第八回 宇美津奉行

 案の定、であった。

 翌日、奉行所に出仕した求馬を待っていたものは、称賛ではなく侮蔑の色を混ぜだ好奇の眼だった。

 山家八幡宮での一件は、どうやら一夜にして奉行所内に広まったらしい。


「また、人を斬った」

「あいつは平然と人を斬る。親父の血だな」

「生来の人斬りなのさ」


 声を潜めてはいるが、求馬にはその陰口がはっきりと聞こえていた。


(勝手に言ってろ)


 そう内心で吐き捨てたものの、陰口は疲れた身体を更に重くさせた。宇美津に戻ったその足で、帰宅もせずに出仕。それでこの仕打ちとは、腹に据えかねるものがある。


(俺は武士の義務を果たしただけだ)


 あの悲鳴を耳にして、逃げれば武士ではない。それでは、刀を持つ意味がないのだ。父ならば、自分を褒めてくれたであろう。よくぞ民を守った、と。故に賊を斬った事は、何ら恥じ入るべき事ではない。


「短気は損気。連中の戯言など聞き流しましょう」


 郡方の御用部屋へ続く長い廊下を歩みながら、辻村がそっと耳打ちをした。


「ほう」


 求馬は驚き、辻村を一瞥した。薄ら笑いを浮かべている。相変わらず、軽薄そうな表情だ。


「滝沢さんは、武士としてやるべき事をやったまで。きっと上役達もそう評価すると思いますよ」

「お前がそのような事を言うとは驚きだ」

「やだな。これでも、滝沢さんの事を尊敬しているのです」

「尊敬? 冗談はよせ」

「いやいや。仕事も出来るし、何よりも強い。他の連中より、ずっと武士らしいですから。傍にいて勉強になります」

「それは買い被り過ぎだな」


 そう言ったものの、悪い気はしなかった。誰かに認め評価される事は気分が良いものである。例え、相手が辻村という見習いだとしてもだ。

 それから辻村を御用部屋に待機させ、求馬は郷方差配役に面会した。差配役は、求馬の上役である。


「三人か。斬りも斬ったり、だな」


 会った早々に言われた。捕縛しなかった事に対する嫌味であろう。


「捕らえられなかったのか?」

「ええ」


 求馬は即答した。


「例えば、峰打ちでとか」

「相手は殺す気で来ていますので、半端な真似をすると私が殺されます。私とて捕縛出来たら、と考えましたが」

「そうか」


 本気で殺そうとした者を捕らえるなど、実戦を知らぬ者の言い分である。殺さねば、自分が死ぬ。それは今までの戦いで学んだ事だ。


(だが、無理もない)


 この泰平の世で、人を斬った経験がある者などそうはいないのだ。それに、差配役は根っからの文官で、腕も細く白い中年男。剣の闘争に理解があるとは思えない。


「好きで斬ったのでは、と言う者もおる」

「ご冗談を」


 したたかな憤りを、求馬は堪えた。

 誰が好きで、人を斬るというのか。大切な領民の命を守る為に斬ったのだ。

 宇美津に来て、六人を殺めた。この泰平で、六人も斬った経験のある武士は少ない。故に〔人斬り〕などと陰口を叩かれるのだろうが、それは全て、藩命によるもの。称賛されても、蔑まれる筋合いはない。


「まぁ、短気を起こすな。そう言う者もおると言うたまでだ」

「……申し訳ございませぬ」

「おぬしは寡黙故、損をする。だから陰口を叩かれるのだ。今更人付き合いを上手くせいとは言わぬがな」

「私の不徳でございます」

「まぁ、気にするな。おぬしには期待しておる。御奉行から、追って恩賞の沙汰もあろう」


 求馬は平伏し御用部屋に戻ると、辻村が書き纏めたものに目を通した。


(ほう)


 思いの外によく書けていた。若干甘い部分もあるが、概ね合格と呼んでいいだろう。


(度胸といい、心遣いといい、これといい、辻村への認識を変えねばならんな)


 それが今回の、最も大きな収穫ではないだろうか。郷方の中では数少ない、信頼出来る同僚と呼べる男になるかもしれない。

 それから自分の記憶と、辻村の書き付けを照らし合わせながら、半刻で報告書を書き上げた。勿論、自警団の事に関しても記している。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 宇美津奉行に呼び出されたのは、報告書を提出しようと御用部屋を出た時だった。

 宇美津奉行は、羽合掃部はわいかもんという三十を幾分か過ぎた男である。羽合家の格は上士でも下の方だが、切れ者というその能力を買われて、異例の抜擢を受けていた。

 夜須藩は今、若く英明な藩主を戴き、添田甲斐そえだ かい相賀舎人あいが とねりという幕僚を中心に、大工事とも呼べる藩政改革の最中にある。その改革の余波は、羽合を通じて宇美津まで及んでいる。

