8 千里眼

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 最近、神田界隈に千里眼を持つ占い師が出没する。


 そんな他愛もない噂が僕の耳に届いたのは、昭和15年11月下旬だった。


 夕飯後、食堂で僕は明智と松田、それに近藤と麻雀をしながら、ぐだぐだと雑談をしていた。



「うわっ、佐々木その役はえげつなくないか?」



 僕の手元を覗き込んだ近藤が、素っ頓狂な声を上げた。



「えげつないもなにも、僕はみんなの癖を把握した上で、ルールの範囲内で最も有効な手段を取ってるだけだよ」



「いや、確かにそう言われるとぐうの音も出ないのだが。このままだと俺の人としての尊厳が危機に晒されるのだが」



 現在、一番劣勢にある親友の明智がぼそりと呟いた。

 この勝負、賭け麻雀は不健全だという当麻さんからのお達しを受け、代わりにドンケツになった奴が罰として、我が無番地所長の強面の前で、黄金バットの真似を本気で披露する約束となっている。

 子供じゃあるまいに……。



「前半は僕も同意できますが、後半はちょっと……。明智さんが単に弱すぎるせいですよね。人としての尊厳なんて大袈裟な。所長の前で、渾身の黄金バットのモノマネ披露くらい、普段明智さんが、生きているだけでかきつづけている恥に比べれば些細なものだと思いますよ」



「貴様、俺が生きているだけで恥ずかしい存在だと言いたいのか? 」



「え? 違うのですか?」



 人を食ったような松田のきょとんとした顔に、煽られ、短気で単純な性格の親友は頭を掻きむしった。


 相変わらず頭に血が上りやすいよな。こいつが諜報員としては、なかなか結構優秀だというのは、世の中の謎はあらかた解けてしまう僕にも解けぬ、今世紀最大のミステリィだと思っている。



「落ち着けよ、明智。俺は自主的に所長の前で、本気の赤ん坊の真似を披露したことがあるが、大したことなかったぞ。『終わったなら帰れ』と言われて帰っただけだ」



「近藤さんの赤ちゃんか。想像しただけで、食欲が失せますね。所長も災難です。何でそんなことをしたのです?」



「ウケると思ったのだよ。ほら、9月に減給食らったけど、面白いことしたら、解除してくれないかなって思って。よだれかけとかも作って、本格的にやったんだけどな。やはり、机の上にあった万年筆をしゃぶってしまったのがいけなかったかもしれない。何でも口の中に入れてしまう赤ん坊の習性を真似たのだが……」



「……近藤。悪いが今すぐ出て行ってくれないか? 同じ空気を吸いたくない」



 僕も内心引いていたが、生真面目で潔癖な明智は露骨に嫌な顔をしていた。



「黄金バットに変身することはほぼ確実な君を慰めてやろうと言ったのに、その言い様はないのではないか? 明智クンよ」



 近藤はおしゃぶり、ではなくたばこを咥え、火をつけた。

 彼の前に置かれた灰皿にはこんもりと吸い殻の山が出来ている。



「そういえば、この前、三丁目の魚屋さんのババアから聞いたんですけど、最近、この辺りに妙な占い師が出るらしいですよ」



 千年に一度の永遠の美少年を自称する松田が咥えたばこで切り出した。

 普段は『可愛らしい美少年』のイメージ保持のために喫煙はしないが、この面子の前でぶりっ子をする必要はないと判断したらしい。

 それにしても、椅子に踏ん反り返り、鼻の穴から煙を吐くのはやめた方が良いと思う。



「占い師? どうせ怪しげな詐欺師まがいだろ。うちに人心をいたずらにかき乱したとか因縁をつけられ、特高に連れて行かれるのではないか」



 松田が吐き出した煙を手で払いながら、明智が言った。



「それが神出鬼没で、特高もお手上げらしいのですよ。何でも千里眼を持っているらしい」



「嘘くさいな。千里眼なんてあり得ないのは、明治の頃に証明されただろう」



 僕らが生まれる前、帝大の教授が千里眼の力を持つとされる女性たちを使った実験を行い、耳目を引く大騒動になった。

 結局、千里眼が本物であるという証明はなされず、世論は自称能力者にも教授にも批判的に傾き、一連の騒動は女性たちの自殺や病死という後味の悪い結果で幕を下ろした。



「その話とこの話は別です。とにかく、その神出鬼没な千里眼の占い師の占いの的中率は驚きの十割。相談者の過去や家族関係、悩みもどんぴしゃで当ててしまうそうです。ねえ、これって面白そうじゃありませんか?」



 童顔の同期の瞳には、ギラギラとした嗜虐的な光が宿っていた。

 また、こいつは悪巧みをしている。



「つまり、その千里眼の占い師とやらを見つけ、勝負を挑みたいってことかい? 僕らの嘘を見破れるか」



「さすが佐々木さん、話が早いです」



 腕の良い占い師は、依頼人の相談を聞く中で、誘導尋問の如き手法で相手の置かれている環境や悩みを巧みに聞き出す。

 そして、あたかも透視したかのように言い当て、適当な助言をするのだ。

 聞き出されている本人は、自分の口から情報を暴露している自覚はないため、超能力や神の啓示で見抜かれたと思い込み、ありがたがってしまうのだ。



 僕は別に騙されていようと、依頼者が心の平安を得ることができるなら、それで構わないと思う。

 正しいことに絶対的な価値を置けるほど、この世界は単純ではないし、人の心は脆い。

 例え、偽物であっても救いを求める心の支えになれるのなら、それは価値のあるものだと考える。



「スパイ対千里眼の占い師、面白そうじゃないですか。全部言わせるだけ言わせて、最後に『今話した僕の経歴、全部嘘ですよー。あなた、千里眼なんてないですね』と言ってやったら気持ち良いですよね。そう思って、探しているのですが、中々見つからないのですよね、その占い師」



 ぷうっと松田は頬を膨らます。

 正義感ではなく、単なる悪趣味な好奇心で手の内を告発するなんぞ、営業妨害も良いところだ。



「ふうん。見つかるといいね」



 適当な相槌を打つと、彼は聞いてもいないのに、件の千里眼の占い師の特徴を教えてくれた。



 曰く、頭から足の先まで真っ黒なベールを被っている。


 曰く、声やベールの隙間から見える顔の一部から、30代半ばから40歳くらいの男であると思われる。


 曰く、街角に易者のように机と占い道具を並べた机を置き、客待ちをしているなどなど。



 楽しげに語る彼の声を聞き流しながら、僕は高等学校以来の親友にとどめを刺す一手を放った。

 ゲームセット。試合終了だ。

 これには親友だけでなく、近藤も松田も青ざめた。



 雀卓に崩れ落ちる明智の方に手を置き、勇気付ける。



「大丈夫、貴様なら、きっと素晴らしい黄金バットになりきれるよ」

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