6

 即身仏になりかけている旭を公園のベンチに座らせると、山本が持ってきた水筒の麦茶を飲ませる。



「すみません。足引っ張っちゃって。これじゃあ、今日はもう神田明神行かれませんね」



 頭に手拭いを乗せた彼女に、神妙に頭を下げられ、明智は戸惑う。



「また明日、今度はもっとゆっくり行きましょう。今日は俺も山本も当麻さんのペースを考えないで突っ走ってしまったから」



「はは、鈍足の私に付き合ってくださるのですか? 嬉しいです。まるで介護ですね。へ、えへへへへ」



 いかん。完全に自虐と攻撃性が絶妙に絡み合った、めんどくさい心理状況になっている。

 酒は飲んでいないが、絡み酒をしてくる上司並みに鬱陶しい。



「女性と男性では、体力も体格も違います。俺たちに遅れを取ってしまっても仕方がないですよ。訓練施設の体育教練でも、多少のハンデは貰っていたのでしょう?」



 同じく女上司がいじけ状態になりつつあるのを察したのか、山本が慰めるように口を挟んだが、間髪入れず反論される。



「それは私が女だからではなく、管理職候補だったからです。考えても見てください。諜報活動の現場で、敵が女だからって手加減してくれますか? むしろ、行く手を明智さんと山本さん、それに私に阻まれたら、十中八九、私を倒して逃げる方法を選ぶでしょう? ダメなんです。このまま甘えたままでいるのは」



 それはそうかもしれないが、前提が誤っている。

 誤りは正さずにいられぬ難儀な性分が出てしまい、つい指摘をしてしまった。



「当麻さんがそこまで危険な現場に出ること自体が想定外だと思うのですが」



「何でですか? 高級官吏だって、最初は現場に出ますよ。何で私は最初から後方の安全な場所にいることが前提なのです。皆さんの大事な命を預かる立場なのに、現場を知らないなんて馬鹿げていると思いませんか?」



「いや、あなたに危険な任務についてこられたら、迷惑なんですけど……」



「明智っ!」



 思わず出た失言を同期に鋭く咎められたが、後の祭りだった。

 さらに旭は卑屈にうな垂れる。



「そういえば、四月に私のせいで任務失敗しかけたことありましたよね。あは、あは。あの時、鬼瓦みたいな顔した明智さんに問答無用で連れ出されたっけ。いやあ、怖かった。おまけに満島さんは警察に捕まっちゃうし、散々でしたね。うん、分かってますよ。いない方がマシだと思われていることくらい」



「あの、いや、別に昔のことを蒸し返す訳ではなくて。あの当時よりは、当麻さんも成長していますよ」



「でも、現場には足手まといになるから連れて行きたくない程度なんですよね、所詮」



「……」



 正直、かける言葉が見つからなかった。

 そのとおりと本音を言うのはまずいと、さすがの明智も悟っていた。



 気まずい沈黙を破ったのは山本だった。



「当麻さんは焦りすぎです。強さも技術も一朝一夕で身につくものではありません。もしそうなら、訓練施設なんて必要ありません。みんな出発点は個人差がありますが、研鑽を積んで、少しずつ一人前になるのですよ。最初から何でもできる佐々木みたいな方が特殊です」



「でも、私も訓練施設は修了してます……」



「研修と実践が違うなんて、どの世界でも同じ。社会の通説ですよ」



 まだ不服がありそうな顔つきの旭に苦笑し、同期の中でも一際謎めいた過去を持つと噂されている男は、訥々と語り始めた。


 諜報員としても男としても円熟した彼が、未熟な青年だった時代の昔話を。

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