第六回 村々

 宇美津を発ったのは、濃い朝靄あさもやが町を包む暁七ツ半を少し過ぎた頃だった。

 靄は冷気を含み、未だ人影がない商都に張り詰めた雰囲気を醸し出している。

 伴うのは辻村と、道案内の廉造れんぞうという目明しの二人。かつては盗人だったが、放免され目明しとして奉行所に雇われている。今年で四十になる痩せた小男で、元は百姓故か、その道の事情に明るい。

 廉造の横で、辻村が眠そうに欠伸をしている。昨日、早く寝ろと忠告して、これである。求馬は、辻村に構わず足を早めた。村廻りは二日の行程で、担当している十一の村を巡回しなければならない。

 我ながら忙しい計画だは思う。しかし受け持つ村は多く、どうしてもこうした行程になってしまうのだ。

 体力的に厳しいものだが、それだけに足腰の鍛錬になる。また、私事の悩みを忘れる事が出来るのは幸いだった。決して問題が解決するわけではない。しかし、そうしたひと時があるだけで息が抜ける。

 朝五ツ前に、最初の村に到着した。


妙興寺村みょうこうじむらでさ」


 廉造が辻村に言った。


「村の中心には、妙興寺という真宗のお寺さんがございまして。それが村の名前になったという話が伝わっております」


 と、廉造が続ける。求馬は、廉造に幾分かの心付けを渡し、辻村の面倒を頼んでいた。面倒とは教導役で、廉造はそれを律儀に果たしているのだ。


「戸数は三十五、住民は百八十名ほどでございましょうか」

「へえ」

「野良仕事が主ですが、煙草の栽培もしております」

「そら勤勉なこった」


 廉造の説明を、辻村は気のない返事で応えた。覚えるつもりがないのだろうか。或いは、目明しなんぞに教わりたくないのか。どちらにしても、この男の姿勢には呆れてしまう。

 しかし、その姿勢を改めさせようとは思わなかった。見込みがあるならまだしも、新米の内からこれでは、先行きは真っ暗。それこそ労力の無駄である。

 庄屋の屋敷に向い、庭先で話を聞いた。中に入るように促されたが、求馬は丁重に断った。それに辻村は不満そうな顔をしていたが、のんびりしている暇は無い。

 庄屋が言うには、冬野菜の作柄は良好で村内に大きな問題は起きていないという。

 そうした会話の後ろで、


「辻村様」


 廉造が耳打ちし、辻村にそれらの全てを書き留めるよう促した。奉行所に戻り次第、上役に報告しなければならない。


「滝沢様」


 立ち去ろうとする求馬を、庄屋が呼び止めた。


「何か?」

「お咲を殺した下手人は如何なりましたでしょうか?」


 訊かれたのは、西谷義一郎の事だった。この村では、宇美津からの帰りにお咲とその父親が、西谷率いる賊に襲われ殺されている。ひと月前の事だ。遺体は街道沿いの雑木林で発見され、父親は一刀で斬り伏せられていたが、お咲は凄惨極まる凌辱の果てに、首を捻られて殺されていた。


「すまぬ。必死で探索しておるが、未だ有力な手掛かりは無い」

「そうでございますか」


 と、庄屋は沈痛な面持ちとなり、


「実は、若い衆の間には、自警団を作って下手人を捕まえようとする動きがございまして」


 と、声を潜めた。


「自警団だと」

「ええ。私もそうならぬように言い聞かせているのですが」


 それだけ不満が鬱積しているという事だろう。お咲は未だ十二の子どもで、明るい笑顔が印象的な娘である。ゆくゆくは美人になるだろうと、村内の評判だった。求馬も、村廻りの中で挨拶を交わした事があった。


(怒りは十分に判るのだが)


 まだ花も咲き切っていない若い蕾を、無残に手折られただけでなく命まで奪った。下手人を捕縛出来ないとなれば、自分達でどうにかしようと考えるのは当然である。だが、そんな事になれば、庄屋のみならず求馬も咎めを受ける事態になる。

