第七回 瞬剣飛燕

 山家八幡宮やまかはちまんぐうの裏手には、鬱蒼とした森がある。

 鎮守の杜。近郷の者からはそう呼ばれ、秋には燃えるような紅葉で森を彩る。求馬も村廻りの傍らで、何度か目にした事があった。だが冬を目前にした今の季節には、その紅葉も散り、寒々とした侘しい姿と化している。

 求馬は辻村と廉造を伴い、鎮守の杜に沿って歩いていた。村廻りを全て終えた、宇美津への帰路である。

 両足は既に棒だった。廉造は黙々と歩いているが、一番若い辻村は、最後尾で不平ばかりを漏らしている。それに構わず、求馬は足を更に早めた。陽が山の端に至り、影が長くなっている。日が暮れる前には、宇美津へ戻りたかった。

 この二日、辻村にとっては良い経験になったであろう。村の様子は、奉行所にいても判らない。足を運んでこそ、村々の実情を掴める事が出来るのだ。それに、腑抜けた足腰の鍛錬にもなったはずである。

 一方で、どうも気になる事もあった。自警団を作ろうという動きだ。宇美津近辺の庄屋や中農は、先祖を戦国大名の家臣や足軽に持つ者が多く、従って血の気が多い。それが彼らの誇りでもあり、自信になっている。故に自警団結成という流れになるのだろう。


(上役に報告せねばなるまい)


 これを放置すれば、責任を問われる重大な事態になるのは明らかだ。近々、件の村へ再び行く事になるだろう。


(もっとも、西谷を捕縛さえ出来れば、全てが終わるのだが)


 しかし、今回の村廻りでは、賊に関する有力な情報は得られなかった。

 そう思案していると、ふと辻村が歩みを止めた。


「どうした?」


 求馬が訊いたが、


「お静かに」


 と、口に人差し指を当てた。

 そして周囲を伺う。その表情は、まさに狐のような鋭さがあった。今までに見た事のない辻村がそこにいた。。

 女の金切り声がしたのは、その直後だった。殺気。禍々まがまがしいその氣は、鎮守の杜の方からだった。


「廉造は、此処で待て。辻村は一緒に来い」


 求馬は辻村の肩を叩き、森に飛び込んだ。

 木々を避けるように駆ける。抜けた先は、八幡宮の境内だった。本殿の横手になる。

 まず目に入ったのは、二つの骸だった。宮司と下男風の老人。膾に切り裂かれている姿を見て、辻村が顔を歪めた。


「なんて、酷でぇ事を」

「辻村。気を抜くなよ」


 求馬は、本殿に目をやった。

 武士が三人、賽銭箱を背にたむろしていた。金切り声の主であろう巫女は、その傍で肩を震わせて立ち竦んでいる。武士は浪人だろう、月代は伸び放題で、煮染めたような着物を着ていた。


「何をしている?」


 求馬の声に、浪人達が一斉に振り向いた。


「何を? 八幡様に御祈願しておるのよ」


 浪人の一人が、前に進み出て言った。


(この顔は)


 見覚えがある。いや、探していた顔だ。四角の顔に、太い眉。何より眉間の傷で、この男が誰であるが、求馬には判った。

 西谷義一郎。何たる僥倖ぎょうこうと、言うべきか。

 ただ、西谷は使い手と噂されている。その事に対して、怯えが無いとは言い切れない。奥の歯が鳴り、肌が粟立つ。追っていた間に、その虚像が多きなものになっていたのかもしれない。


「あの骸はお前達の仕業だな?」


 求馬は、平静を装って訊いた。こうした時、相手に気後れを悟られてはいけない。


「だとしたら?」

「大人しく縛についてもらう。土鮫の西谷義一郎」

「ほう、俺の名を……」


 西谷は懐手にして、求馬に目を向けた。半笑いで相手を測るような、不快な視線である。


「土下座で頼めば、まぁ考えてやってもいいがな」


 浪人の間に、笑いが起こる。あからさまな挑発だった。


(乗せられてはならぬ)


 激情に駆られたら、負ける。挑発は戦いの常套手段だ。

 求馬は辻村を一瞥した。すると、その表情は緊張で固くなっている。


(心配なのは、こいつだな)


 自分は大丈夫だ。人を斬るのは初めてではない。これまで、三人を斬った。実戦派と呼ばれる管亥流を磨き、それなりの自信もある。だが、辻村はどうだ。剣の腕前については、聞いた事がない。この固まった表情が、何よりの証拠である。


「滝沢さん」


 辻村が耳元で呟く。


「やりましょう」


 意外な一言である。この男の口から、こうした言葉が聞けるとは思いもしなかった。


「逃げる事は出来ません」


 頷く。この男に言われるのも癪だが、出会ったからには、武士として逃げる事は出来ない。しかし、辻村の腕はどうなのか。


「お前はやれるのか?」

「残念ながら、さっぱりです」


 辻村が笑みを浮かべるが、やはり固い。嘘ではないだろう。しかし、武士として覚悟を決めてもらう。死んだとしても、武士ならば仕方のない事だ。


(いや、覚悟をするのは俺か)


 求馬は、微かに口許を緩めた。


「お前は、あの巫女を」


 あとは、自分が一人で始末をする。そこまでは、言わなかった。

 求馬は腰を低くした。


「やる気かい? 若僧」


 西谷が、嫌らしく黄色く汚れた歯を剥き出しにした。

 怖くない。

 と、自分に言い聞かせた。剣術は、父に与えられた生きる術。形見。そこから、稽古も重ねた。これを信じずして、何を信じるというのか。


(あの日、母の亡骸を見つけた時に、俺は死んでいるのだ)