 だが求馬は、その祭りを冷ややかな眼で眺めていた。


(どうせ成功はしない)


 と、思っている。改革は常々叫ばれている事であるが、今まで完遂された試しはない。いつも途中で有耶無耶にされ、改革者がいつの間にか改革されるべき俗物と化しているのだ。

 それに、藩主の利景を筆頭にして、執政府は総じて佐幕色が強い。田沼とは距離を置いているようだが、朝廷には厳しい立場だ。それもまた、改革に否定的な態度を取らせる原因になっている。

 羽合の御用部屋を前にして、


(切れ者と呼ばれる羽合様だ。何と言われるか……)


 と、求馬は気を引き締めた。

 羽合は厳しい男である。上がってくる書類の少しの間違いも見逃さない。腑に落ちない事は、直接担当の者を呼び出して問う。説明に少しでも矛盾があれば、徹底的に突いてくるのだ。求馬も過去二度ほど、詰問された事があったが、中途半端な言い訳など通じない男だった。故に慕う者は少なく、羽合を嫌う者の方が圧倒的に多い。

 とは言え、仕事のやり方や力量については、一人の武士として尊敬している。だが、呼び出されて喜ばしく思える類いの男ではない。

 羽合の執務部屋に入った。十畳ほどの部屋。その上座に羽合が座していた。


「滝沢です」


 名乗ると羽合が一つ頷き、


「座れ」


 と、扇子で対座を指した。

 求馬は言われるがままに、対面に座した。

 向かい合う。羽合の顔に笑みは無い。いつもと変わらず、理知と怜悧を具現化した顔付きだ。


「大方の話は聞いた。相手は三人、全員を斬り殺したそうだな。まずは、よくぞ生き残れたものだと、祝うべきだろうな」


 声もまた、相貌と同様に冷淡なものだ。祝う気持ちなど、寸分も感じられない。


「これも日々積み重ねた修練の賜物でございますれば」

「ほう、日々の修練と申すか。それはよい。武士として大切な事だ」

「……」

「だがな。滝沢。日々の修練を積み重ねておいて、何故捕縛出来なかったのだ?」


 羽合の目が光った。それは詰問の目でもあり、猜疑の目でもある。皆、この目を嫌いなのだろう。


(理路整然と申し上げるべきだろう)


 求馬は意を決し、


「理由は三つあります。一つ目は、相手が三人だった事。二つ目は、その内の一人が中々の手練れだった事。そして三つ目は、私がその場にいた女と辻村をも気にしなくてはならなかった事。その三点を理由に、私は斬り捨てるという判断を致しました。もし捕縛を狙って戦っていれば、痛撃を受けていたでしょう」


 と、一息で述べた。


「なるほど……」


 羽合が尖った顎に手をやり、繁々と見つめてくる。何かを測るかのような視線。これに射抜かれると、どんな自信も揺らいでくる。


(……いや、何の落ち度も無い。最善の判断だった)


 求馬は、何度も自分に言い聞かした。


「剣の事は判らぬが、妥当な判断であろう。聞かずとも想像は出来たが、直接お前の口から聞きたかった」


 そう聞いて、ほっと胸を撫で下ろした。


「叱責されるとでも思ったか?」

「いや、まぁ……」


 求馬は答えに窮した。真顔で訊く羽合の言葉が、冗談であるかどうか判らないのだ。


「安心せい。お前の仕事振りには感心しておる」

「私の?」

「そうだ。お前は、私の宇美津経営には欠かせぬ吏僚よ。お前の過去については聞き及んでいる。ただ幸いにも、私は過去など興味はない。ましてや、お前自身が起こした罪ではない。悪く言う者もおるだろうが、腐るなよ。そんな呪縛に囚われる事なく精励せい」

「……」


 求馬は、羽合が何を言っているのか、すぐには飲み込めなかった。


(まさか、俺を褒めているのか?)


 あの、羽合が? それに気付いた時には、深く平伏していた。


「有り難き幸せ」


 身体が熱くなる。誰かに認め、必要とされる喜びに、身体が反応しているのだ。


「そこでだ。お前に是非頼みたい事がある」

「頼み……ですか」


 求馬は、背筋を伸ばし居住まいを正した。


「そうだ」


 と、羽合が頷き、


「人を預かって欲しい」

「人を、でごさいますか?」

「正確に言えば、夜須からの客人の世話をしてもらいたい」

「私が、そのような大任を」

「ふむ。大事な客人ではあるが、飯と寝床の世話をしてくれるだけでよい。お前の生真面目な性格と勤めに精励する姿を見て決めた。是非、受けてくれ」


 奉行にそこまで言われては、断る術はない。


「かしこまりました。お受けいたします」

「よし。ならば、今から客人を呼ぶぞ」


 そう言って、羽合は声を挙げた。

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