第三回 岩寂宿
五人の首を、賊の長脇差で落とした。
無惨に斬り散らかした骸どうしようもなく、そのまま捨てて置く他にに術はない。いずれ禽獣が片付けてくれるだろう。
死体から着物を剥ぎ取り、それに五つの首を分けて包んだ。それを両手に持って運ぶ。首が五人分となれば、ずっしりと重く血臭も酷いものだ。
裏街道を抜け切ると、人の姿も見られるようになった。浪人や渡世人だけでなく、行商や百姓の姿もある。そうなると、奇妙な包みを抱える小弥太に、周囲の視線が集まった。父はまるで気にする様子はない。むしろその背中は、
「気にするな」
と、語っているようだった。包みを生首と意識するから、周囲の反応に対し敏感になるのだろう。しかし、そうは判ってはいても実践する事は難しい。
陽が傾きだす頃、宿場町が見えてきた。
岩寂宿。それは物々しい威容だった。出入り口である木戸門が、石垣造りの城門なのだ。更にその脇では、抜身の槍を持った番士が佇立している。
岩寂は表向き宿場だが、珂府を守る藩境の防衛施設でもあるのだ。故に、岩寂には珂府から奉行を派遣し、常駐する武士の数も多い。
「まるで城だ」
思わず、声に出していた。清記が目を向ける。小弥太は慌てて口を閉じた。
「泰平の世に、このような代物は不要だと思うか?」
「泰平が故に、備えを怠ってはいけないと思います。いつ何時、何が起きるか判りません」
「そうだな。理屈では正解だ。しかし、同時に、維持するだけでも銭を使う、金食い虫でもある。いつ何時起こるか判らないものの為に」
「つまり、効率的に防衛する手段を考えなければならないという事ですか?」
「そういう事だ」
父が頷いたのを見て、小弥太はほっと胸を撫で下ろした。父は、唐突に問いを投げかけてくる。ある種の立ち合いなのだ。間違えれば、冷たく否定される。愚か者だと見下しているかのように。小弥太には、それが怖かった。
「行くか」
清記が歩き出して、小弥太はそれに続いた。
門を守る番士は、二人に一瞥をくれただけで誰何する事はなかった。奇妙な包みを抱えてはいるが、小奇麗な武士なので問題ないと判断されたのだろう。甘いと言えば、甘い。
木戸門を潜ると、商店が立ち並んでいた。居酒屋、飯屋、旅籠、古着屋、金物屋。客は旅人の他に、常駐する武士、或いは近郷の百姓と思われる者も多い。
清記の足は、真っ直ぐに岩寂の奉行所に向かった。
奉行所は、宿場の中央にある。外観は武家屋敷で、併設して道場や侍長屋がある。
清記が訪いを入れて現れたのは、まだ幼さが残る下男だった。清記が賊に襲われた旨を告げて、役人に取り次いで欲しいと頼んだ。
暫く玄関先で待つと、黒羽織に着流し姿の武士が現れた。腰には長十手を指している。
「待たせたね」
歳は二十代半ばという所か。精悍ではあるが、浮かべた笑顔が軽薄な印象を与える。
「俺は、珂府勤番士の
「夜須藩士、平山清記と申す。これは倅の、小弥太」
小弥太は、紹介に合わせて黙礼した。
「賊に襲われたと聞いたが?」
「如何にも。五人に襲われ、返り討ちに処した次第」
「五人もねぇ」
「小弥太、あれを」
そう耳打ちされ、小弥太は包みを下ろした。
「へぇ、こいつは豪気だ」
首が五つ転がった。それを見て、鏑木は感心したように二度頷いた。
「どうりで血臭がしたわけだ」
「罪にはなるまい」
「そりゃぁねぇ。降る火の粉は払わなきゃ火傷しちまうもんさ」
この男、只者ではない。小弥太は、そう思った。生首を前にしても動じないのだ。普段から見慣れているのか、或いは何かが欠落しているのか。
