最終回 一殺多生の誇り

 抵抗が止んだ。

 殺したのは、ざっと数えただけでも結局五十余にも及んだ。算段した数より、かなり多かった事になる。

 残った十余名の賊徒は武器を捨てて降伏し、仙次に縛り上げられている。

 その様子を、小弥太は山門の傍に腰掛けて見ていた。何かしなければならないと思っても、全身に覆い被さる疲労感で、立ち上がる事すら出来ない。

 目の前には、骸の山。腕や首が無いものや、垂れ落ちた臓腑が散乱し、えも言えぬ悪臭が立ち込めている。

 本当に自分でした事なのだろうか。無我夢中だった。どう動き、どう斬ったのか、はっきりと思い出せない。思い出そうとしても、頭に白い靄が掛かっているかのようで、はっきりとしない。


「これはまた……」


 伊平治が、鼻を抑えて現れた。顔を青くしている。五人の若者も同じようなもので、手傷を負った者もいるが、全員無事な様子だった。


「裏に井戸がある」


 清記が、歩み寄って言った。いつもと変わらない口調だが、流石に返り血を浴びていた。父が着物を血で穢すのは珍しい。それほどの激戦だったのだ。

 父に手を引かれ、起こされた。


「血を落としてこい」


 小弥太は頷き、血に染まった単衣を脱ぎ捨てると、境内の井戸で水を浴びた。流石に秋も中頃になると行水も苦になる所だが、闘争の余熱を放つ身体には、水の冷たさが心地良くもある。

 血糊を洗い流しながら、身体に傷が無いか入念に調べた。戦っている事に夢中で、致命傷を受けている事に気付かない者もいるという。だが、小弥太の身体には掠り傷一つもなかった。


(臆病なのだ、俺は)


 勇気が無い。だから相手の剣先ばかりに目が行き、躱す事に長けてしまう。一度、藩の剣術奉納試合で笑われた事がある。逃げてばかりだと。確かに逃げてばかりだった。しかし、逃げて逃げて隙を突いて勝った。称賛はされず、忌むべき行為と侮蔑された。剣術に於いて、躱す術に長ける事は、臆病の証拠らしい。

 だが、父はそれで良いという。理由は判らない。ただ、念真流には見切りの秘技があり、それに役立つと言っていた。少なくとも、傷が無い事を父は喜ぶはずだ。

 水浴びを終えると、賊の長屋で着物を適当に見繕った。どの長屋も清潔に保たれていて、小弥太は意外に思った。不衛生は病を呼ぶ。賊の中にも、そこまで考えが及ぶ者がいたのだろう。


「終わったな」


 全員を集めると、鏑木が言った。

 二の腕と、左腿に傷を受けている。包帯を巻いているが、本人曰く薄皮を斬られただけらしい。


「平山さんと、小弥太君には礼を言わなきゃいけねぇな」


 鏑木が、恭しく頭を下げる。


「礼を言うには及ばん。我々は責任を果たしただけに過ぎない。勿論、これで償えるとは思えぬが」

「いや、間違いなく救われました。これで、我ら百姓も安心して暮らせます。本当に、感謝します」


 と、伊平治が清記の手を取り、何度も頭を下げた。小弥太にも同じ事をした。

 伊平治の言葉に、小弥太こそ救われたのかもしれない。

 人を殺した。相手が賊徒だとしても、殺人を犯した事に変わりはない。思い出すだけで、怖い。しかし、それが民の安寧に繋がる一殺多生いっさつたしょうならば、胸に沈殿する黒い重石も少しは軽くなるというものだ。


「胸を張れ」


 鏑木が、そう言って小弥太の背中を叩いた。


「お前の剣が、多くの命を救ったんだ。そこらの武士には出来ねぇ事だぜ」

「私の剣が」


 鏑木が、力強く頷く。


「それを誇りにしてもいい」


 そう言われ、小弥太の心に光明が射した。

 確かに、鏑木の言う通りである。俺の剣が、百姓から厄災を取り除いた。命も奪ったが、相手は賊。無垢な命を奪った罪人の命である。死んでも仕方のなかったのだ。これは、御手先役としても誇りにしてもいいのではないか。


