第四回 美しい女(前編)
「これは珍しい顔が来たな」
雷蔵にそう言ったのは、叔父の
夜須城下の屋敷町三丁目にある、奥寺邸。
雷蔵にとって、この叔父とは特別馴染みがある関係ではない。会うのも数年振りになる。
「暫く見ない内に逞しくなったものだな、小弥太。いや、今は雷蔵だったか」
大和は妻に身体を支えられて身を起こし、雷蔵弱々しい笑みを見せた。
「元服式には行けなんだが。それにしても、
「よく言われます」
「そうか。そうだな。よく似ているよ、志月姉さんに」
この大和は、雷蔵の母である志月の弟で、父の義弟。かつては三太郎と名乗っていた。他家に養子に出されていたが、父と長兄が相次いで死んだ為に、奥寺家に戻り大和の名と家督を継いだ経歴を持つ。
その大和は、昨年の夏から病を得ていた。どうも肝の臓が痛むという。確かに頬は削げ、目が飛び出したようになっている。顔色も悪い。本人は、酒毒と言っているが、本当の所は判らない。だが、
(死病なのだな……)
と、察していた。衰えた容貌以上に、死を待つ病人特有の悪臭が雷蔵に確信させた。
奥寺家は、十数年前の不祥事から大組から馬廻組に降格されはいるが、かつて中老職を世襲した権門。その家名を惜しんでか、藩主・利景が名のある医者に見せたというが、見る限り快癒には至っていないようだ。
「叔父上、お加減は?」
「なぁに、変わらんよ。だが、今日は少し気分が良いがな」
「それはようございます。して、医者は何と?」
「何も。大したことは言わん。薬を飲み、寝て治せと。風邪ではないのだがな。ま、殿様の侍医が治せないのならば、銭では治せない病なのだろうよ」
そう言うと、大和は鼻を鳴らした。昔から、この叔父は
しかし、それは仕方のない事だ。世が世なら、藩政でも中枢にある一族だったのだ。それが〔ある事件〕が切っ掛けで、冷や飯を食う結果になった。お陰で嫁の来手がおらず、仕方なく平山家の遠縁の娘を迎えたという。そうなるに至った経緯について雷蔵は知らない。父は語ろうとせず、三郎助の口も重い。おおよそ〔藩政で繰り返されてきた政争〕の末なのだと思っているが、本当の所は謎のままだ。
「しかし、平山家には何かと面倒を見てもらい申し訳ない」
「そんな、叔父上。頭をお上げ下さい」
と、頭を下げる大和を、雷蔵は手で制した。
「奥寺家は母の実家。これくらい当たり前です」
父は、奥寺家に対して援助をしているそうだ。具体的にどのような援助をしているか、雷蔵は把握していないが、三郎助によると、
「奥寺家に対して、深い恩義がある」
という。本当にそうだろうか。その恩義に報いるが如き援助は、罪滅ぼしのようにも見える。
(母上を死なせた事への罪悪感だろうか)
母は、雷蔵が三歳の歳に流行り病で死んだ。雷蔵に当時の記憶は無いが、建花寺村で死んだのは、母一人だけだったという。それが故に、父は母を死なせたと思っているのかもしれない。
「最近は、代官所の仕事を手伝っていると、うちのに聞いたが」
大和は、側に寄りそう妻を一瞥した。
「ええ、下働きですが。ただ、筆仕事はどうにも苦手で……」
「ふふふ。竹刀と同じようにはいかんだろう」
「慣れませんね」
そうは言ったものの、こうした仕事を雷蔵は嫌いではなかった。父に下働きを命じられれてから、二十日余り。内住郡の村々を見回り、年貢を徴収し、諸事を処理して記録を残す。四季の移り変わりと、人々の営みに寄り添ったこの仕事をしていると、自分が人である事を実感する。故に、
(御手先役など、やりたくない……)
などと、詮無き事を思ってしまう。
「儂もな、筆仕事は苦手だったな。今でこそ無役だが、以前は中老だった父の手伝いをしていた。よく叱られたものだ」
「私も、厳しく叱られております」
すると、大和は軽く口許を緩めた。それが冷笑に見えるのは、叔父の性格故だろうか。
「まぁ、清記殿は厳しい人だからな。自分にも他人にも」
雷蔵は頷いた。父の持つ峻厳な雰囲気は、周りを委縮させるものがある。叱るにしても怒鳴る事は無いが、それだけに伝わる冷たさは強い。
「だが、学ぶべきものも多い。昔は憧れたものだ。あのような武士になりたいとな」
「父にですか」
「そうだ。今ではこんな体たらくだがね。さて、その清記殿は相変わらずかな?」
「お陰様で、つつがなく」
「清記殿は人間味に欠けるが、古今では珍しい武士らしい武士よ。その父に育てられたお前の末が楽しみだ」
「いえ、私など」
「まぁ、あの父を持つと重荷に感じる事もあるだろう。儂もそうだったので、気持ちは判る。父も兄も善い武士だったからな。だからこそ言うが、何とかなるぞ雷蔵。何とかな」
それから雷蔵は、後継ぎになる
夕餉にも誘われたが、それを丁重に辞退し屋敷を出たのは、陽が傾きだした頃だった。
この時分だと、百人町の別邸に泊まらずとも陽が沈む前には村へ帰れるだろう。
◆◇◆◇◆◇◆◇
城下を出た辺りだった。
地名で言えば、
雷蔵が建花寺への道のりを急いでいると、その行き手を塞がれた。
女である。歳の頃は、二十を幾つか過ぎたぐらいか。格好を見る限り、百姓の女房である。陽に焼けて溌溂とした顔を、雷蔵は美しいと思った。
「何か御用でしょうか」
雷蔵は、歩みを止めて訊いた。
だが、女は雷蔵を見つめたままで応えない。
昼間だが、人影が少ない農道である。風が吹いた。聞こえるのは、その音。あとは、鳶の鳴き声ぐらいだ。
「平山家の当主が代替わりしつつあると訊いてね」
女が、ぽつりと言った。
「そうですが」
そう答えながら、雷蔵は女が何者かであるか悟った。
この女は、裏の者。即ち、始末屋か何かであろう。念真流、そして平山家はそのお役目上、方々で恨まれている。それ故に、いつ如何なる時でも襲撃を受ける可能性があると、父が言っていた。そして、その時は理由など問わずに、容赦なく斬り捨てろとも。
「しかし、まだ
「
「ふふふ。それを敢えて言う所が、
いつの間に、左右の手には
「やはり、そういう事ですね」
「そういう事さ」
雷蔵は、頷き無銘を抜き払った。
「女を斬るのは初めてです」
「嬉しいね。こんな顔の美しい男の『始めて』になるのは」
「そうですね。多分、私はあなたの事を一生忘れられないと思います」
「だが、あんたがあたしを斬れればの話だよ」
「斬れますよ。斬りたくはないですが」
「言うね」
「名を」
「名前だって?」
「ええ、名前を教えてください。初めて斬る女の名ぐらい知りたいですからね」
「ふふ、始末屋にそれを聞くかい」
女は、そう嘆息し〔
「お百さんか」
「このお百姐さんを、気安く呼ぶんじゃないよ」
「あなたを斬ります。ですが、その前に私の『好き』にさせてもらいますよ」
すると、お百が一笑した。
「あんた、トンだ化け
「判りません。でも、あなたは美しい
お百がやや腰を落とし、二本の匕首を構えた。お百の闘気の漲りを感じる。
雷蔵は、それすらも美しいと思った。
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