 求馬の中で、熱が冷めるように、恐怖心が消えていくのを確かに感じた。

 何も恐れる事は無い。それに、相手は賊。人間の屑だ。

 三人が、一斉に抜いた。対する求馬は、居合の構え。管亥流の技には、居合が多い。

 西谷が、正眼に構えた。殺気が、境内に広がる。

 左手で鯉口を切る。と、同時に辻村が駆け出す。そして巫女の腕を掴むと、その場から離れた。


(いいぞ)


 思ったよりは使えるではないか。ここ一番の度胸もある。生き残れば、今後の面倒を見てやってもいい。

 正面は西谷。左右に、浪人が二人、八相と上段に構えている。まずは、目の前の西谷に集中した。この男が、一番使えるように思える。左右の浪人は、その後でも何とかなりそうな腕だ。


(一番強い奴から片付ける)


 それが、闘争の定石というものだ。

 西谷は、見掛けによらず綺麗な正眼だった。道場で、基本から叩き込まれたのだろう。それも徹底的に。今はこのように荒くれているが、その時に培ったものまでは捨て切れないでいるのだ。かつては、どこぞの家中だったのかもしれない。

 西谷が、裂帛の気勢を挙げて斬り込んできた。

 求馬も、前に踏み込む。交錯。西谷の、凄まじい初太刀が空を斬る。

 返す刀が来た。猛烈な一撃。斬られる。そう思ったが、身体が自然と〔ある動き〕をしていた。

 意識の中に父がいた。木剣を庭で振っている。それは、管亥流の型だった。

 父がいない所で、それを何度も何度も真似ていた。その姿を、一度だけ見られた事がある。父は笑って教えてくれた。


「力を抜き肘を柔らかく、背を低くして、地面を蹴り上げる要領で、下から斬り上げる」


 そうだ。

 管外流の技に、父が培った妙技を加えて編み出した、瞬剣。


飛燕ひえん


 と、父が言った。

 力を抜き肘を柔らかく、背を低くして、地面を蹴り上げる要領で、下から斬り上げる。その通りに刀を動かすと、西谷の刀を持ったままの腕が、宙に舞っていた。

 すかさず、袈裟からの一閃。西谷の身体が崩れ落ちた。


「おのれ」


 左右から、一斉に切り込まれた。それを後方に飛び退いて躱す。


(動きが遅い)


 落ち着いているからか。いや、西谷の動きとは一段と落ちる故に、相手の動きがよく見えるのだろう。

 求馬は、ぐいっと前に出た。

 脇に隙。そう見えた。躊躇せず、横から来た浪人の脇腹を薙いだ。

 もう一人。目が合う。恐怖の顔を浮かべている。相手が悪かったと、今更思っているのだろう。

 捕縛しようか。一瞬だけ迷った。その間隙を突かれ、浪人が動いた。求馬も反射的に、刀を下から斜めに走らせていた。逆袈裟である。斬られた浪人が、人のものとは思えない悲鳴を挙げて死んだ。


「貴様」


 脇腹を一閃された男が、喘ぎながら歩み寄って来た。押さえる手の隙間から、はらわたが見えている。これでは助かりそうもない。


(捕縛は無理か)


 求馬は、刀をゆっくりと上段に構え、その首を一刀で落とした。


◆◇◆◇◆◇◆◇


「滝沢さん」


 辻村が駆け寄って来た。息を弾ませ、どこか興奮気味である。


「お怪我は?」

「大丈夫だ」


 傷一つない。ただ、着物が返り血で汚れている。このまま帰宅などしたら、芳野が驚くであろう。


「お見事でした。滝沢さんが『やっとう』使いとは知りませんでした」

「なあに、この程度だ。誇るほどでもない」

「何流なのですか?」

「滝沢流」


 思わず、そう言っていた。西谷を斬ったのは、父に学んで得た必殺の太刀。瞬殺剣、飛燕。今後、滝沢流を名乗ってもいいかもしれない。


「何がおかしい」


 微笑を浮かべた辻村を見て、求馬は言った。


「いや、滝沢さんも冗談を言うのだなと思うと、つい」


 求馬は、それに鼻を鳴らして応えた。

 滝沢流が、冗談と思われたらしい。それならそれでもいい。心の中にだけ持つ流派。道場を開くわけではない。


「水が欲しい」


 辻村にそう言い、求馬は本殿の軒先に腰を下ろした。

 廉造が現れた。死体を見て腰を抜かしている。死体が五つも転がっているのだ。血臭と共に、糞尿の悪臭もしている。死んだ人間は、糞尿を垂れ流すのだ。求馬はそれを、母で学んだ。

 疲労で身体が重い。立ち上がるのでさえ億劫だ。これから宇美津まで戻るのは、どうも無理かもしれない。

 辻村が、柄杓に水を汲んで持ってきた。それを受け取り、一気に飲み干す。喉が鳴った。


「これから、宇美津まで廉造を走らせます。夜には役人が来るでしょう。我々は、ここで一泊になるかもしれません」

「ああ、それで構わん」


 思いの外、辻村がしっかりとしている。これならば、後の事を任せていいだろう。あとは別の役人が処理をしてくれる。

 兎も角、今は休みたい。難しい事を考えるのは、その後にしよう。

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