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 前の仕事に就いたばかりの俺は、我ながら酷かったと思います。


 一応研修では良い成績を収めていたはずでしたが、現場では役に立たないというか、いない方がマシな状態でした。


 報告書を書かせても間違いだらけ、客に頼られても、一人では対応できず、奥で事務作業をしている先輩に毎回助けを求めに行く始末。


 例えば、これから商談に向かう雰囲気の勤め人に、M銀行の支店までの道を聞かれる。


 俺は福島の田舎者なので、帝都の地理には疎い。この近くにM銀行の支店があることすら知らなかったりする。


 まずは、目的地を見つけなければいけないので、事務室に地図を取りに行くが、どこにしまってあったかを忘れ、山積みの机の上をひっくり返して探す。


 やっと発掘した地図を手に、待たされていらいらし始めた勤め人のところに戻るが、焦りすぎて思考停止し、地図上にM銀行が見つけられない。


 そのうちに我慢できなくなった勤め人が、伸び上がって事務所の奥を覗き、「君はもういいから奥にいるおっさんを呼んで」と言い出し、すごすごと先輩を呼びに行く。


 自分の仕事だけでも忙しいのに、俺の書いた、書いた本人ですら何を伝えたいのかも分からないぐちゃぐちゃの報告書を手直ししている先輩に頭を下げ、対応を代わって貰う時の情けなさは本当にきつかったです。今でも思い出すと胃が痛くなりますよ。



 逃走した泥棒を追いかけるよう命令され、必死に追いかけ過ぎて、左右の安全確認を怠り、車に跳ねられて入院したこともあるし、事務所の前に立っていたら、不良少年に生卵をぶつけられた挙句に殴られたこともあります。

 夜勤中、郊外の農道を自転車で走っていて、田んぼに自転車ごと落ちた時は、稲をダメにしてしまい、上司と一緒に謝りに行きました。



 そうそう、独身者は大体寮に住んでいたが、寮の歓迎会で、俺は先輩たちに勧められるまま、酒なんて飲んだこともなかったのに、無尽蔵に飲み続けました。

 上下関係の厳しい職場でしたので、絶対に断れないと思い込んでいたのです。

 気持ちが悪くなっても、頭が朦朧としても、手が痙攣している気がしても飲み続けた。

 結果、昏倒し、医者に連れて行かれる騒ぎになりました。

 ちなみにその騒動は、社長の知るところになり、俺よりもむしろ先輩たちの方が大目玉を食らったという後味の悪い結末を迎えました。



 研修所を優秀な成績で卒業したらしいルーキーという触れ込みは、あっという間にお勉強だけは得意な使えない新人と更新されました。


 子供の頃からやりたかった仕事に漸くつけたのに、きつい研修も乗り切ったのに、どうして自分はここまで不甲斐ないのだろうと考えると、悲しくて悔しくて、もどかしくて、何より自分の無能さが腹立たしくて、毎日便所で泣いていました。



 でも、焦れば焦るほど、失敗は重なる。



 ある日、とうとう俺は笑い飛ばせない大きな失敗をやらかしてしまいました。



 今までみたいに、先輩と一緒に課長に頭を下げる程度では収まらないということは、新人でも分かりました。



 どうして良いか分からなくなった俺は青ざめ、辞表を出して田舎に帰ろうという結論に至りました。



 無責任だし、俺が辞めてどうにかなるかというと、何にもならないのですけど、それしか思いつかなくて。



 深夜、決意を固め、相勤の先輩に切り出しました。


 驚かれたり、叱られたりするだろうかと覚悟していました。


 ところが、先輩は勤務日誌を書く手を止め、目を瞬かせてから、のんびりと言ったのです。



「この仕事を続けるのが辛いなら止めやしないが、もし、責任を取るつもりなら考え直したらどうか? 貴様が辞めたってどうにもならないなら、残ってもいいんじゃないか? どうせどうにもならないのだし」



 それから、先輩は淡々と自分も新人の頃は何一つ満足にできなかったことや今までにやらかした失敗を軽い口調で語ってくれ、最後にこう締めました。



「仕事である以上、責任感は大事だし、間違いなくやることは最低限だ。ごめんなさいだけでは済まない失敗もある。けど、そればっか考えてると、何も身動きできなくなっちまうぜ。仕事はな、自信がないとダメだ。貴様は研修で学んだ知識も、ここで失敗して覚えたことも沢山あるだろう。できないことより、できるようになったことを数えろ。そうすれば自信持ってできること、意外とあると思うぞ。それでも分からないことは、遠慮せずに俺や他の先輩、上司に聞けば良い。気づいた時には、大抵のことは一人でこなせるようになってるもんだよ」



 この言葉で大分気が楽になったのだけど、どうでしょう?


 まあ、当時の俺と当麻さんとじゃ、立場も背負わなきゃいけないものも差がありすぎるかもしれませんが。



 その後すぐに、俺は初めて手柄をあげました。小さな仕事だったけど、関係者の人に「ありがとう」と言われて、ほんの少しだけど自分の仕事に自信と誇りを持てるようになりました。



 勿論その後も、小さいミスはしょっちゅうだったけど、もう後ろ向きにはならなかった。

 仕事、楽しくなっちゃったんです。



 楽しいけど忙しい毎日を送っているうちに、気づけば、俺は期待のルーキーの名を取り戻していました。



 あ、でも何年かかかったから、ルーキーではないか。



 とにかく、当麻さんが悩む気持ちは分かるけど、焦ったり、自信喪失しても遠回りになるだけだと言いたい。


 一歩ずつ、前に進めば良いし、たまに後退したって、構わない。

 そんな時は、遠慮せずに所長や俺たちを頼ってくれ。


 ただし、どうしても辛い時は頑張りすぎず、早目に言って休んでください。

 さっき言ったことと矛盾しますが、世の中何とかならないことなんて、ほとんどありません。収まるところに収まるようにできています。



 さてと、今日は時間もないですし、帰りましょうか。

 また明日、頑張りましょう。

 ジョギングも仕事と同じ。焦らず少しずつ距離を伸ばしたり、タイムを縮めていきましょう。

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