 すると、辻村が前に出て、


「おい、庄屋。それを抑えるのが、あんたの仕事じゃねぇのか」

「え……まあ」

「聞こえ方によっちゃぁ、脅してるようにも聞こえるぜ?」


 と、笑顔で凄んだ。喋り方は伝法口調で、江戸訛りがある。


「脅すなんて、そんな」

「案外、お咲坊を犯して殺した下手人は村の中にいるんじゃねぇのかい? お咲坊の若い身体を、涎を垂らして見ていた奴なんざゴロゴロいそうだしな」

「何を急に」


 慌てる庄屋を見て、求馬は辻村を止めた。


「やめろ。村人の不満も仕方ない事だ」


 そう言うと、辻村は肩を竦めて一歩引いた。


「庄屋すまぬ。だが、自警団の事についてはくれぐれも頼みたい。もし自警団が立ち上がれば、私だけでなく庄屋の責任を問われる。あなたは『村内に大きな問題は無い』と説明したが、これは大きな問題と受け止めて欲しい」


 求馬は、相手を見据えて諭した。

 それから村をぐるりと見回り、別の村へ向かった。

 移動中、辻村は不貞腐れていた。不動尊の傍で摂った昼餉の最中もそうだったが、芳野が拵えた草餅を辻村に渡すと、嬉々として頭を下げた。


(調子の良い奴め)


 しかしながら、先ほどの一言は絶妙だった。役人は時として脅さねばならない。それを実践しようとした矢先に、辻村が言ってくれたのである。ただ、本人がそれを意図してやったのか、癪に触ってやったのかは判らない。前者ならば、少しは見込みがあるというものだろう。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 次の村では、座敷牢に閉じ込められた若者がいた。求馬達が現れると、若者はその虚ろな瞳を向けていた。歳は十七ぐらいか。


「この者は?」


 求馬は、傍に立つ庄屋に訊いた。


「恥ずかしながら、末の倅でございます。素行が悪く閉じ込めておりまして」

「素行が悪いとは?」

「女狂いでございます。庄屋の威光を笠に着て、村の女に手を出しているのですよ。若く独り身の娘だけでなく、他人の女房や下女、挙げ句の果てには他所の村にまで、女を物色に行く始末でございまして」

「なるほどな」


 求馬は辻村に目で合図し、帳面に書き留めさせた。


「こうした問題は侮ってはいかん。怒りが怒りを呼び、人を集め村同士の争いになりかねない」

「申し訳ございません。私の躾がなってないばっかりに」

「名は?」


 求馬は若者に訊いた。


「弥七と申します」


 弥七と名乗った若者は、座敷牢の奥で平伏した。


「お咲という娘を知らねぇかい? 歳は十二ほどかな」


 辻村が訊いた。


「お咲? さて、俺は」

「哀れな娘でよ、犯された末に殺されたんだ。知らねぇかなと思って訊いたんだが」

「存じませんし、俺じゃありません。人を殺すなんて」


 怯える弥七を見て、辻村が鼻を鳴らした。


「信じられないねぇ。お前は現に女を手当たり次第に犯しているんだろう?」

「だからって」

「口より身体に訊く方が、素直に喋るかもしれねぇな」


 辻村が言うと、弥七の顔が青くなった。父親の庄屋もまた同じである。

 止め時だろうと、求馬は辻村の肩を叩いた。


「辻村、残念だが下手人は弥七ではない」


 そう言うと、辻村は舌打ちをして、


「行いを改めねぇから、こうして疑われるんだ。次、どっかで女が凌辱されたら、俺はお前をしょっ引くからな」


 と、吐き捨てた。


(なるほど)


 この男、ただの馬鹿ではない。脅しながら、更生を促している。先ほどの村での一言といい、今の一言といい、同役の愚か者とは違うようだ。


(やる気のなさが玉に瑕ではあるが)


