう」
「ですから、丑之助は『これは』と思った相手には、ひたすら待ちます」
「なるほど」
守勢の剣。それは判った。しかし、堂島は父に鍛えられ、京都で人を斬り経験を積んだ。今はもう違う剣になっているはずだ。
(人を斬れば、剣は変わる)
守勢の剣に磨きをかけたか、或いは別物の剣になったか。
竹刀を起き、縁側に座った。すかさず、美弥が茶を運んで来る。
(よく気が利く女だ)
と、思った。茶も冷たく、この陽気にはありがたい。美弥が立ち去ると、斉木が真剣な表情を雷蔵に向けた。
「丑之助を討つというお役目、私に譲って貰えませんか?」
「譲るですと?」
「丑之助は私の友。彼を
「気持ちはお察し致します。しかし、これは添田甲斐様直々のご下命ですので」
「やはり無理ですか」
斉木はそう言って天を仰いだ。
「申し訳ございません」
譲れるものなら、譲ってやりたい。だが、斉木の力量では堂島を斬れないだろう。それにこれは御手先役の役目でもある。
「しかし、平山様。丑之助は私を斬りに来ますよ。京都から逃げたのも私を斬る為だと思います」
雷蔵は、驚いて斉木に顔を向けた。微かな笑みが顔に浮かんでいる。それは笑っているのではなく、何かを覚悟した顔だ。
「驚きましたか」
「ええ」
雷蔵は、素直に頷いた。
驚くに決まっている。斉木が、許斐と同じ事を言うのだ。お互いが、堂島は自分を斬る為に夜須に向かっているのだと。
「番頭も同じ事を言っていた」
という言葉が、喉まで出掛かった。言えばどんな反応をするだろうか? と思ったが、そこまで斉木に明かす必要はない。
「お恥ずかしい話ですが、私が丑之助が惚れた女を奪ったのです」
「美弥殿の事ですか?」
驚きながら訊くと、斉木は微かに頷いた。
「美弥は足軽の娘で、道場の傍に住んでいました。ご覧のように優しい女で、丑之助はずっと惚れていました。しかし、美弥は丑之助ではなく私を好きだと言い、私も美弥に惚れていました」
「それで、堂島のいない間に夫婦になられたのですか?」
雷蔵の言葉に、斉木は目を伏せた。別に非難するつもりはなかったが、意図せずにそうした響きになっていた。
「有り体に申し上げれば、左様にございます」
「堂島はそれを知っているのですか?」
「手紙で伝えました。そして、正直に詫びました」
「返事はありましたか?」
斉木が首を振り、
「いえ、ありません」
と、力無く答えた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
屋敷を出ると、雷蔵は暫く歩いた。
別に行く宛てはない。ただ考えを巡らしたかった。その為に歩いている。じっとしているより、歩いている方が、頭が回る。それは、昨年の旅で気付いた事だった。
(どうしたものか……)
堂島という男を知る為に、二人の男に会った。許斐亘と斉木利三郎。身分こそ違う二人が口を揃えて、自分を斬る為に戻ってくると、言うのだ。
嘘や冗談ではない事は、顔を見て判った。だとすると、不思議である。不思議だが、理由を聞けば有り得ない事ではないと思う。遺恨が一人に一つだとは限らないのだ。
だだ、
(どちらの遺恨が本命なのか?)
である。
抹殺を進言した男か? 惚れた女を奪った男か?
それを見通す事が出来れば、城下に現れる堂島を待ち伏せする事も可能である。殺したい者が二人いるとしたら、まず初めに本命を始末する。それが刺客の習性であり、流儀というものなのだ。二番手から殺す事は、特別な理由が無い限りはまず有り得ない。
(もし、俺が堂島だったらどうするだろうか)
添田や相賀の命令で人を斬り、その口封じに刺客を差し向けられたならば?
(斬るだろうな)
ああ、斬る。斬りに斬ってやるだろう。でなければ、武士の一分が立たない。唯々諾々と、その宿命を受け入れる事はしない。
では、女を取られたとしたら?
眞鶴の凛とした横顔が脳裏に浮かんだ。もし、眞鶴が他の男に取られたら、
(諦める)
というより、その他に術はない。眞鶴にも眞鶴の気持ちがあり、愛してくれと強制する事は出来ない。もし自分よりも好きな男が出来たというなら、そっと身を引くべきである。それが、彼女の幸せにもなろう。
しかし、堂島が必ずしもそう考えるとは限らない。世の中には、逆恨みして刀を抜く男も多いという。
気が付けば、街並みが茜色に染まっていた。
武家地を抜け、
(そろそろ帰るか……)
遅くなると、奉公人が心配するだろう。雷蔵は来た道を戻ろうとすると、思わぬ顔を見つけた。
眞鶴である。商家から出て来た所だった。雷蔵は、すかさず屋号に目をやった。
〔両替商
確か、江戸から流れてきた、新興の呉服商である。
(何ぞ用事があったのだろう)
声を掛けようと、足を一歩踏み出した。だが、二歩目の足は前に出なかった。
連れがいたのだ。若い武士だ。総髪で、藍色の着物を爽やかに着こなしている。
雷蔵は息を飲んだ。誰なのか。二人は、肩を寄せ合い、談笑して歩いている。追うべきか。束の間だけ迷い、雷蔵は踵を返した。
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