第九回 ある親子

 清閑な、二人だった。

 挨拶も所作も佇まいも、全てに於いて作法に適い、そして精錬されている。

 口数も少なく、必要以上の事は言わない。それが、求馬が二人に抱いた最初の印象だった。

 十畳敷きの御用部屋。羽合の傍に控えるように、二人の武士が端座している。

 二人は、親子だった。四十路ほどの男は平山清記といい、十五歳ほどの子どもは小弥太と名乗った。


(親子と言ったが、似ていないな)


 父親の清記は、陽に焼けて筋骨逞しい。上背もある。それに対し小弥太は色白だ。身体の線も細く、背も同じ年頃の子どもに比べて低く見える。母親似なのだろう。美童ではあるが、武士としては些か頼りない印象だった。

 清記は内住ないじゅ郡二十五ヶ村二千五百余石の代官で、息子の見聞を広げる為に宇美津へ来たという。


(小弥太とやらの行く末を案じての旅かもしれぬな)


 と、求馬は理解した。

 小弥太の双眸が、底知れぬ暗さを有している。子どものくせに、何かを悟り何かを諦めたような色があるのだ。到底、今を楽しんでいるとは思えない。そうした息子を見かねて、父子での旅をしているのだろう。


「この小弥太、来年には元服し〔雷蔵〕と名乗りを改めます」


 お互いの自己紹介が終わると、清記がそう言った。


「ほう、雷蔵殿になられるのですか」


 羽合が訊いた。


「ええ。〔雷蔵〕は当家でも特別な名。小弥太が三代目雷蔵になります」

「存じております。平山雷蔵。かつて、そうした武士がお殿様の近くに仕えていた、と耳にした事があります」

「如何にも。この小弥太にも、そうした武士になって欲しいという願いを込めまして、雷蔵に決めた次第です」

「なるほど。小弥太君は、父親に多大な期待を背負わされたわけだ。励まねばならぬな」


 羽合の言葉に、小弥太は黙礼で返した。

 平山家が、どれほどの家門か判らない。そうした事情に詳しくなる前に、宇美津に流されたからだ。ただ、羽合の態度を見ていると、この親子がそれなりの家柄だという事が推して知れる。


「滝沢。平山殿は、お殿様にとっても藩にとっても大事なお方である。くれぐれも頼むぞ」

「はっ。して、私は宇美津を案内すれば良いのでしょうか?」

「それには及ばぬ。お前は普段通り勤めに励むがよい。……それでよろしいですかな? 平山殿」

「結構です。見たい所は我々だけで行きます。滝沢殿には、寝床を用意してくれるだけで十分です」


 それから少し話をして、平山親子と一緒に執務部屋を出た。平山親子は、今日までは旅籠に泊まるらしく、世話をするのは明日からになるとの事だった。


「これから宜しくお願いします」


 部屋を出た所で、清記は頭を軽く下げた。


「こちこそ。私の荒屋あばらやでよければ」

「なんの、なんの。そう言えば、滝沢殿と会うのはこれで二度目ですな」

「二度目?」

 思いを巡らせたが、心当たりはない。夜須で暮らしている時に、出会ったのか?


(もしや)


 築那街道の路傍で、苦しんでいた百姓を助けていた武士の親子を思い出した。あの親子が、平山清記と小弥太だったのか。顔は見えなかったが、背格好から考えれば、そうに違いない。


「その節はどうも」


 清記が軽く笑む。求馬は、次の言葉に詰まった。あの時、自分は助けなかったのだ。手すら貸していない。その事を思うと、恥ずかしさで顔が熱くなる。


「苦しむ百姓を助けていたのは、お二人でしたか」


 求馬は湧き上がる羞恥を堪え、平然と応えた。さも、武士が百姓を助けないのは当たり前だというように。そうでもしなければ、自分が情けなくなる。


「ええ。初めに助けようと言い出したのは、この愚息でして」


 と、後ろで控える小弥太を、清記は一瞥した。小弥太は伏し目がちだった。


「立派なご子息をお持ちですね」


 ただ、暗い。自分も人の事を言えたものではないが。


(かつては、俺もそうだった)


