第十二回 証言

 首が五つ並んでいた。

 夜須城の堀に掛かる橋の袂に設置された、獄門台。一晩飲み明かした若宮屋敷からの帰りの事だった。

 首を守る非人を横目に通り過ぎようとした雷蔵は、その首を一瞥して思わず足を止めた。

 五つの首は、辻町四つ角で見かけた尚武塾の塾生達であったのだ。あの後に捕縛され、斬首されたのだろう。

 獄門台の捨札は、五人の罪状が書いてあった。

 真崎惣蔵の殺害した咎――。


(つまり、そういう事か)


 添田甲斐と相賀舎人は、真崎惣蔵の殺害を画策しただけでなく、その罪を尚武塾の塾生に着せる事で、潜在的な叛乱分子を全て摘み取る荒業をやってのけたのである。

 素晴らしいほどに、汚い謀略である。嫌悪感すら覚えるが、その片棒を担いだのも自分。彼らの行為を非難する刺客はない。それに、政事は綺麗事だけでは立ち行かないものだという事は、宇美津への旅で嫌というほど学んだ。


「正義など、無いな」


 雷蔵は独り言ちに呟き、口元を微かに緩めた。


(さて、始めるか……)


 雷蔵はその前に腹拵えにと安い食堂に入り、飯を頼んだ。陽は中天を過ぎ、昼餉の刻限はとうに過ぎている。

 出されたのは丼飯と味噌汁、それと香の物だった。他の物は売り切れたらしい。それを全て丼飯にぶっ込み、腹に流し込む。浪人狩りをする中で、身に付けた食べ方だ。味は二の次で、腹を満たせばそれでいい。

 屋敷では三郎助が、


「軽輩の食べ方を平山家の次期当主がするものではない」


 などと煩く、到底出来ないだろう。

 食べながら、町人達の噂話に耳を傾けた。こうした事から、藩内の情勢や民の不満など思わぬ情報を得る事もある。だが、今日は五人の首の話題でも持ちきりだった。夜須勤王党がこれで決定的に瓦解した事を喜ぶ者ばかりだ。一方で、同情するような者はいなかった。




(ここか)


 大きな屋敷の前で、雷蔵は足を止めた。

 上士の屋敷が多い城前町じょうぜんまちという閑静な町の中で、一際大きなものだった。それでいて塀も門構えも、何処か無骨。上流階級者特有の小洒落た雰囲気は全く無い。

 この味気無くも武張った屋敷の主は、許斐亘このみ わたるという。

 許斐は、添田甲斐や相賀舎人らと志を同じくする利景の寵臣で、今は番頭を務める武官である。

 その許斐を訪ねたのは、この男が昨年までは京都屋敷にいて、亦部忠左衛門の片腕として働いていたからだ。

 そして、添田や相賀にも言われた。折を見て、一度話を訊いてみろ、と。


(話を聞く価値はあるだろう)


 京都で、丑之助がどうであったか。それを知れば、丑之助の性格も判ってくる。

 ただ、妙な殺気を雷蔵は感じた。何かに備えている、そんな気配がある。

 雷蔵は警戒しながらも訪ないを入れると、門扉越しに誰何された。警戒感のある声だ。雷蔵は素直にその姓名を明かした。


「少し待て」


 言葉通り、暫く待たされた。

 そして門扉が開き、厳つい二人の武士が現れた。こちらを警戒しているのか、全身に殺気を漲らせている。


(これが原因か)


 と、雷蔵は得心した。禍々しい氣は、この男達が放つものだったのである。


「内住郡代官平山清記の長子、平山雷蔵と申します。許斐様にお目通り願いたく参上いたしました」


 二人は、雷蔵から目を逸らさずに頷いた。


「主人は貴殿にお会いすると申しておる。案内しよう」


 門を潜ると、邸内でも警護の武士が目に付いた。手槍や弓を小脇に抱えている者もいる。人数は十名程か。

 裏庭に通された。

 そこでは、竹刀を構えて向き合う二人の男がいた。それを数名の家人が、取り囲んで見守っている。

 対峙している二人は、諸肌になった筋骨隆々の武士と、若い武士だ。相正眼である。


「ここで待たれよ」


 案内の者にそう言われ、雷蔵は頷いた。

 先に動いたのは、諸肌の男だった。先手必勝を体現するように、裂帛の気勢を挙げ凄まじい打ち込みを見せた。

 若い武士は摺足で下がりながら、それを必死に払い、躱し、防いでいる。攻める方も防いでいる方も、並以上の技倆を有しているようだ。

 だが、


(攻めなければ勝ちはないな)


 そう思った矢先。若い武士の竹刀が宙に舞い、その身体を担がれ投げ飛ばされた。その一連の動作は目にも止まらぬもので、流石の雷蔵も、


「お見事」


 と、思わず声に出していた。

 諸肌の男が竹刀を側の家士に渡すと、振り返りこちらに向かって歩いて来た。

 獣臭。本当に臭うわけではないが、武人が放つ強烈な臭いを雷蔵は感じた。


(この男が、許斐亘か)


