6 心霊分校

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 昭和15年11月某日昼過ぎ、明智は小泉の運転する小型トラックの助手席に収まり、不機嫌な仏頂面を披露していた。


 いくばくかの山がそびえ立つ以外、ひたすら田畑が広がる凸凹道を、薄汚れたトラックは車体を激しく上下させながら進む。

 地図を見ると、海が近いらしいが、少なくとも進行方向にそれらしきものは見えない。見渡す限り農地と山だ。

 時折、視界に映り込む民家はどれも農家と思われ、納屋が隣接していたり、軒先に農具が無造作に置いてあったりする。

 同じ日本の田舎でも、明智の生まれ育った町と異なり、この辺りは降雪もほとんどない温暖な気候の地域だが、どことなく故郷と似た空気が漂っていて、うんざりした気分にさせられた。


 が、彼の憂鬱の原因は、コンプレックスとして感じている故郷を彷彿させられるだけではない。もっと、直接的な原因が隣に鎮座している。



「あはははは、ずっと田んぼだねえ。景色が変わらなくて、眠くなってきた。明智、何か面白い話してよ。一発で目が醒めるような凄いの」



 鳥打帽を被り、洗いざらしのシャツと作業用ズボンにサスペンダーと労働者風の装いの小泉が、ヘラヘラ笑いながら話しかけてきた。必要以上に声が大きいのが、密室の中では、とにかく煩い。

 本人は農夫の変装をしているつもりのようだが、西洋人の血を引く彼の容姿のせいで、農夫は農夫でも、アメリカ西部開拓時代のそれに見える。

 日本の房総半島の先端に位置する田舎町には、今ひとつ溶け込めていない。



「眠いなら運転変わるぞ」



 冷ややかに返したが、勿論それでへこたれる小泉ではない。食い下がってきた。



「そういうことじゃないんだよ。面白い話しろよ。オーバーオールが絶望的に似合わない明智君」



「……貴様が用意したのだろうが。何故普通のナッパ服や野良着じゃないのだ。ここはテキサスじゃない。日本の房総半島の先端なんだぞ」



 衣装のことをおちょくられ、明智は頭に血が上る。


 今回の出張は小泉の受け持っている任務の手伝いであり、車や変装道具の手配も彼に任せておいたところ、明智用の衣装として混血の帰国子女が持ってきたのは、白の綿シャツとジーンズ生地のオーバーオール、麦わら帽子だった。

 こんな服装の農民は日本の田舎にはいないと抗議する明智に、小泉はあっけらかんと「子供の頃、パパの持っているテキサスの大農場に行ったことがあるけど、農夫ってこんな服装だったよ」と返した。


 冗談じゃない、別の服を探せと騒ぎ立てるも、逆に所長に「浮かないから黙って着ろ」と諭され、渋々、従わさせられたのだった。


 死ぬほど似合わないのは、自分でも重々承知だ。



「そういやこの辺って、里見八犬伝の舞台だよね。伏姫って犬とやってたの?」



 自由奔放な小泉の興味はしっちゃかめっちゃかに飛び散り、話題も唐突に変わる。



「……あれは神通力で身篭ったのだ。貴様が想像するような、卑猥で下世話な展開ではない。聖母マリアの処女懐胎みたいなものだ。皆まで言わせるな、恥ずかしい」



「さすが童貞。ウブだねえ。顔赤いよ。あはは」



「俺は童貞ではないぞ!」



 ムキになって否定するも、満島と並ぶ軽薄者の同期は、今度は徐に聞いたこともない節で鼻歌、と呼ぶには大きな声で歌い始める。



「ふーん。ふーん。ふふんI won't you ららー。lonliness うんたらー」



 洋楽のようだが、歌詞がうろ覚えらしく、適当に誤魔化している。昨今、英語の使用について、批判的な論調が唱えられているが、人通りのない農道を走るトラックの中ということもあり、御構い無しだ。



「頭痛がするから、歌は止してくれないか」



 窓枠に肘をつき、明智はこめかみを抑えた。例えではなく、狭い車内で聞かされる、徹頭徹尾がいい加減な歌声に、脳漿を揺さぶられているような不快感を催していた。



「何だよ、人が気持ちよく歌っているのに。これだから根暗は嫌だ」



 熱唱を妨げられた小泉は口を尖らせた。けれども、すぐに目を輝かせ、提案してきた。



「よし! しりとりをしよう。俺からな。『しりとり』」



 子供顔負けの落ち着きのなさは、止まるところを知らないようだが、冷たくあしらう。



「前を見て運転だけに専念しろ。できないなら俺が代わる」



「無視するなよ。しょうがないな。『留守』」



「すまないが、もう口を開かないでくれないか? 任務に取り掛かる前に、精神的におかしくなりそうだ」



「『だ』って、退屈なんだよ。どうせ貴様も到着するまで暇なのだから、ちょっとくらい遊んでくれたっていいだろ『う』!」



「……」



「うだよー。明智。モウ give up デスカー? 本好きの割に語彙が貧弱デスネ」



 急におどけて英語訛りの片言になり、肩を竦める仕種に、脱力させられる。

 一体何が楽しくて、この男は常時、はしゃいでいるのだろう。ヒロポンでもやっているのだろうか。



「……ウミホタル」



「また『る』かよ。難しいぞ。る、る、る……ルンバ!」



「馬糞。これで終わりだ」



「いや、そんな勝ち誇った顔で『馬糞』とか言うなよ。どれだけしりとり終わらせたいのよ」



 小泉が笑顔を引っ込め、呆れ顔で呟いた。しかし、それきり、ついに観念したのか沈黙した。


 けれど、漸く静かになったと、安堵のため息をついたのも束の間だった。

 確かに、陽気で騒がしい同僚は口は閉ざしたが、別の場所は閉ざさなかった。

 ブッという汚らしい破裂音が車内に響いた数秒後、卵の腐ったような臭いが助手席まで流れてきた。

 明智は素早く鼻をつまみ、窓を全開にし、「ごめん、思ったより音も臭いもきつかった」とヘラヘラ笑っている小泉を殺意すら含有した鋭い視線で睨みつけた。


 一刻も早く目的地に到着し、可及的速やかに任務を全うし、帰路につきたい。

 訓練施設時代を入れれば、約3年の諜報員生活でここまで切に願ったのは、キャバレーでの女の口説き方訓練以来だった。

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