 父が切腹し母が首を括ったあの頃、暗く深い闇夜を歩んでいる心地だった。それを変えたのは、芳野や徳衛門、そして尚憲との出会いである。この宇美津に流れて、自分は変わった。


(この少年も、そうなれば良いが……)


◆◇◆◇◆◇◆◇


 平山親子を大手門まで見送ると。求馬は踵を返した。

 結局やるべき事は、二人の身の回りの世話をする事だけだ。そうなると重要なのは自分よりも、芳野や奉公人達の働きになる。そう思うと、少しつまらない気がする。

 奉行所を出たのは、陽が中天に差し掛かる頃だった。西谷の一件での処理が残っていたが、


「早く帰って仕度せよ」


 という、羽合からの指示を受けた郷方差配役に、帰宅するよう強く命じられたのだ。

 残っている仕事を辻村に任せて家路に着くと、予定よりも一日遅い帰宅に芳野が心配していた。


(知らせを入れるべきだったか)


 そう思いつつも、予定の変更は今後も有り得る。となれば、芳野にも慣れてもらうしかない。


「芳野。明日より我が家で客人の世話をする事になった」


 芳野の手伝いで袴を脱ぎながら、求馬は言った。


「お客様でございますか?」

「ああ。夜須から物見遊山に来ている親子だ。暫くうちで面倒を見る事になったのだ」

「それは急な話でございますね」


 芳野の顔が一瞬曇ったが、


「仕方ない。御奉行様直々のご下命なのだ。粗相の無い様に、皆にも言い聞かせてくれないか」


 と、肩に手をやり口元を緩めると、芳野は笑顔で頷いてみせた。

 それから、滝沢家の中は慌ただしくなった。掃除や食材の買い出し、寝具の準備。芳野が二人の奉公人と手分けしていたが、見るに見かねて求馬も手伝う事にした。そろそろ尚憲に山藤からの書状を渡しに行きたいと思っていたが、この状況で自分一人だけ外出するわけにはいかない。

 求馬は芳野の指示を仰ぎ、客間の掃除をして、来客用の布団を引っ張り出した。そうしている間に日が暮れた。

 平山親子が現れたのは、翌日の正午過ぎだった。

 二人は、奉公人を含む全員に丁寧な挨拶をして、それぞれに手土産を手渡した。


「奥方、何かあればこの愚息に言い付けて下され」


 清記が、小弥太に目をやって言った。


「そんな、お客様に」

「これも一宿一飯の恩というものです。我が弟、息子だと思って気兼ねなく使って下さるとありがたい。小弥太の学びにもなります」


 困惑する芳野をよそに、小弥太は表情らしい表情を浮かべずにいる。それが、妙に不気味だった。


「なら……、後でお使いをして下さいますか? 夕餉にお造りを頼んでいるのですよ」

「判りました」


 小弥太が、短く応える。


「おい……芳野」


 無遠慮な芳野を、求馬は慌てて窘めたが清記が一笑してそれを止めた。


「よいのです、滝沢殿。それにしても、朗らかなよい奥方をお持ちだ」

「申し訳ございませぬ。何せ、田舎庄屋の娘にて」

「なんの。昨今か弱い武家の娘に比べれば、何とも頼もしい限り。……小弥太、よいな?」


 その言葉に、小弥太は頷いた。

 夜は、ささやかな酒宴になった。清記は酒というより、芳野の料理が気に入った様子だった。皮剥の造りも美味で、小弥太も箸が進んでいた。そうした所に、あどけなさを感じる。


(悪い男達ではなさそうだ……)


 物静かで、必要以上に踏み込んでは来ない。これなら、自分の生活も乱される事はないであろう。

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