第九回 剣地獄
差し出された刀を抜き払うと同時に、小弥太は地面を蹴り上げていた。
跳躍。そして、無銘を文吾の頭蓋に振り下ろした。
手応えは無い。躱された、と小弥太は思ったが、刀は文吾の股から抜けると、勢い余って地面に突き刺さっていた。
豆腐だ。斬った感触は、まさにそれである。
「小僧」
文吾の燃えるような眼。その眼は反転して白目になり、文吾の巨躯が小弥太の目の前で左右に割れた。
跳躍し、体重を乗せて渾身の一撃を叩き込む。その姿が、落ちる鳳凰に似ているという。故に、落鳳。幾代に渡って磨かれた、念真流の秘奥である。
風が吹いた。木々が揺れる。静寂が、境内を包んでいた。
生唾を飲む音。野鳥の
「き、斬れ」
不意に、誰かが叫んだ。
その声に反応してか、賊が一斉に動いた。
「来るぞ」
縄を解き、刀を抜いた清記が言った。鏑木も仙次も、既に構えている。
小弥太は気勢を挙げた。先頭の一人。上段に構えている。顔を見た。若い。考えたのはそこまでだった。
擦れ違いざまに、胴を抜いた。斃れると、そこにもう一人。下から斬り上げる。横から斬りこまれた。弾く。返す刀で、袈裟を斬り下ろした。噴水のように、鮮血が吹き上がる。その奥。鉄砲を構えた、二人の銃手が見えた。
駆ける。だが、行く手を塞がれた。槍を持った男だった。
突きが来る。光りだけを見た。掴める。そう思った時には左手で捉え、その柄を叩き斬った。
「小僧」
慌てて刀を抜こうとした隙に、首を刎ねた。
血飛沫を、全身に浴びた。口に広がる、生き血の味。
「貴様」
そう叫んだ男が、こちらに向かってくる。手には
二つの銃口が、こちらに向いていた。だが、仲間に当たるのを恐れてか、銃口に迷いが見えている。
「邪魔だ。そこをどけ」
銃手の声が聞こえた。
目の前の敵が下がる。銃口が目の前にあった。遮るものはない。撃たれる。そう思った。
銃声が轟いた。しかし、衝撃は無い。外れたのか。
違う。銃口が上を向いていた。そして、二人の首から鮮血が迸る。
背後から組み付かれ、鮮やかな手並みで首を掻き切られたのだ。しかも、同じ賊徒の手によって。
(どういう事だ?)
それを考える暇もなく、新手が突っ込んできた。
躱し、斬る。横からも敵。刀を跳ね上げ、喉元を突いた。
その隙に、囲まれた。三人。一人が踏み出した瞬間、出会い頭に胴を抜いて包囲を抜けた。振り返り、一息で全員を斬った。
視界に、清記の姿が入った。五人の敵を引き付け、舞うように斬り倒している。
(流石、父上だ)
息の乱れも感じさせない。その場所だけが、別世界だ。
「上だ」
鏑木の声が耳に入った。姿は無い。
見上げる。小屋の屋根。刃の白が見えた。矢尻だ。その光。頬を掠めた。もう一矢。払う。更にもう一矢放とうと、矢をつがえていた。
その射手が、小屋から落ちた。
飛んできた方向を一瞥すると、仙次の姿があった。守るように、伊平治を背にしている。小弥太を見て、一つ頷いた。
賊徒が次々と、立ち向かって来ている。まるで波。斬りながら、これでは際限が無い、と思った。
文吾と指図役の何人か殺せば戦意を失うと鏑木が言っていが、その考えが甘かった。文吾を殺した事が、逆に戦意を掻き立てたようだ。
「死ね」
上段からの斬撃を刀身で受ける。息が上がっていた。苦しい。呼吸をしても、空気が入ってこない。肺が破裂しそうだった。
「この」
苦し紛れに足を払うと、敵は見事に倒れた。這うようにして、馬乗りになる。左手で、首を押さえた。抗う。更に、指に力を込めた。相手の顔。自分より若い。まだ、子どもだった。構わず、刀を心臓に突き立てた。
ゆっくりと、刀が入っていく。嫌な音がした。命が抜けていく音だ。