 村を出た辻村は、また欠伸をしている。昼下がりで眠たいらしい。


「呆けっとするな。見るべき事は、村々の様子だけではない」


 と、言っているそばから欠伸をする始末である。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 一日目の最後は、芳野の実家がある木内村だった。

 当然、村の庄屋は義父・徳衛門であり、今日はここで宿泊する予定にしていた。

 木内村は、百八十戸ほどの大きな村である。その規模も今までの村とは比にならず、種々の商店や旅籠、寺小屋、剣術道場まである。


「求馬殿、お役目ご苦労でございます」


 村の入り口まで、徳衛門が出迎えに現れた。

 義父は齢五十を過ぎ、頭髪にも白いものが多くなっている。庄屋として経験豊かで、村の経営に関しては辣腕家である。


「出迎え、痛み入ります。どうですか? 村の様子は」


 庄屋の屋敷まで歩きながら、求馬は訊いた。徳衛門とは身分の隔たりがあるが、義理の親子という事で、敬語で話している。


「村内は特に。こちらも、村の中の警備は厳重にしております」

「なるほど」


 村の辻々に、浪人が数名立っていた。辻村が、横で睨んでいる。

 用心棒として、雇い入れたのだろう。郷方としては気持ち良いものではないが、木内村は宇美津から遠く、いざという時に駆け付けられない以上は仕方のない事である。

 徳衛門の屋敷は、村の一等地とも呼べる高台にあり、どうだと言わんばかりの規模と造りだった。求馬はもう慣れたが辻村は、


「お大尽じゃないですか」


 と、口をあんぐりさせている。

 案内された客間で、徳衛門から話を訊いた。大した話ではなかったが、最近は特に浪人が増えたと言った。


「確かに、浪人は増えております。この村の用心棒みたいに職を与えてやれば悪さをしないのでしょうが」


 求馬の一言に、徳衛門が苦笑した。浪人を雇い入れた事に対する皮肉ではなかったが、そう聞こえたのかもしれない。


「私の行いも、少しは為になっているという事でしょう」

「お、いや……。今年も大名家のお取り潰しがあって、浪人が増えるばかりです。例の賊も浪人だという話もあります。義父殿、くれぐれもご注意を」

 それから酒宴になった。と言っても、明日も早いので、料理も酒もささやかなものにしてもらった。集まったのは、辻村と廉造、徳衛門ら村役人を含めた十名ほどである。


「娘は達者でございましょうか?」


 酒の席になって、徳衛門は初めて芳野の事に触れた。公私を分けているのだ。そうした所に、求馬は好感を抱いている。


「ええ。芳野はよく尽くしてくれています。先日は酒に疲れた胃に効くという粥を作ってくれました。私には過ぎた妻です」

「ほう」


 と、徳衛門は目を細め銚子を差し出した。


「変わられましたな」

「……」


 受けた酒を呑む。大庄屋が出すには恥ずかしくない、良い酒だ。


「以前の求馬殿は、芳野を褒める事など一度もございませんでした」


 確かにそうだと思い、求馬は何も言い返さず苦笑いを浮かべた。


「孫の顔も来年辺り見られますかな?」


 そう言って、徳衛門が大いに笑った。周りもそれに続く。


「なるようになります」


 子どもはまだいない。それについては、芳野を急かすような事は言わなかった。家名存続の為には嫡男は欲しいが、願って出来るものではないと思っている。何より、とやかく言って焦らせれば、余計に出来ないと聞いた事がある。自然に任せればいいのだ。

 酒宴は早々に切り上げ、求馬は床に入った。辻村は夜風に当たると外に出たらしいが、村の女を抱きに行くつもりなのだろう。

 村の中には、隠れて身体を売る素人女がいるのだ。それは主に後家や出戻り女で、商売女と違って、スレていない所が良いらしい。また、中には役人に女を充てがう村もある。求馬が童貞を捨てたのは、まさにそれだった。


(あいつめ……)


 さては、その話を内勤の馬鹿共にでも聞いたのだろう。明日欠伸でもしたら、尻を蹴り飛ばしてやる。

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