第九回 ある親子
清閑な、二人だった。
挨拶も所作も佇まいも、全てに於いて作法に適い、そして精錬されている。
口数も少なく、必要以上の事は言わない。それが、求馬が二人に抱いた最初の印象だった。
十畳敷きの御用部屋。羽合の傍に控えるように、二人の武士が端座している。
二人は、親子だった。四十路ほどの男は平山清記といい、十五歳ほどの子どもは小弥太と名乗った。
(親子と言ったが、似ていないな)
父親の清記は、陽に焼けて筋骨逞しい。上背もある。それに対し小弥太は色白だ。身体の線も細く、背も同じ年頃の子どもに比べて低く見える。母親似なのだろう。美童ではあるが、武士としては些か頼りない印象だった。
清記は
(小弥太とやらの行く末を案じての旅かもしれぬな)
と、求馬は理解した。
小弥太の双眸が、底知れぬ暗さを有している。子どものくせに、何かを悟り何かを諦めたような色があるのだ。到底、今を楽しんでいるとは思えない。そうした息子を見かねて、父子での旅をしているのだろう。
「この小弥太、来年には元服し〔雷蔵〕と名乗りを改めます」
お互いの自己紹介が終わると、清記がそう言った。
「ほう、雷蔵殿になられるのですか」
羽合が訊いた。
「ええ。〔雷蔵〕は当家でも特別な名。小弥太が三代目雷蔵になります」
「存じております。平山雷蔵。かつて、そうした武士がお殿様の近くに仕えていた、と耳にした事があります」
「如何にも。この小弥太にも、そうした武士になって欲しいという願いを込めまして、雷蔵に決めた次第です」
「なるほど。小弥太君は、父親に多大な期待を背負わされたわけだ。励まねばならぬな」
羽合の言葉に、小弥太は黙礼で返した。
平山家が、どれほどの家門か判らない。そうした事情に詳しくなる前に、宇美津に流されたからだ。ただ、羽合の態度を見ていると、この親子がそれなりの家柄だという事が推して知れる。
「滝沢。平山殿は、お殿様にとっても藩にとっても大事なお方である。くれぐれも頼むぞ」
「はっ。して、私は宇美津を案内すれば良いのでしょうか?」
「それには及ばぬ。お前は普段通り勤めに励むがよい。……それでよろしいですかな? 平山殿」
「結構です。見たい所は我々だけで行きます。滝沢殿には、寝床を用意してくれるだけで十分です」
それから少し話をして、平山親子と一緒に執務部屋を出た。平山親子は、今日までは旅籠に泊まるらしく、世話をするのは明日からになるとの事だった。
「これから宜しくお願いします」
部屋を出た所で、清記は頭を軽く下げた。
「こちこそ。私の
「なんの、なんの。そう言えば、滝沢殿と会うのはこれで二度目ですな」
「二度目?」
思いを巡らせたが、心当たりはない。夜須で暮らしている時に、出会ったのか?
(もしや)
築那街道の路傍で、苦しんでいた百姓を助けていた武士の親子を思い出した。あの親子が、平山清記と小弥太だったのか。顔は見えなかったが、背格好から考えれば、そうに違いない。
「その節はどうも」
清記が軽く笑む。求馬は、次の言葉に詰まった。あの時、自分は助けなかったのだ。手すら貸していない。その事を思うと、恥ずかしさで顔が熱くなる。
「苦しむ百姓を助けていたのは、お二人でしたか」
求馬は湧き上がる羞恥を堪え、平然と応えた。さも、武士が百姓を助けないのは当たり前だというように。そうでもしなければ、自分が情けなくなる。
「ええ。初めに助けようと言い出したのは、この愚息でして」
と、後ろで控える小弥太を、清記は一瞥した。小弥太は伏し目がちだった。
「立派なご子息をお持ちですね」
ただ、暗い。自分も人の事を言えたものではないが。
(かつては、俺もそうだった)
父が切腹し母が首を括ったあの頃、暗く深い闇夜を歩んでいる心地だった。それを変えたのは、芳野や徳衛門、そして尚憲との出会いである。この宇美津に流れて、自分は変わった。
(この少年も、そうなれば良いが……)
◆◇◆◇◆◇◆◇
平山親子を大手門まで見送ると。求馬は踵を返した。
結局やるべき事は、二人の身の回りの世話をする事だけだ。そうなると重要なのは自分よりも、芳野や奉公人達の働きになる。そう思うと、少しつまらない気がする。
奉行所を出たのは、陽が中天に差し掛かる頃だった。西谷の一件での処理が残っていたが、
「早く帰って仕度せよ」
という、羽合からの指示を受けた郷方差配役に、帰宅するよう強く命じられたのだ。
残っている仕事を辻村に任せて家路に着くと、予定よりも一日遅い帰宅に芳野が心配していた。
(知らせを入れるべきだったか)
そう思いつつも、予定の変更は今後も有り得る。となれば、芳野にも慣れてもらうしかない。
「芳野。明日より我が家で客人の世話をする事になった」
芳野の手伝いで袴を脱ぎながら、求馬は言った。
「お客様でございますか?」
「ああ。夜須から物見遊山に来ている親子だ。暫くうちで面倒を見る事になったのだ」
「それは急な話でございますね」
芳野の顔が一瞬曇ったが、
「仕方ない。御奉行様直々のご下命なのだ。粗相の無い様に、皆にも言い聞かせてくれないか」
と、肩に手をやり口元を緩めると、芳野は笑顔で頷いてみせた。
それから、滝沢家の中は慌ただしくなった。掃除や食材の買い出し、寝具の準備。芳野が二人の奉公人と手分けしていたが、見るに見かねて求馬も手伝う事にした。そろそろ尚憲に山藤からの書状を渡しに行きたいと思っていたが、この状況で自分一人だけ外出するわけにはいかない。
求馬は芳野の指示を仰ぎ、客間の掃除をして、来客用の布団を引っ張り出した。そうしている間に日が暮れた。
平山親子が現れたのは、翌日の正午過ぎだった。
二人は、奉公人を含む全員に丁寧な挨拶をして、それぞれに手土産を手渡した。
「奥方、何かあればこの愚息に言い付けて下され」
清記が、小弥太に目をやって言った。
「そんな、お客様に」
「これも一宿一飯の恩というものです。我が弟、息子だと思って気兼ねなく使って下さるとありがたい。小弥太の学びにもなります」
困惑する芳野をよそに、小弥太は表情らしい表情を浮かべずにいる。それが、妙に不気味だった。
「なら……、後でお使いをして下さいますか? 夕餉にお造りを頼んでいるのですよ」
「判りました」
小弥太が、短く応える。
「おい……芳野」
無遠慮な芳野を、求馬は慌てて窘めたが清記が一笑してそれを止めた。
「よいのです、滝沢殿。それにしても、朗らかなよい奥方をお持ちだ」
「申し訳ございませぬ。何せ、田舎庄屋の娘にて」
「なんの。昨今か弱い武家の娘に比べれば、何とも頼もしい限り。……小弥太、よいな?」
その言葉に、小弥太は頷いた。
夜は、ささやかな酒宴になった。清記は酒というより、芳野の料理が気に入った様子だった。皮剥の造りも美味で、小弥太も箸が進んでいた。そうした所に、あどけなさを感じる。
(悪い男達ではなさそうだ……)
物静かで、必要以上に踏み込んでは来ない。これなら、自分の生活も乱される事はないであろう。
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