2

 車内から、一体何を食べればこんな臭いになるのかと問い質したくなる悪臭が漸く消えたころ、トラックは目的地に到着した。


 うねうねと曲がりくねった山道を登った雑木林の合間に、突如出現する木造2階建ての平べったい作りの廃校が、今回の任務の目的地である。


 蔦が絡まり、雑草に埋もれた校門には錆びついた青銅の大きな札が掛かっており、仰々しい書体で『安房南尋常小学校第八分校あわみなみじんじょうしょうがっこうだいはちぶんこう』と刻まれていた。


 廃校になったのは、昭和初年なので、教師や児童が去ってから、かれこれ10年以上は放置されている校庭は、往時の面影もない、単なる原っぱと化している。


 校門の柵には錆だらけの数字錠が申し訳程度にかかっていたが、小泉は鼻歌混じりでほんの数秒で解錠した。



「さあて、これから呪いの心霊分校に入る訳だけど、時に明智クン。心の準備はいいかい? お守りもお札も忘れていないかい? 小便は平気か? 幽霊に遭遇してちびっちまったら、目も当てられない。心配なら、そこの草むらで……」



「御託はいいから、さっさと入るぞ。幽霊なんて出るわけがない。貴様こそ、実は怖いのではないか?」



 まさか、とイタリアンマフィアのボスを父に持つと噂される男は、肩を竦めた。

 芝居がかった仕草なのに、妙に板についているのは、彼の血筋や帰国子女という生い立ち故だろう。



「少なくとも、勝手に入ると霊に祟られるなんて物騒な噂は嘘だよ。断言できる」



 今年の夏頃から、この廃分校におぞましい幽霊が出るという噂は、周囲の町や村を駆け巡り、現在は千葉市内にまでまことしやかに広がっている。


 噂が広まった当初は、季節的な要因もあり、度胸試しに訪れる者が後を立たなかったが、実際に遊び半分で侵入して、大怪我をしたり、気が狂ってしまった者がいるという後追いの噂が生じて以来、よほど心臓の強さに自信がある強者しか、訪れなくなったと聞く。


 明智たちも、普段の背広姿では不自然なので、こうして己の剛毅さを誇示したい命知らずの田舎の青年に扮しての潜入任務と相成った。


 明智は幽霊をはじめとした怪談怪談、巷説の類は凡そ信じるに値しない戯言だと認識しているが、そもそも、この分校の噂については、幽霊の存否を論じるまでもなく、信じるに値しない代物なのだ。

 今回の任務の主任を務める小泉もそのことは当然に分かっており、だからこそ、あんな物言いをしたのだろう。



 繁茂する雑草を踏みしだき、校庭を突っ切り、ドアが外れ、風雨に晒され、荒れ放題の昇降口を目指す。



「でも、噂とは別に本物のghost《ゴースト》がいないとは限らないよね。肝試しみたいで、ドキドキするね」



 昇降口の前に着くと、小泉は興奮した様子で、明智の腕に纏わり付いてきた。

 やたらと体に触れてくる馴れ馴れしさが正直なところ苦手だ。

 もっとも、他にもいくつか、この陽性な性質の同期に関しては、相容れない点があるが。



「……さっさと終わらせて、さっさと帰るぞ。まずは、手前の教室からだ」



 掴まれた腕を振り払い、颯爽と今にも朽ち果てそうな木造校舎の形ばかりの玄関に入った。



「あ、危ない!」



 ふざけていた小泉が声を上げたが、一瞬遅かった。

 明智の靴は、埃や割れたガラス、肝試し客や不届き者の捨てていったゴミの間に落ちていたセルロイド製の人形の腹を思い切り踏みつけた。

 慌てて、一歩後ろに下がり、ポッコリとふくよかな腹から足を退ける。


 青い目をした外国人の少女を象った人形は、経年劣化でトウモロコシの髭のようになってしまった長い金髪が特徴的だった。

 煤けた生成りのレースのワンピースを着ていて、濁った目が、恨めしそうにこちらを見上げているように感じて、ゾッとし、慌てて首を振る。


 たかが人形。


 しかも、限りなくゴミに近い珍品だ。



「あーあ、かわいそう。痛かったねえ、マリー。明智、ちゃんと謝れよ」



 小泉の非難めいた言い草を、明智は努めて冷淡に切り捨てる。



「名前をつけるな。別にただの人形だろうが。しかし、何故、こんなところにこんなものが落ちているんだ」



 地元で有名な心霊分校に、人形遊びをするような少女が出入りする図は想像できなかった。

 だからと言って、かつての分校の生徒が学校に人形を持ってくるというのも考えづらい。

 小学校におもちゃを持ち込んだら、まず教師に没収されるはずだ。

 いや、もしかして生徒から没収したまま、教師が失念してしまったのだろうか。

 そんな訳はないか。



「誰かが他のゴミと一緒に、捨てていったのだろうね」



 下駄箱の横に立て掛けられた壊れた蝙蝠傘などのガラクタを見渡し、小泉がまっとうな予想を返してきた。



「だろうな。ゴミくらい自分できちんと処理すべきだ」



 気を取り直し、土足のまま校舎内に上がり込む。

 ギシギシと嫌な音を立てる廊下を歩きながらも、妙にあの人形の瞳が脳裏に焼き付いてしまい、無理矢理に思い出さないようにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る