第五回 朝
翌朝、平山親子は旅装で食堂に降りてきた。
雨でずぶ濡れになった着物も、すっかりと乾いているようだ。
「お前さんの言う通りになったな」
清記が言った。
雨は止んでいたが、重い曇が空を覆っている。晴天と呼べるものではないが、徐々に晴れ間が見えてくるだろう。
「おはようございます」
小弥太が丁寧に頭を下げる。
続いて、芳雲も降りてきた。荷物も纏め、錫杖を手にしている。
朝餉は白飯と味噌汁、それに香の物。それとは別に、握り飯を握った。三人に持たせる弁当である。いつもはしない事だが、昨夜酒の相手をしてもらった礼というものだ。
朝餉も、三人は静かに摂った。この風景にも慣れてきたが、今日で最後。それはそれで寂しいものがある。
まず席を立ったのは、芳雲だった。全員に礼を言い、身支度を改めて宿を出た。
立ち去る背中を見て、伊之助は
「宛のない旅は、辛い」
という、芳雲の言葉を思い出した。
孤独なのだ。旅をしているから孤独なのか、孤独だから旅をしているかは知る由もない。また、そこに他人が踏み込むべきものではないとも思う。ただ判るのは、仏では魂の孤独を満たしてはくれないという事だ。
ほどなく、平山親子が食べ終えた。
「美味しい朝餉だった」
清記が伊之助の所まで言った。
「こちらこそ、何のもてなしも出来ずに」
恐縮する伊之助に、清記は首を横に振った。
「いいや。一品一品が染み入る味わいだった。
「末期?」
「これが最後の飯になっても悔いはないという事だ」
「また、ご冗談を」
伊之助が苦笑いを浮かべると、清記も笑った。
ように見えた。
が、目は笑っていない。口元を緩ませただけだ。小弥太と同じ笑みだった。冷笑にも見える、愛想のない愛想笑い。
それから、清記から銭を渡された。宿代である。普通は前払いだが、平山親子の身分から後払いで良いと言っていた。
「こんなに」
渡されたのは、一両だった。それを清記は何気なく出したのだ。
「平山様、お代は二泊で六百文なのでですが……」
伊之助は困惑し、恐る恐る訊いた。
「生憎、細かいのがないので。ただ、温かい食事は一両の価値があった」
「そんな」
お紺も傍に来た。大金は嬉しいが、一両は流石に貰い過ぎである。
「いいのだ」
それから清記は、小弥太の名を呼んだ。瞬時に立ち上がる。そして二人並んで頭を下げられた。
(これでは、どちらが客が判らないではないか)
無愛想だが、礼儀だけは正しい。本当に不思議な親子だ。
「では。またいつか」
「平山様も、お達者で」
平山親子が宿を出ると、食堂はお紺と二人になった。
「あんた……」
お紺が、伊之助の袖を引いた。
「どうすんのさ、その小判」
「変わったお客だったが、受け取らねば失礼になるだろうよ」
一両に目を向けた。輝いている。大金だ。これを貰うほどの事を自分達はしたのか? と、伊之助は暫し考えた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
板場で仕込みをしていると、次の客が来た。足音から察するに、男が三人ほどだろう。お紺が応対に出たが、自分達は客ではない事を告げた。
(何だ?)
板場から出ると、剣呑な雰囲気が食堂に漂っていた。
武士が三人。浪人かどうかは判らない。ただ、平山親子の後だからか、小汚く品が無いように見える。
「人を探している。武士の親子だ。平山清記と平山小弥太という」
武士の一人が言った。
「え」
お紺の反応を見て、三人の武士は顔を見合わせた。
「どこにいる?」
伊之助が、お紺を押し退けて前に出た。
「何か?」
「人を探している。武士の親子だ。平山清記と小弥太という」
同じ言葉を、また繰り返した。
嘘を吐く状況ではなかった。あの親子を庇いたいが、宿帳を改められれば、すぐにばれてしまう。下手を打つと、危険だ。ならば、せめて――。
「今朝早くに」
伊之助はそう答えた。
「出たのだな?」
「ええ」
頷くと、三人の武士は宿を駆け出して行った。
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