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 ケーキを食べ終わり、紅茶も飲み干してしまっても尚、笠原の誕生日プレゼントは決まらなかった。

 明智と満島はいくつか案を出したのだが、全てあかりに却下されてしまったせいで決まらなかったというのが、より正確な表現と言えよう。



「腕時計は?」



「物凄く高いスイス製の時計を持っているから、必要ないわ」



「じゃあ、万年筆」



「あの人、文房具は拘らないの。消耗品で役所から支給されるもので十分が口癖よ」



「本はどうだ? 貴様のお勧めの本とか」



「頭の出来が違い過ぎて、無理よ。私が読むような恋愛小説なんて鼻で笑われるだけ」



「うーん、ネクタイ!」



「去年あげた」



 といった具合だった。



「そもそもさあ、その『笠原さん』だっけ? どんな奴なの? 明智は辛うじて面識あるけど、俺は顔すら知らないもん」



 紅茶がなくなってしまったため、水で喉を潤してから、やや飽きてきた様子の満島が、あかりに問いかけた。



 すると彼女は、うっとりと夢想しているかのような表情で、恋人の人となりを説明し始めた。



「背が高くて男前で、英語、ドイツ語、フランス語に堪能で、帝大出身のインテリで、お洒落は欧州仕込みだから、いつも素敵な佇まいね。男の人だけど、とてもいい香りがするし、誰に対しても紳士的よ。ダンスも上手いし、チェスも玄人級。何よりすごく優しいの。私みたいな女を救い出してくれて、もう何年も側に置いてくれているのだもの」



「ふーん」



 自分から質問しておきながら、ナンパ男が途中から冷めた面持ちになり、鼻くそをほじり始めても、彼女は全く見えていないようだった。


 明智も高級喫茶店の店内で、鼻をほじるなんて暴挙にこそ及ばなかったものの、他人の惚気話ほど、つまらぬ話はないので、どの薬局で整腸剤を買おうかと考えていた。



「……という感じで、とにかく全てが完璧で素敵な紳士なの、彼は。あんたらとは、男としての格が違うのよ」



 ここで、女スパイは漸く息継ぎをした。一応終わったようだ。

 喋り続けて喉が乾いたのか、ティーカップを手にしたが、空だと思い出して、水の入ったコップに手を伸ばす。


 わずかな間を逃さず、ジャケットの胸ポケットからハンカチを取り出し、鼻をほじった指先を拭いながら、呆れ口調で満島が口を開いた。



「そんなにいい男が欲しがるものなんて、そもそも俺らが欲しいものとは違うんじゃない? 俺は見ての通りのちゃらんぽらんだし、こいつは堅物童貞眼鏡だし、まあ、仕事であかりさんの恋人に負ける気がしねえけど、それ以外、肩を並べられる要素ねえぞ」



 表向きは道化を演じるものの、内心は無番地諜報員らしく、自尊心が強い彼らしからぬ、卑屈な物言いだった。

 だが、人の話を聞かない傾向の強いあかりにも、彼の言葉は届いていた。



「言われてみれば、そうかも……」



 両手で持ったコップの中の水面に目を落とし、呟く。

 似合わないことに、しゅんとしおらしく肩を落としている。

 そこまで気落ちする理由が、明智には正直理解できない。

 贈り物というのは本来、贈り主が自分の喜ぶ顔が見たくて、何を贈ろうかと考えてくれた時間の存在を実感するから、貰って嬉しいのだ。

 多少、趣味ではないものでも、恋人が何かをくれたら、それだけで格別喜ばしいはずだ。

 彼女は十分、笠原のために時間を費やしている。笠原が良い男なら、何を貰おうが、恋人のいじましい心遣いを察しられるに違いない。

 もう、何でも良いではないか。

 何を贈っても、喜ぶはずだから。



 そんなことよりも、満島のやけに自分たちを貶める発言が気にかかり、明智は黙っていられず反駁はんばくした。



「共通項はあるぞ。俺も帝大だし、英語とドイツ語は分かる。中国語も勉強中だ」



 けれども、ちゃらんぽらんである自覚はあるらしいナンパ男は、冷ややかに言い捨てた。



「貴様は少し黙っとけ。喋るとややこしくなる」



「何故だ? 悔しくないのか? 貴様は」



「だーかーらー。お願いだから黙っててくれませんかねえ、明智君」



 ムキになり始めている同僚を力技で黙らせると、満島は一度椅子に座りなおしてから、指をパチンと鳴らした。



 怪訝そうに首を傾げる悩める乙女に、自称百戦錬磨のドンファンは提案した。



「その笠原さんが、恋人から何を貰いたいかは教えてあげられないけど、普通の奴なら一個あれば十分だが、俺たちの稼業なら、いくつ持っていても余すことのないもの、教えてあげようか?」



「何? 何?」



 はしたなくテーブルから身を乗り出して迫るあかりに目を細め、満島が舞台上の手品師のようなしたり顔で教えた『もの』は聞けば何てことのないものだった。


 しかし成る程。

 明智自身も仕事上、複数所持しており、これから先も増える一方である必需品であった。

 何が欲しいと問われて思いつきはしないが、貰えるならありがたく受け取っておこうと思える。

 そして、同業者でも武闘派担当の彼女は、確かに思い至らないであろう一品であった。

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