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「ごめんなさい。私、霊が憑いている殿方とはお茶したくないわ」
「ちょっと、言い過ぎよ。貴女」
クスクスと忍び笑いをこぼしながら、女たちはひらひらとスカートを翻し、小走りに去って行った。
若い娘が二人以上になったときによくする、あの内緒話(大抵誰かの悪口だ)をしながら、互いに顔を見つめ合い、小鳥の囀りのような可憐な笑い声を立てる仕草が、明智は苦手だ。愛らしい仮面の下に隠された、意地悪さが怖い。
自意識過剰だが、自分のことを嘲笑されているような気分になり、肋骨と肋骨の間に細い棘を差し込まれたみたいな痛みに、胸が苦しくなり、その場で耳を抑えてしゃがみ込みたくなる。
今も、笑われているのは満島なのに、我が事のように感じてしまい、いたたまれなくなっている。
彼女らの後ろ姿を、当の本人はあまり傷ついている様子もなく、頭を掻きながら見送った。
「あーあ…」
ただし、深い溜息を吐き、短い眉を顰めた渋面は、躁病なのではと疑いたくなるような能天気者の彼には似合わない表情だった。
今の二人組で、ナンパは十連敗を期していた。急いでいるからと一蹴する賢い女もいたが、あの二人組のように、断りついでに、わざと満島を貶す女もいた。
きっと、頭が軽く、性格も悪い女なのだろう。
「残念だったな」
明智は、暴言を吐かれ、さぞ落ち込んでいるであろう同期の肩に後ろから手を置き、慰めの言葉をかけてやった。
しかし、キッと振り向いた顔は冷ややかな侮蔑の色を浮かべていた。
「残念だった? 何故、上から目線で慰める。今のは完全に貴様のせいだろうが」
何を言われているのか、咄嗟に理解できなかった。だが、明智より頭一つ小さいナンパ師は、憤然と糾弾を続けた。
「さっきさ、確かに俺は、手本を見せてやるから見とけとは言ったよ。けどさ、何でぴったり俺の真後ろに立つんだ? しかも、その辛気臭い仏頂面で。怖いんだよ! 対面して立つ女の子から見ると、俺の背中に悪霊が憑いているみたいなんだよ!」
「え? 悪霊? 俺が、か?」
「貴様以外に誰がいる」
「……」
銀座に到着した当初、自分は銀座三越前に出ては見たものの、買い物を楽しむ洒落た妙齢の女性たちを前に、怖気付き、少し離れた場所か満島のナンパを見物していた。
が、「ナンパはダブルス戦なんだよ。俺に任せっきりにするな」と叱られ、仕方なく付き添ってみたものの、まるで役に立たなかったため、こうして近くで手本を見せられる羽目になってしまったのだ。
だから、今回は満島の後ろにぴったりと張り付いて、ナンパの手口を学んでいたのだ。
それなのに、何故怒られる。
おまけに、頭の軽そうな、化粧で誤魔化しているだけの醜女どもから、悪霊呼ばわりまでされるなんて、踏んだり蹴ったりも良いところだ。
やっぱり、ナンパなんか嫌いだ。
意地悪く狡猾な女なんか嫌いだ。
ふつふつと理不尽な現状への怒りが湧いてきた。元は山本が誘われていたのに、断りやがってと山本にまで腹が立ってくる。
明智の苛立ちには構わず、満島はさらに舌鋒鋭くダメ出しを続けた。
「小泉はさ、こういう時、さっと痒いところに手が届くようなことをしてくれるんだよな。俺が女の子と話している間に店見つけてくれたり、女の子の荷物持ってあげたりしてくれるんだ。ちょっと引き気味の子には、優しく紳士的に接して、安心させたりさ。それが貴様は何だ。この木偶の坊。気の利かねえ眼鏡だよ、本当に」
ブチリと頭の中で何かが切れる音がした。
そんなに小泉が良いなら、日を改め、小泉と一緒にやれよ。
そもそも、こいつが一人ではナンパができないと駄々をこねたのが発端だ。自分は勉強になるとか最もらしい理由はつけられたものの、詰まる所、渋々ついてきてやっただけだ。なのに、感謝の言葉を伝えられるどころか、悪し様に罵られるなんて、我慢も限界だった。
「……もういい。俺は帰る。一人でやってろ。この性欲の権化が」
言うや否や、踵を返し、路面電車の停車場を目指そうとした。今更、言い過ぎたと後悔して追い縋って来たところで、絶対にほだされやしないと固く誓った。
が、予想に反し、満島は追い縋ることも、罵詈雑言を発することもなかった。
そもそも、明智の捨て台詞なんて聞こえちゃいなかったのだ。
「うおっ! すっげえ好みのいい女発見!」
停車場方面に向け、一歩踏み出した時には、彼は真ん丸の瞳を輝かせ、一直線に三越の正面玄関に入ろうとしている一人の女に向かって突進していた。
その女は、髪をきっちりとまとめ、茶色の細かい千鳥柄のハンチングの下に入れ、白いブラウスに男物のスラックスと男装の麗人が如き装いだった。
和洋問わず、華やかで女性らしい服装で着飾った女性客たちの中では浮いていたが、凛々しい出で立ちが、却って彼女の中性的な魅力を引き立てており、確かに目を惹く存在だった。
雰囲気からして、満島なんかの誘いに乗りそうはない気位の高そうな女だったので、放っておいても良かったのかもしれない。
けれど、肩を叩かれ、不快感も露わに振り向いた気の強そうなつり目に、明智はあっと声を上げそうになり、足を止めた。
「お姉さん、これから買い物? 付き合うからさ、お茶でもどう?」
何も知らない人懐っこい笑顔を貼り付けたナンパ男を、彼女はゴミを見るように見下した。
「満島、その女はやめとけ!」
人混みをかき分け、一気に二人の元へ駆け寄った明智が、満島の腕を引くのと、女の漆黒のスラックスを履いた長い足が何故かナンパ野郎ではなく、明智の股間を蹴り上げたのは、ほぼ同時だった。
「この前はよくも出し抜いてくれたわね、童貞眼鏡。銀座でナンパなんて、いいご身分ね」
あまりの痛みに、前屈みになって悶絶する明智を見下ろし、女、外務省の女スパイあかりは嗜虐的な笑みで頬を歪ませ、勝ち誇っていた。
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