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「……おじい、ちゃん?」



 想像だにしなかった呼称で呼ばれ、明智は広瀬の体を支えつつ、思わずおうむ返しをした。


 すると、実験馬鹿の同期はえへへと苦笑いをこぼし、言い訳した。



「ああ、そうか。『眼鏡のおじいちゃん』と言っても分からないよね。見た感じ、今のおじいちゃんは僕と同い年くらいだし。ごめん、失礼しました。怒らないでね」



 全くもって意味不明な発言に困惑させられた。思った以上に重症のようだった。



「広瀬、取り敢えず日陰に行こう。それから水を飲んで、少し横になった方が良い。当麻さんや所長には俺が話しておく。頭を冷やせ」



 自力で立ち上がる素振りを見せない広瀬に業を煮やし、彼の両脇の下に腕を通し、羽交い締めにするような要領で、ずるずると日陰まで引きずっていく。

 痩せ型とはいえ、炎天下で成人男性を運ぶのはしんどい。額にじわりと汗が滲んでくる感覚が不快だった。



「大丈夫。大丈夫。時空移動の衝撃で、気絶していただけだから。それに、僕は『広瀬』?ではないよ。お婆ちゃんには、『お父さんの若い頃にそっくり』って言われるけど、僕はひいじいちゃんとは別人さ」



 引きずられながらも、広瀬はペラペラと自分勝手に、話を進めた。

 科学者の端くれのくせに、彼は常日頃から空想科学小説に出てくるような荒唐無稽なエピソードや機械を、実現させようと躍起になる子供っぽい性質がある。

 けれども、『時空移動』だの本気で言い出すのは、いよいよ危ない。

 一刻も早く医者に見せるべき症状だ。



 鉄筋の皇国共済組合基金ビルの影まで運び、灰色のコンクリートに寄りかからせてやると、無番地随一の技術者は、ふらつきながら立ち上がった。



「おい、無理するな。座っていろ。暑さでやられたのだろう? 少し休め。今、飲み物を持ってきてやるから」



「飲み物は欲しいけど、体は平気だよ。えーと、眼鏡のおじいちゃん……とは呼べない。何だろう? クソジジィも違うし……。あの、君の名は? 今は西暦何年?」



 にこやかに、何のてらいもなく尋ねられ、ぞっとした。



「……明智。明智湖太郎だ。西暦は1940年。広瀬。やはり貴様は大丈夫ではない。すぐに病院に行こう」



 白衣の上から、骨ばった長い腕を掴むと、『彼』は逆にその明智の手に反対側の手を重ね、愛おしげに撫でた。


 同期の相次ぐ不可解な言動に、明智は一瞬頭が真っ白になりかける。


 ついに広瀬が壊れた。前から頭のネジは数本単位で外れている奴だとは分かっていたが、ついに空中分解でもしたかの如く、人格が破綻してしまった。


 内心の動揺を隠せず、眉間に深い皺を寄せている彼に、自称広瀬ではない青年は柔らかく微笑みかけ、ゆったり落ち着いた、それでいて毅然とした口調で言い聞かせた。



「怖がらないで落ち着いて聞いて、明智さん。僕の名前はジョージ。西暦2020年の未来からやってきた、君たちから見ると未来人だ。僕から見ると、『広瀬』はひいじいちゃんで、君はひいじいちゃんの友達のクソ…眼鏡のおじいちゃんだ。ちなみに、君には小さい頃、遊んで貰った記憶はないね。怒られた記憶しかない。そして、ひいじいちゃんの研究を引き継いで、僕はついに時間旅行に成功したのが今の状況。分かってくれたかな?」



 分からなかった。分かるはずがない。


 まずは医者を呼ぶことが先決だ。内科医ではなく、精神神経科の医者を。



「分からない」



 端的に答えると、どこからどう見ても広瀬そのものな、自称未来人ジョージは急に膝から崩れ落ちるふりをしてから、体勢を整え、己の額に手を当て、嘆息した。



「分かる訳ないよな。あの頭の固いクソジジィの若い頃だもん。ああ、どうしよう。もうちょっと、話の分かりそうな人いないかな……でも、この当時のおじいちゃんたちの名前は知らないし……」



 溜息を吐きたいのはこちらだった。



「ああっ! もういいや! 取り敢えず、飲み物ちょうだい。ゆっくり部屋の中で話そう!」



 こげ茶の髪をかきあげ、様子のおかしな広瀬は、明智の手を掴むと、ぐいぐいと引いて、寮の玄関に向かって歩き始めた。


 若干の抵抗を試みたが、手を握る力は強く、足取りもしっかりしており、なるほど。本人の主張するとおり、体には問題がなさそうだった。

 頭は大いに問題だらけだったが。

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