第四回 美しい女(後編)

 怒声が聞こえ、雷蔵は進む足を止めた。

 建花寺村への帰り道である。騒ぎは、水茶屋〔ご六〕の奥からだった。


「何かあったのですか?」


 雷蔵は只ならぬ雰囲気を察し、野次馬の百姓男を掴まえて訊いた。


「こりゃ、若様じゃありませんか。どうも、中で破落戸ごろつきが暴れているみたいで」

「へぇ」

「しかも、女を掴まえて酌を無理強いしているとかで」


 確かに、中からは男たちが何かを強要する野太い声が聞こえる。


「なるほど。すまぬが、これを持っていてくれ」


 雷蔵は塗笠を百姓男に渡し、茶屋の中に入った。

 破落戸がいた。三人。見掛けは渡世人だ。昼間から、酒を喰らっている。傍には女。俯いているので、顔は見えない。


「彦三殿」


 雷蔵は、大声で主人の名を読んだ。


「へ、へい」


 板場から、白髪頭の男が出てきた。この男は、〔ご六〕の主人で、彦三という。この〔ご六〕の二代目で、妻帯していれば孫がいる年齢だ。


「これは、どういう事でしょうか」

「雷蔵様、その……」

「何故に代官所に知らせないのですか。市助はどうしたのです?」


 内住郡の道々に置かれた水茶屋は、税を免除される代わりに周囲で異変があれば代官所へ走らなければならないという決まりがある。これは父が考案した仕組みで、水茶屋を見張り台代わりにして、異変に対して素早く対処する為だった。この為に各茶屋では、走れる者を置く事を命じられている。その為の補助もしていて、この〔ご六〕にとっては市助という孤児の少年だった。


「それが、市助の野郎は急に腹をくだしやして」

「代わりの者は?」

「いや、それは」

「怠慢ですね」


 雷蔵は、嘆息した。


「彦三殿。腹痛は仕方ありません。だが、その時は村から代わりの者を頼むよう定められているはずですよ」

「雷蔵様」

「それをせぬのは、怠慢です。このようでは、水茶屋について再考せねばなりません」

「そんな無体な……」

「無体と? この内住を塵芥ちりあくたにいいように荒らされた分際で何を言うのです。私が偶然通り掛かったからいいものを」


 そんなやり取りをしていると、奥の座席の男が立ち上がった。三人。酔っているのか、のっそりとした動きだ。


(よし、食いついたな)


 雷蔵は、内心でほくそ笑んだ。挑発が利いたのだ。まずは主導権を掴んだと言っていい。


「塵芥だと」

「そうですが」

「何だぁ、てめぇは?」


 破落戸が、顔を向けた。無精髭を蓄え、如何にも凶悪そうな顔をしている。外見で相手を威圧しようとする手合いだ。


「迷惑ですね。それに不快です。早々に立ち去ってください。この内住郡から」

「おいおいサンピン。誰に向かって言ってやがんだ」

「あなた達の他に誰がいますか」


 そう即答すると、破落戸三人は顔を見合わせて一笑した。


「サンピン、お前さんは『やっとう』出来るのかい?」

「当然です。武士ですから」

「ほら。いるんだよな、こうした手合いが。多少道場で出来るからと勘違いして、玄人くろうとに手向かいすんだ」

「素直に出て行けば見逃しましょう」

「言うじゃねえか、青侍。泣いたって容赦しねぇぜ」


 拳が来た。その素振りもなく、不意にだった。これが、玄人とやらの技かもしれない。


(だが、遅い)


 拳を避けながら袖口と襟を掴むと、足を払って頭から床に叩きつけた。


「てめぇ」


 もう一人が、懐の匕首ドスを抜こうとする。その手を、雷蔵は踏み込んで抑えた。


「抜く前で良かった。抜けば、私はあなた達を斬らねばなりませんから」

「何を」

「そのままの意味ですよ」


 出来るだけ、人は斬りたくはない。それは、人を斬れば斬るほど夜が長くなり、死霊の呻きが耳に迫るからだ。

 ただでさえ、今日は一人斬っている。お百という、女始末屋だ。結局、何もしないまま、斬り捨てた。

 雷蔵は冗談のつもりであったが、本当に凌辱されると思ったのだろう。瀕死の重傷を負っても、最後まで抵抗した。女だてらに中々の使い手で、一太刀では始末出来なかった。それどころか、二本の匕首に幻惑され、左腕の薄皮を一枚斬られている。


(それに比べ、この塵芥と来たら……)