「しかし、平山さんよ」
鏑木がしゃがみ込むと、長十手で首を改めた。
「こりゃ、えれぇ事になるぜ」
「何か?」
「あんた方が殺ったのは、土鮫の一味だ」
「土鮫……」
小弥太は清記と顔を見合わせた。土鮫の一味と言うと、藤ノ口の宿場で噂を耳にした盗賊である。
「こいつは、鴨の吉蔵。殺る、盗る、犯すのとんでもない悪人よ。元は江戸で一人働きの盗賊だったんだがね、今じゃ一味の小頭をしているのさ」
吉蔵という男は、父が殺した男だった。舌を出し、半目開きになっている。
「土鮫というのは?」
清記が訊いた。
「知らねえのかい?」
「噂では少し」
「ほう。そいつは驚いた。今売り出し中の賊を知らねえとは。ま、土鮫は関東一圏で暴れる凶賊ですよ。もっとも、本人達は義賊を自称ししていますがね」
「そんな奴らに襲われたのか」
「隣の郡に、奴らの根城がありましてね。
「ほう」
「あれです。あの高い山」
鏑木は西に聳える鵙鳴山を指差した。遠くに見える。切り立つような、嶮峻な山だった。
「天嶮の要害だ」
「ええ。しかも旗本領や天領が入り組んでいる辺りですから、我々も容易に手を出せんのですよ」
「旅人には難儀な話だ。だが、根城が判っていれば話は早かろう」
「まぁ……そうなんですがねぇ。領地が入り組んでいるのも面倒ですが、いざ踏み込もうとすると賊がいなくなるんですよ。不思議でしょう?」
と、鏑木は冷笑を浮かべた。
「なるほど。不思議な話だ」
「元は
「ほう」
山人。それは山野を回遊し、定住もせずにいる漂泊の民である。当然、人別帳にその名を記されてはいない。独自の生活習慣と信仰を持ち、山野を我が庭のように知り尽くしている。
(なるほど、山人の技をもってすれば消えるのも容易い)
雷蔵は一人納得した。平山家が治める内住郡には、山人が多く住んでいる。特に父とは深い繋がりがあり、屋敷に山菜や獣肉を運び込む事もあるのだ。
「幕府は手を打たぬのか?」
「さぁ? 今のところは、見て見ぬ振りさ。情けねぇ話ですがね」
幕府がそれでいいのか? と、小弥太は疑問を覚えた。夜須藩も天領に接していて、そこから流入する賊が多いと話を聞いたことがある。それも幕府の怠慢によるものなのだろうか。
「それにしても、すげぇ太刀筋だ」
鏑木が、斬り口に目をやって溜め息を漏らした。
「少しばかり剣を嗜んでいる」
清記が答えた。
「嘘はいけねぇや。これは少しばかり、とは言わんでしょうよ。俺も剣をやっていたから判るんですがね」
そう言うと、鏑木が皮肉めいた笑みを見せた。
「このご時世、こうも見事に人を斬る武士は少ない。只者じゃないよ」
清記が苦笑する。
こうした時、父は何も言わない。自らの剣を誇示する事が嫌いなのだろう。
「なら君は?」
「俺ですか? まぁ、そこらの武士に負けないほどには」
「大した自信だ」
「平山さんには負けますよ。俺には、こんな斬り口は出来ない」
と、長十手の先で生首を転がした。
「首は愚息が落とした」
「へえ……」
鏑木が、小弥太に顔を向けた。繁々と見る。不快な視線に、小弥太は眼を逸らした。
「君がね」
「はい」
「父上とは似てないねぇ」
「……母似なので」
それは、よく言われる事だった。父とは全く似ておらず、風貌は死んだ母を受け継いだ。それ故に、軟弱だと言われる事が多々ある。だが、そんな事は気にしていない。侮る者は侮らせて構わないし、この風貌は母が残した形見だと思い定めている。
奥から別の武士が現れ、鏑木に耳打ちした。鏑木はそれを半ば呆れた風に頷いて聞いた。
「どうやら奉行が会いたいらしい。時間はあるかい?」