(俺でも出来る)


 小弥太は、そう確信した。

 藩主・栄生利景の命を受け、領民の為に剣を奮う。これは上には忠義を、下には武士たる責任を果たす事になる。もう自分は、その宿命から逃げない。悩みもしない。この業罪が、一殺多生となるならば。

 伊平治が、村の若者を連れて生存者の確認を始めた。村から攫われた女がいるかもしれないというのだ。仙次もそれも付き合うように、鏑木が命じた。

 父、鏑木、そして自分の三人になった。


「鏑木、あの賊徒はどうする?」


 清記が、縛られた賊徒を一瞥した。


「放り出せば、また賊徒になる。いっその事、お前がこの山の頭領になるか?」


 清記が真顔で言うので、鏑木が思わず吹き出した。


「御冗談を。花和尚や青面獣じゃあるめぇし」

「無論、冗談だ」

「賊徒の頭領になるのも魅力的ですがね、俺はこれから岩寂の虫を始末しなきゃならねぇんです。あいつらは、その大事な証人」

「内通者を裁くのだな」

「ええ。岩寂奉行、大槻嘉平を」


 大槻。そう胸中で呟き、奉行所で会った四十過ぎの生真面目な男の顔を思い浮かべた。


(あの男が内通者だったか)


 自ら内通者を断罪する、と言っていた気がする。どうも、人は見かけに寄らないらしい。


「奴が賊徒の犬でしてね。お目溢しをするように仕向けたのも大槻の仕業。俺と仙次はその尻尾を探っていたんです」

「ついでに、土鮫の壊滅もか?」

「それは、あなた方に出会ってから考えました」

「なるほど。しかし、お前達が本腰を入れれば壊滅は容易いのでは?」

「いやいや、幾ら俺でも無理ってもんです」

「隠しても判る。お前と仙次の剣は、柳生流。疋田流ではない」

「何の事やら」


 鏑木が肩を竦めた。


「それに、剣の師匠は白石宗灼先生と言ったが、白石先生は疋田流ではなく、不知火流だ」


 鏑木が、清記に目を向けた。睨み合う。そして、堪えるような低い笑いを見せた。


「平山さんには、勝てませんや。俺も仙次も柳生ですよ。しかも、裏の仕事を専門にした。珂府勤番に飛ばされたのは、俺の不行状が原因ではなく、大目付の命令なんです。内通者を炙り出し、内々に始末せよという。身内の恥ですから、おおっぴらには出来ねぇ」


 清記が、得心したのか深く頷いた。

 鏑木と仙次が柳生だからとて、小弥太は驚かなかった。この二人には底が読み切れない深さがあった。その原因が柳生であるとすれば納得である。


「こうした仕事は嫌いだが、大樹公への奉公とあらば仕方ねぇ」

「公儀隠密に好き嫌いもなかろう。しかし、それを口にしていいのか?」

「俺とお前さん達は、この城を共に落とした友達ってもんさ。友達を信じれねぇようじゃ武士じゃないね」

「相変わらず青臭い事を言う男だ」


 そう言って、清記はその場を去った。井戸で身体を流すという。


「鏑木さん」


 二人になると、小弥太は口を開いた。


「何だい?」

「乱戦の中、賊の銃手が仲間に殺されていました。そして、私が浪人と斬り結んでいた時、あわやの所で、その賊徒に助けられました」

「そいつらを知りたいのだな?」


 小弥太は頷いた。


「あれも隠密さ。賊の中に忍び込ませていたんだ。ほら、俺が言ってだだろ? 『鉄砲には手を打っている。皆々心配なされずに』ってね」


 小弥太は清記の言葉を思い出し、


「そうでしたね」


 と、言った。


「礼でも言いたいのかい?」

「命を救われました」

「まぁ、今度会ったら酒でも奢ってやるといいさ」

「酒ですか」

「そうか、君は元服するまで飲めなかったなぁ。すまん、すまん」


 そう言って笑った鏑木に釣られ、小弥太も思わず笑みを見せていた。


<第二章 了>

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