 雷蔵は、男の顔面に肘を叩き込んでいた。そして、鼻頭に頭突き。めちぃ、という音と共に鼻血が吹き出した。


「ま、待て」


 雷蔵は、聞かなかった。待つ義理も、慈悲も自分には無い。

 腹に蹴足しゅうそくを叩き込み、前屈みになった所で、その首筋に手刀を落とした。

 伸びた二人は、暫くは満足に動けないだろう。他愛も無い相手だ。弱いから、外見や口調で相手を脅そうとする。大概の破落戸はこんなものなのかもしれない。


「彦三殿」

「へ、へぇ」


 倒れた破落戸を恐る恐る見ながら、彦三が答えた。


「申し訳ありません。店を散らかしてしまいました」


 雷蔵は、いつもの穏やかな口調に戻した。その変わりように、彦三が目を白黒させている。


「いえ、そんな。それで雷蔵様……」

「ああ、あれは嘘ですよ。破落戸を挑発するはかりごとです。それに、この茶屋を潰したら、〔ご六〕の焼き団子を食べられなくなります」


 その一言に安心したのか、彦三が胸を撫で下ろすように大きな息を吐いた。


「もう大丈夫です」


 雷蔵は踵を返し、酌を無理強いされていた女に目を向けた。

 武家風。細面のその顔を見て、胸が強く脈打った。


(この人も、美しいひとだ)


 と、雷蔵は思った。

 肌は白く、憂いに満ちたその瞳が、薄幸の雰囲気を醸し出している。お百とは違った魅力。人によっては陰気臭いとも取れるかもしれないが、雷蔵はそれが美しいと思った。


「ありがとうございます。何とお礼を申し上げたらいいか」


 女は、そう言うと目を伏せた。その仕草には、武家の気品と妙齢の女性が発する微かな耽美の香りがある。


「気になされないで下さい。私は武士の義務を果たしただけで」


 そう言うだけで、雷蔵は精一杯だった。この人の前では、上手く言葉が出そうもない。


「あの……わたくしは眞鶴まつると申します。失礼ですが、お名前をお聞かせ下さいませんか」

「私は、平山雷蔵と申します」

「平山様……もしや、内住郡代官様の?」


 雷蔵は、多少の恥ずかしさを覚えながら頷いた。別に自分は代官ではない。父の威光を笠に着ているようで、こうした名乗りは好きではないのだ。


「あなたは、この店の?」

「いえ、わたくしは明星寺村みょうじょうじむらにいる知人を訪ねた帰りで、若菜村わかなむらの者でございます」


 若菜村は穂波郡に属し、内住郡のすぐ北にある。地理としては知っているだけで、詳しいわけではない。


(しかし、百姓には見えぬ)


 挙措も言葉遣いも武家のものだ。


(いや、こう詮索しても意味の無い事だ……)


 雷蔵は眞鶴への興味を断ち切るように、


「では、私はこれにて」


 と、踵を返した。


「もし」


 絹のような眞鶴の声が、雷蔵を呼び止めた。


「平山様、このお礼がしとう御座います。是非わたくしの屋敷へ、お越し下さいまし」

「いや、私は礼など」

「それでは、私の気が済みませぬ。どうか、ご一緒に」


 流石に狼狽した。眞鶴という、美しい女性に誘われているのだ。こんな事は初めてかもしれない。

 しかし、彦三や野次馬の目がある。平山家の御曹司が女の誘いにほいほいと、と笑われるかもしれない。


「では、近々お伺いしますので」


 一先ず雷蔵はそう言って濁し、その場を切り抜けた。


◆◇◆◇◆◇◆◇


「いやぁ、見事見事」


 そう声を掛けられ、雷蔵は振り向いた。

 波瀬川の支流、吉野川に掛けられた橋の袂である。

 深編笠の男が、懐手に立っていた。長身である。烏羽色からすばいろの着流しに、大小を落とし差ししている。

 気配を感じなかった。その事に驚きつつ、雷蔵は正対した。


「やるねぇ、お前さん。抜かずに相手を叩き伏せるったぁ、中々出来る事じゃねぇよ」

「見ていたのですか」


 深編笠が、上下に揺れる。


「私は武士として当然の事をしたまで。別に褒められる事ではありません」


 すると、男は低い笑い声を挙げた。


「今の時代、その義務を自覚している武士がどれほどいるもんかねぇ」

「嘆かわしいものです」

「だが、謙遜も過ぎると嫌味に聞こえるもんだぜ、平山雷蔵」


 名を呼ばれ、雷蔵は眉を顰めた。


「私の名を知るあなたは?」

「俺かい? 名乗るほどのもんじゃねぇな……。だが、敢えて名乗るなら、『平山家が代官以外のお役目に就いている事を知る者』としておこうか」

「……ほう」


 雷蔵は驚きと共に、殺気を放っていた。それは、身体が自然と反応した習性のようなもので、男はその殺気を察してか、後方に飛び退いた。


「おっと、俺は敵じゃねぇよ?」

「何者です。念真流を狙う刺客ですか?」

「だから、敵じゃねぇと言ったろう。剣呑だな、お前も。まるで狼だぜ」

「そうさせるのはあなたでしょう。笠も取らずに名も名乗らぬ。おおよそ、人としての礼儀も教わらなかった、武士のなりした野非人のびにんの類ですよ」

「武士の形した野非人か……」


 男は、独り言ちのように呟くと、低い声で自嘲した。


「俺にゃぴったりな言葉よ。平山の御曹司、今日は挨拶をしたまでだ。いずれ、また会う事になるだろうよ」


 男が踵を返した。広い背中。隙だらけだが、足が出ない。

 悠然と去っていく男を、雷蔵は見送るだけしか出来なかった。

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