「弁助」
背後から、斬り込まれた。鋭い斬撃。転がり躱す。更に、もう一撃。立ち上がりながら、刀で受けた。目が合う。浪人風の男。武士か。
「よくも息子を」
あの子の父か。
「この、気狂いめが」
そう罵られ、押し込まれた。身体が流れ、庫裏の壁際に追いやられた。
「口の回りを血で真っ赤に染めて、人殺しがそんなに楽しいか」
言っている意味が判らなかった。俺の顔が笑んでいるとでも言うのか。
「楽しいのか、この」
刀身で受けていた力を流そうとした時、全身にしたたかな衝撃が走った。
腹に
「死ね」
殺される。そう思い、見上げた。
浪人の首が、牡丹のように落ちた。ゆっくりと、首の無い身体が、覆い被さってくる。
鮮血をまた浴びた。その向こう。賊徒が二人、立っていた。
いや、違う。仲間だ。銃手を仕留めた男達に間違いない。この男は仲間なのだ。
「立て」
腕を強く掴まれ、身体を引き起こされた。
「まだ敵は下がらぬが、あと一息だ。死ぬなよ」
と、男達は言い残して駆け去った。
山門の方向から、賊徒が現れた。十人以上はいる。異常を知って他所から駆けつけたのだろう。
「何人だよ全く」
また、鏑木の声が聞こえた。声だけだ。姿を見る余裕がない。
大きく息をした小弥太は、空を仰いで咆哮した。
山門へと駆ける。賊徒の一団。見据え、地面を蹴った。
跳躍し、賊徒の群れに飛び込んだ。
落鳳。首筋に叩き込み、斬り下ろす。目の前の男の身体が、
眼前に、幾つもの刃が見えた。払い、斬る。いや、振り回した。息が苦しくなった。口を開けたが、空気は入って来ない。剣術。念真流。そんなものは、どうでもいい。遮る者を斬るだけだ。その他には、何もない。
不意に地面が揺れた。いや、血だまりで滑ったのだと気付いた時には、倒れていた。転がる。転がりながらも刀を振り回した。
立ち上がると、敵。まだいやがる。ぶつかった。息が苦しい。どうしたらいいのだ。父は教えてくれなかった。鍔迫りになり、押された。途方もない力だ。
目の前の男を見た。痩せていて、顔色が悪い。労咳だろう。それでいて、この力である。
小菅忠平。その名が浮かんだ。こいつが、副頭領の小菅。
目が死んでいた。既に亡者なのだ。
叫び、押し返した。身体が離れる。そこで真一文字で迫る斬光が見えた。鋭い太刀筋である。身体が勝手に動き、避けていた。
「やるのう」
と、小菅が呟いた。喉が鳴るような声だ。
更に小菅が踏み込んだ。突き。斬り下ろし。薙ぎ払い。その連撃を躱す。反撃に転ずる隙が無い。いや、体力もない。もう立っているのがやっとなのだ。刀も重く、小菅の姿もぼやけている。
小菅が、八相に構えた。これで決めるつもりなのだろう。
不意に、視界が暗転した。死んだのか。すると、この闇が冥土の入口なのだろうか。
眩い、光。その光明は、暖かさを含んでいた。視界が開ける。すると、そこに残心のままの小菅がいた。
躱していたのだ。そして、身体が軽い。呼吸も楽になっている。
小弥太は、迷いもなく跳躍した。
小菅。宙から顔を見下ろした。笑っている。死ねる喜びからだろうか。
膝を付いて着地した時、小菅の身体は二つに割れていた。
すぐに立ち上がる。敵は小菅だけではない。
不意に、身体を掴まれた。
まだ来るか。来るなら、殺す。
「貴様」
殺してやる。
振り向くと、父だった。
思いっきり張り倒され、倒れゆく身体を抱き止められた。
「もう、いい」
父の大きな手が、刀を握り締めたままの右手を優しく包んでいた。
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