 四角の顔。それを支える、丸太のような猪首いくび。隆起した筋肉からは、闘氣とも呼べる湯気が発せられている。

 雷蔵は、許斐と向き合った。

 分厚い男だ。正面に立つと伝わる圧力も半端ない。後退りしそうになる自分を、必死に押さえた。

 まさに、無骨。この味気ない屋敷も、この男が家主ならば納得である。


「よく来た」


 許斐は、厳つい顔を雷蔵に向けた。眉も鼻も口も、大胆とも呼べるほどに大きい。


「平山雷蔵と申します」

「話は添田様から聞いている。平山清記殿の御嫡男が来たならば何でも答えろとな」

「ええ」


 雷蔵は、軽く微笑んで頭を下げた。


「まずは俺が質問したい」

「何なりと」

「俺の剣は、建花寺流の目にどう見えたかな?」

「え?」

「剣だよ、剣。見ていただろう?」


 思わぬ質問に、雷蔵は呆気に取られた。この期に及んで、剣の話をするとは。しかし、雷蔵は何とか平静を装って答える事にした。


「離れていても氣が肌を指すような剛剣でございました。やわらとの連携も参考になりました」


 雷蔵は正直に答えると、許斐は破顔一笑を見せた。今年で三十八歳らしいが、笑うと実年齢より若く見える。


「嬉しい事を申してくれるわ。あの建花寺流を継ぐ御曹司の世辞でも、俺は嬉しいぞ」

「いえ、正直な感想です」


 許斐は藩内でも名家とされる家柄ながら、実戦派と言われる清陰流の免許を、自身の実力で得た剣豪である。その腕前は確かで、五年前には、京都の賊を六人斬り伏せたという話がある。


「さてと、今日は堂島の事で来たのだな?」

「はい」

「ならば二人で話そうか」


 と、許斐は家士に目配せをした。家士達はすぐにその場を離れ、雷蔵は許斐と二人になった。その動きは、よく調教された犬のように思える。


「茶、いるかい?」

「いえ」

「なら、此処に座れ」


 促され、縁側に座った。目の前には庭。余り手を入れていないのか、草木が伸びるに任せている。番頭という高位に身を置く藩士なら、もっと立派な庭を持っても不思議ではない。


「堂島が夜須に向かっているらしいな」

「はい」

「それを斬るのが、お前の役目か」

「ええ。そう命じられました」

「なるほどな。だが、雷蔵。あいつが夜須を目指すのは、俺を斬る為だろうよ」


 雷蔵は驚き、庭に向けていた視線を許斐に戻した。


「たまげただろう」


 許斐は、豪快に一笑した。


「ええ」

「京都で色々あってね。怨まれているのさ」

「それはどうして?」

「俺がな、奴に指図してたのさ、暗殺をね。かなり酷い事もさせた。そりゃ、俺自身が人斬りとして働けば世話ないが、許斐家の看板を背負っている以上、無理な話しでな」

「許斐様が京を去られてからは、亦部忠左衛門様が直々に指揮を?」

「ああ。代わりの者がいなかったのでな」

「堂島を粛清する動きがある事はご存知でしたか?」

「無論。添田様に、そろそろ堂島を始末すべしと進言したのは、この俺だ」

「何故?」

「犬は飼えるが、狼は飼えん。堂島は、もう犬では無くなっていた。人の肉を貪り過ぎてね」

「なんとなく、判ります」

「人斬りの末路だろう。悲しい事だがどうにもならん。だから、奴には破格の報酬を与えていた。だが、銭は魂までは救ってはくれんからな」


 許斐に、堂島を狂わせた事への罪悪感はあるのだろうか? と、雷蔵は思った。いや、多分無いだろう。命令する側が一々胸を痛めていては、謀略は成り立たない。それに、許斐は名門だ。堂島のような伊川郷士一人の命など、路傍の石としか思っていない。無論、雷蔵はそれを非難する立場にない。平山家とて、謀略に関わる一門なのだ。

 それから、堂島の人柄や京都での生活についての話になった。


「奴は寡黙な男でね。余り物を言う性質たちではなかった」

「周りの評判はどうだったのですか?」

「嫌われていたなぁ。己の功績や腕を鼻にして、いつも人を見下しているかのような態度だったからだ。口では言わないが、そうしたものは言わずとも伝わるものらしい。ま、実際働いているのだから、俺は許していたがね」

「そうですか」

「そうした堂島を咎めた者がいる。伊川郷士風情が大きな顔をしているのが許せなかったのだろう」

「それで、堂島は?」

「何も。『すみません』と言うだけさ。ただな」

「ただ?」

「咎めた者が死んだ。斬られたのだ」

「というと、下手人は堂島なのでしょうか?」


 許斐は、首を横に振った。


「下手人は貧乏公家が飼っている浪人だった。あの時の京都は、そうされても不思議ではない情勢だったわけだが、今となってはな……」


 また、堂島は遊郭や賭場にも足繁く通っていたと許斐が語った。多額の報酬は、大分村で待つ祖母ではなく、遊興に消えたのだろう。ただ、それが本当なのかどうかは判らない。所詮、人からの情報なのだ。

 雷蔵は、礼を言って立ち上がった。


「清陰流を極めた俺が、何故屋敷を物々しく固めているか判るか?」


 辞去しようとした雷蔵に、許斐が唐突に訊いた。


「堂島が俺を斬ろうとするなら、正々堂々立ち会ってやる。あんな木っ端郷士など怖くも何ともないのにだ」

「いや、私には」


 雷蔵は、突然の質問に表情を曇らせた。


「それはな」


 と、堂島が屋内を一瞥した。


「惚れた女房と、可愛い娘がいるからよ。二人だけはどうしても守りたい」


 思わぬ言葉だった。こうも素直に心情を明かす武士は少ない。それに、見た目からして惚れた晴れたを口にしない男という印象がある。


「奴にも、守るべき家族がいるだろうに」

「ええ。老いた祖母が」


 そう言うと、許斐は深い溜息を吐いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る