第十一回 去る者

 村廻りに出ていた。

 陽も傾きだした、昼下がりである。鈍色の雲が、那珂国(下総)の空を覆っていた。

 今回も、辻村と廉造を伴っている。あれから辻村は、見違えたように真面目になっていた。今まで見くびられていたと思うと腹も立つが、後輩の成長は喜ばしい事である。

 賊の被害も無くなり、農繁期でもないので、その行程はゆったりとしたものだ。あと一つ村を廻れば終わりである。

 求馬は、歩きながら遠くの野山に目をやった。秋が過ぎていく。山を彩った紅葉は枯れ葉となって落ち、身体を凪ぐ風に刺すような冷気を感じる。そして、何処と無く暗い。


(そろそろ、冬が来るな)


 宇美津は夜須に比べ、雪で閉ざされる事はない。降っても、足首ほどまで積もる程度だ。ただ風が厳しい。切り裂くような海風が、容赦なく吹き付けるのだ。


(その頃には、どうなっている事やら)


 明後日には、尚憲が宇美津に戻る。そこで決起への参加を断るつもりだ。


「賊の噂もさっぱりと無くなりましたね」


 辻村から声を掛けられ、求馬は視線を景色から戻した。


「百姓達も喜んでいましたよ。これで無事正月を迎えられると」

「そうだな」


 百姓達には、口々に褒め称えられ、手を合わされて感謝された。それは自尊心を擽り、更なる自信へ繋がった。また、羽合からは役人の信頼回復に繋がったとして、過分な報奨金を与えられた。

 だが、


(このぐらいは、やって当たり前だ)


 と、思っている。

 武士なのだ。民の為に戦う。それが、武士たる義務であり責任である。郷方の御用部屋で管を巻いている連中とは違う。


「百姓の表情も、日々明るくなっていますよ」

「意外だな。お前が百姓の安寧を気にしているとは」


 そう言うと、一瞬辻村の顔がキョトンとし、吹き出すように笑った。


「滝沢さん、私をどんな人間だと思っているのですか。いい加減に見直して下さいよ」

「ここ最近のお前を見て、悪い印象は改善された。見込みもある。だが、百姓を慈しむような柄とは思えんのでな」

「誉められているのか、貶されているのか判りませんね」


 辻村が苦笑し、先を歩く廉造も声を挙げて笑った。

 そうは言っても、この見習いは求馬にとって話せる相手となっている。郷方の中では唯一と言ってもいい。ただその分、辻村が御用部屋で孤立している気配があった。皆が、辻村に対しても一定の距離を置き始めたのだ。それについて、求馬は一度注意を促したが、辻村はあっけらかんとして


「いいのですよ。今まで我慢してきましたが、私もあのような連中は好きではないので」


 と、答えた。

 好き好んで同じ道を辿ろうとするのなら、わざわざ気にする必要もない。むしろ、周りに流されぬ意志を辻村が持っている事に驚き、それが意図せぬ親しみを覚えている。

 最後の村に到着した。


「ここはお前に任せた」


 そう思い立ち、求馬は辻村の肩を叩いた。


「え? 私がですが?」

「そうだ。ま、何かあれば口を出すが」


 この村を、求馬は辻村に任せる事にした。たまには実践させる事もいいだろう。

 村に入った三人を、庄屋が出迎えた。早速、村内を歩きながら辻村が質問している。求馬は二人の一歩後ろを歩いた。


(かつての自分を思い出す)


 見習いだった求馬を指導したのは、隠居間際の老武士だった。妻と跡継ぎたる一人息子を早くに亡くした、偏屈で無口な爺さんだった。求馬に対しては厳しく、そして郷方では唯一分け隔てなく接してくれた男だった。


(今の俺のように、いつも一歩引いて見ていてくれたものだ)


 その老武士も、隠居するとすぐに死んだ。聞く話によれば酒毒に犯されたというが、詳しくは判らない。職を辞してからは葬式まで会わなかったからだ。


「それはですね」


 ふと、庄屋が困惑する声が聞こえた。


「ちゃんと答えてくれなきゃ困るってぇもんだぜ。我々は全てを把握しなくてはならんのでなぁ」


 村の現状を掴もうとしているのか、辻村が投げかける問いは多岐に渡り、それでいて、腑に落ちない点は確認するように更に訊いている。庄屋はそれに困惑しているのだろう。


(まるで羽合のような仕事振りだ)


 求馬は、思わず苦笑してしまった。

 半刻余りで村を出た。歩きながら、先程の検見についての報告をされた。質問の多さの割には、特に変わった事は無かった。


「ま、良いだろう。だが、これは初歩の初歩。話だけなら誰でも出来る。大事な事は、百姓から得たものを整理し分析する事、どんな異変にも臨機応変に対応する事、そして百姓と常に繋がっておく事だ」

