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 音楽室はピアノやオルガンといった楽器は全て持ち去られており、教室後方の壁にバッハやベートーベンなどの著名な音楽家の肖像画が貼り付けられている以外は、普通教室と変わらぬ有様だった。



 破れて蜘蛛の巣の状になった白いカーテンのかかった窓に近い床に4箇所だけ、日焼けが進んでいない部分があり、それらの位置関係から、ピアノが置いてあったのだろうと推察できる。



 床にしゃがみ、雑然と並んだ児童用の机の引き出しの裏を調べていると、いつの間にかそばにいた小泉が、自身も屈み、明智に目線を合わせ、じっと穿つようにこちらの顔を覗き込んでいた。



 睫毛が長く、大きな二重眼はやや青みがかっていて、彫りが深く鼻筋の通った西洋人風の顔立ちの中でも一際印象的だ。



「……何の用だ? 俺の顔に何か付いているか?」



 本音ではあまり構いたくないのだが、嫌々尋ねると、小泉は待ってましたと言うばかりに喜色満面で答えた。



「明智ってさあ、中学の頃とか『滝廉太郎』とか呼ばれてなかった? 眼鏡が似てるよね。あと陽気ではなさそうなのも。あははははは」



 思っていた以上にくだらなかった。

 しかし、先刻の図書室同様、図星なのが腹立たしい。



「眼鏡だけだ。顔は似ていない。貴様は安易だな。遊んでいないで働け」



「いい加減飽きたんだよ。机や椅子の裏見て歩くのも。明智はよく飽きないね」



「人に手伝って貰っていて、その言い草はないのでは……」



「それはどうでも良くてさ、5番目の不思議話すね」



 明智の小言もどうでもいいらしい、彼にとっては。立場だとかに言動に囚われない性質は、個人主義の根付いた欧米育ち故かと諦めるが、それはそれで欧米文化に失礼な気もした。

 単に小泉がいい加減で自由奔放なだけだろう。


 ころころと目まぐるしく表情を変えるプレイボーイは、神妙な面持ちで幽霊系と言っていた番目の不思議について語り始めた。



「明治の終わり頃の卒業生で、貧しいがピアノが大好きで、実力もなかなか見込みのある少年がいた。だが、彼の家は小作で貧しかった。東京の音楽学校に進学なんて夢のまた夢。尋常小学校を卒業した後は、実家の手伝いをして生活し、時折教師陣の好意でこの音楽室にピアノを弾きに来ていた。苦しい生活の中、ピアノを弾くことだけが彼の楽しみだった。けれども、いよいよ実家の家計が逼迫し、彼は工員として町の鉄工所に出稼ぎに行くことになった。時は日露戦争中で、鉄工所は景気が良かったが、その分、無理な発注を背負い、加重労働などのしわ寄せは末端の労働者にいった。寝不足と疲労でぼんやりしながら、作業をしていた彼は、体を機械に巻き込まれ、死んでしまったそうだ。何とか警察が取り出した遺体は悲惨な状態で、元は人間であったことすら分からぬ肉塊だった。ただし、何故か両の手首から下だけは擦り傷一つなく綺麗だったそうだ。そして、それから夜の音楽室に手首だけの彼が現れ、夜な夜なピアノを演奏するようになったそうだ。ベートーベンの『月光』が多いみたいだけど。体や魂は死んでも、手だけはピアノを求める。廃校になって、ピアノが撤去されても、夜の音楽室からは今日も悲しげなピアノの音が聞こえるそうだ。怖いというか悲しいね」



「でも、やはりそんな人物は存在していない、というオチなのだろう?」



 いい加減、この廃校の八不思議の法則性に慣れてきた明智は、先回りした。



「うん、その通り。けど、手首から先が幽霊になってピアノを弾くという話はともかく、酷い労働環境の下で、不幸にも命を落としてしまった労働者自体は珍しくないよね」



「はっ、まるでプロレタリア文学だな」



 実際に、機械に巻き込まれて死んだ工夫という設定の話はあったはずだ。

 同時に、ある一つの可能性に思い至る。



「もしかして、八不思議の作者は俺たちの追っている連中なのかもしれないな」



 小泉は自慢の歯は見せず、口の端をクイッと持ち上げる高慢そうな笑みを浮かべた。

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