「少しなら」
「じゃ、早速」
◆◇◆◇◆◇◆◇
鏑木の先導で、奉行所の一番奥にある客間に導かれた。
「お連れしました」
鏑木が、そう声を掛けて襖を開けた。
そこで待っていたのは、やや細身の男だった。歳は、四十路を越えているように見える。風貌に強い印象は無いが、佇まいから生真面目さが滲み出ている。
男は、岩寂奉行の
「平山殿。どうぞお納め頂きたい」
「これは?」
清記が訊いた。
「五人の賊徒は賞金首でございましてな」
大槻は、そう言うと袱紗を解いた。十両。一人二両という計算になる。
(別に銭の為にしたわけではない)
身を守る為、民百姓の為であり、銭を受け取る筋合いはない。断るべきだ。そう思ったが、父はそれを簡単に受け取った。
思えば、そんな男なのだ。銭を好んでいるわけではないが、差し出されるものは遠慮なく貰う。賄賂すら受け取る事もあるが、だからと言って何か手心を加える事は無い。
それから暫く歓談した。話の殆どは、夜須藩に関する事だ。大槻は、終始夜須藩の政事を褒めていた。
夜須藩主の栄生利景は、若いながら英明として名高かい。民百姓の生活を第一に考え、
「利景様が素晴らしいのは、お優しいだけではない事ですな」
大槻がそう言ったのは、おそらく改革に反対した者や勤王党への処置だろう。就任早々の改革には、当然反対の声が挙がった。暫くその意見に耳を傾け話し合ったが、それでも反対した者を、容赦なく罷免したのだ。中でも、一番反対した者は容赦なく殺している。勤王党も同様で、武富陣内や館林簡陽がそうだ。勿論、直接手を下したのは父だ。
そうしたやり取りを聴きながら、
(まさか、大槻は夜須の情報を聞き出しているのではないか?)
と、思った。
いや、そうに違いない。岩寂は夜須藩への抑えでもあるのだ。父もそれに気付いている。だから、当たり障りのない返事しかしていないのだ。
「平山殿」
辞去しようと立ち上がると、大槻が声を掛けた。
「早く、当地を立ち去った方がよろしいかと」
「それは何故でしょう?」
「襲われます。相手は三十名以上はいるであろう賊。必ず
「なるほど」
清記が、微かに頷く。
「この岩寂には、土鮫の手下が密偵として紛れ込んでいます。お恥ずかしい話ですが、この奉行所の中にも買収された者もいる」
「だから、見て見ぬ振りするのですか」
「鏑木に聞きましたか」
大槻が、溜息混じりに言った。
「ええ」
「討伐の情報はすぐに流れます。大人数で行けば逃げる。少人数で行けば返り討ち。私は反対なのですが、お目溢しは幕府の指示なのです」
「厳しいお立場でございますな」
清記の言葉に、大槻は苦笑を浮かべた。そこには些かの疲れも見て取れる。深い皺は、気苦労の跡なのか。
「幕府の指示は従う他ありませんが、幕府を欺き賊に買収された役人は許せません。いずれ炙り出し、処断します」
大槻の言葉は、熱を帯びていた。本当に許せないのだろう。そこにも生真面目さが現れている。
「兎も角、闇夜に紛れて出立した方が良いでしょう」
「ご忠告はありがたいのですが、意趣返しを受けるのも人を殺した者の業というものです。受けて立つ覚悟はあります。それは愚息も承知しているはずです」
「ご子息も?」
「ええ。息子も賊を斬りました。という事は、意趣返しを受ける責任はあります。それは常々言い聞かせています」
「厳しいお人だ」
大槻が驚きの目を向けて来たので、小弥太は顔を伏せた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます