8
早朝ジョギングを始めて2週間が経った。
相変わらず旭は、明智と山本に大きな遅れをとってしまうし、すぐに疲れて萎びた菜っ葉状態になってしまうものの、少しずつだが走行距離が伸びてきていた。
それは良い。
喜ばしきことだ。
旭の体力向上という目標は順調に達成されつつあるのだから。
けれども、明智は胸の内にくすぶるもやもやとした気持ちを持て余していた。
「当麻さん、あと少し。頑張って」
へろへろと殆ど歩いているような速度で走る旭に併走している山本を見やる。
何だろう、この男に良い役回りを全て奪われている気がしてならない。
年齢故の落ち着きや社会経験の差を見せつけられることは諦めている。
しかし、三十路を過ぎた奴に体力で劣るのは到底受け入れられなかった。
いくら鍛錬を怠っていないとはいえ、あっちはもはや下り坂だ。中年真っしぐらなはずだ。
それなのにどうしてだろう。
旭のペースに合わせ、かなり手加減しているとはいえ、これだけの距離を走っておいて、全く息切れせず、疲労も見せないで他人の世話まで焼けるなんて並大抵の体力ではない。
20代で毎朝の鍛錬を怠らぬ自分でさえ、軽い息切れはしていると言うのに。
「やま……もとさ……待って、早い」
「もう少しで神田明神だぞ。ゆっくりでいいから踏ん張ってください」
「はい!」
2人が名コーチと頑張り屋の教え子のような関係に見える。
自分なんていなくても別に構わないのではないか?
一日に何度も頭によぎる不安が生まれてきて、明智は頭をぶるぶると横に振った。
自分はどうしていじけた気分になっているのだ。これではまるで、僻んでいるようではないか。
走りながら悶々と考えている間にも、明智の眉間には無意識に皺が寄っていった。
へなちょこ走りの旭を気遣いつつ、古の神経衰弱気味の哲学者の如き面相をしている自分を、いつの間にか山本が横目で見ているのにも明智は気づかなかった。
「はい、ゴールです。よく頑張りました」
神田明神の裏手にある急勾配の石段の前で、すっかりコーチ役が板についてしまった同期はジョギングの終了を宣言した。
ついに目標達成だ。
小休止を取ってから、早朝の境内でお参りをして帰るつもりなのだろう。
「やっと……着いた」
息も絶え絶えだが、旭は眩しそうに旭を浴びる石段の上を見上げた。
「今日は難しいですが、ここを駆け上がって、後ろを振り返ったら気持ち良さそうですね。街の景色がばーって広がっていて」
水筒から麦茶を注ぎながら、山本も同調する。
「おっ、いいですね。明日は歩いてここまで来てやってみます?」
「はい!」
「……そうだ!」
不意に山本が声を上げた。
奥二重の瞳がいたずらっぽい光を帯びている。
手にしていた水筒を忙しなく石段の端に起き、何を思ったのか、2人からやや距離を取った場所で休憩していた明智の前に移動する。
そして、三十を越しているくせに、少年のように眩しい笑顔で彼は提案した。
「明智、競争しようぜ。この石段を先に駆け上がった方が今晩一杯奢りだ」
「……」
突然何を言い出すのだろう、と明智は首を傾げた。
石段駆け上がり競争? 子供じゃあるまい。普通に歩いて上れば良いではないか。
しかも、あまり飲みに出かけたりするのは好きではないので、『負けた方が一杯奢る』というペナルティーも魅力が少なかった。
勝っても負けても、今夜山本と飲みに行かなくてはいけないのだろうか?
負けた方が金を渡すだけでは、いけないだろうか。
いまいちピンときていない反応に、一瞬興醒めしかけたものの、一期生の兄貴はめげずに煽ってきた。
「何だよ、さては貴様、俺に負けるのが怖いのだな。三十を過ぎたおじさんに負けちゃ、面目無いものな」
「それはないが……。別に競争する必要はなくないか? 飲み代が欲しいのだったら、一杯分くらいなら渡すぞ」
気のない反応に苛立ったのか、ああっ、もうっ、と山本はもどかしげに地団駄を踏み、強引に仕切り直し、宣戦布告した。
「つべこべ言わずに俺と勝負しろ! 嫌なら飲み代はなしで構わないから。当麻さん、先に上に行って審判お願いします」
「はあ」
コーチの気まぐれに怪訝そうにしながらも、旭は素直に石段を上って行ってしまった。
彼女が一番上までたどり着き、振り返ったのを確認すると、彼は豪快な笑顔で号令をかけた。
「用意、ドン」
同時に力強く背中を押され、明智は不本意ながらも急勾配の石段を駆け上った。
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