「判りました」


 と、神妙に頷く。辻村らしくない表情である。


「力を抜く所は抜け。今は緊迫した状況ではない。そう力んでは嫌がられるだけだぞ」

「しかし」


 そう言い募ろうとした辻村を、求馬は一瞥で制した。


「しかしもへったくれもない。あと、お前の江戸訛りは直した方がいい」

「訛り? 出ていますかね」

「百姓と話している時、お前は鈍っている。生まれは江戸だそうだが、それではいつまでも余所者扱いされ、百姓も心を開かん」

「そうですか。すみませぬ」

「判ればいい。では、この検見を纏めて早急に提出しろ」


◆◇◆◇◆◇◆◇


 暫く歩き、宇美津が見えて来た。小高い丘の上なので、湊町が一望出来るのだ。

 宇美津の市街地の奥には、白波が立つ冬渚が広がっている。

 そこで、珍しい男に出会った。山藤助二郎である。脚絆に、手甲。塗笠。旅装だった。


「これは、山藤殿」


 その姿を認め、求馬は足を止めた。


「おお、求馬殿か。村廻りですかな?」

「ええ、今はその帰りです」

「山藤殿は?」

「知人の見舞いを。ですが、君に会えて良かった」

「私に?」


 そう訊くと山藤は頷き、辻村に目をやった。内々の話だろう。


「では、私達は」


 と、辻村がそれを察してか言った。


「すまんな。今日はそのまま帰っていい。報告は後日でよい」

「判りました」


 辻村が廉造と共に去ると、求馬は山藤と共に手頃な岩に腰掛けた。目の前には、宇美津の湊町がある。身体に吹き付ける風が強い。


「尚憲殿に聞きました。決起に参加する事を迷っているとか」

「……」

「私から尚憲殿に断りを入れましょうか? 君からは言難いでしょう」

「いや、それは。自分の口から申し上げます」

「そうですか。ならば、もう参加しないと決めたのですな?」


 山藤が、求馬に目を向けた。


「はい」

「そうですか。うん、それがいい」


 と、穏やかな顔付きで深く頷いた。


「君は、お父上とは違う。我々は自分の人生にケジメをつける為に、決起に参加します。しかし、本来これは君には関わりの無い事。君は奥方といずれ生まれるであろう子どもと、ここで静かに暮らすべきなのです」


 求馬は俯いて、聞き入った。何故か申し訳ないという気持ちが湧いてくる。


「それをお父上も望んでいる事でしょう。そして、私もそれを望んでいます。作衛門殿の友として」

「申し訳ありません」


 求馬は、言葉を絞り出した。


「よいのです。それで」


 肩に手を置かれた。温かい手だ。もう少し、いやもっと早く、この男と出会いたかった。


「もう会う事もないでしょう。いつまでも、お健やかに」


 山藤はそう言い残し、その場を立ち去った。

 知人の見舞いに行くと行っていたが、決起に参加する為に宇美津を去るつもりなのだ。今生の別れ。その言葉が頭を過ぎり、その丸い背中が見えなくなるまで見送った。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 帰宅したのは、夕暮れ前だった。

 平山親子の姿が無かった。芳野に訊ねると、どうやら泊まりで出掛けているとの事だった。


「笠子に行くと申していましたよ」

「ほう」

「何でも清記様のご友人が道場を開いているとかで、小弥太様の稽古をつけてもらうそうです」

「なるほど」


 笠子には、三途流さんずりゅう錦織武平にしこり ぶへいという有名な剣客がいる。まだ若い男で、数年前に父の跡を継いでいた。笠子というのだから、その錦織を訪ねたのだろう。他に思い浮かぶ剣客はいない。


「でも、小弥太様に剣術なんて出来るのでしょうか?」

「剣術は力でするものだはない。それに、人は見掛けによらないものだ」


 そう言いながらも、あの華奢な体躯で木剣を振れるのか、と求馬も疑問に思う。


「だが、確かに……」

「でしょう? お怪我をしなければよいのですが」


 と、心配する芳野は、まるで姉のように見えた。弟が生きていれば、さぞ溺愛した事であろう。


(笠子か……)


 確か、尚憲が行くと言っていた。同志に会うらしいが、今頃は合田沢にいるはずである。

 平山親子が帰宅したのは、翌々日の朝だった。

 厳しい稽古をしたのか、小弥太の顔に擦り傷が目立っていた。


「小弥太様、その傷は」


 出迎えた芳野が、駆け寄って訊いた。


「ただの掠り傷ですよ」

「薬を塗ってあげますよ。よく効く薬草があるんです」

「ご心配なく。このような傷など」

「いいですから」


 芳野が小弥太の手を引いて、中に入った。


「おいおい」


 と、求馬は清記と目を見合わせて苦笑した。


「愚息には、奥方の存在が安らぎになるでしょう。母を早くに亡くし、男手だけで人一倍厳しく育てているものですから」

「妻も亡くした弟と重ねているみたいで」


 それから、小弥太が痛みを堪える声が奥から聞こえた。よほど滲みたのだろう。それを聞いて、求馬と清記は顔を見合わせて笑った。

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