第18話蛙の花嫁《その5》


桜燐丸が元いた座敷の床から沈むように落ちて降り立った場所は人を迎え入れる用途のある場所ではなかった。

彼が降り立ったのは部屋だった。だが客間と言うにはあまりに粗末な壁は骨組みに粘り気のある泥を着けられただけで出来ているようでいて換気も悪く湿気が多い、家具も一切ない代わりに赤ん坊が丁度収まる大きさの透明な水風船のような球体が部屋の端に敷き詰められていた。

ぬかるみを踏んでいるような感触が足袋から伝わり床を見て足踏みをすると水分をたっぷり含んだ水草が幾重にも重なって固められていて桜燐丸は不快感を露わにする。


「ようこそ、部屋は気に入ったか鎧武者。」


突然聞こえた耳障りな嗄れた声に聞き覚えがあり桜燐丸は顔を上げる、姿は見えないが何処からか大蛙の声が聞こえて来た。


「我等に働いた無礼、その身を持って償ってもらうぞ。」


部屋に敷き詰められた膨大な数の水風船のような球体の中で何か得体の知れない物が蠢き、その膜を突き破ろうとしていた。

膜が突き破られるとドロドロとした粘液と共におたまじゃくしが一匹、また一匹と球体の膜を突き破りやがてその数は百匹にまで及んだ。


「お前には子の餌になってもらうぞ。儂らでも手を付けられん大食漢でな、あっという間に肉をかじり取られてしまうだろう」


赤子程の大きさのおたまじゃくし達が水草の上で身をよじらせながら口をパクパクと開口させながら桜燐丸に向き直り、一匹が尻尾を使って大きく跳ねると桜燐丸に飛び掛かって来た。

桜燐丸はその一匹を斬り捨てると他のおたまじゃくし達もその腹を彼で満たそうと一斉に飛び掛かって行き、多勢対一人の戦闘が始まったのだった。










その頃アダルバードは、背中から身体中に響く鈍痛で目を覚ます。


「‥う、うう‥‥」


瞼を開くとアダルバードの腕は腰に着けるような形で胴体と縄で縛られ、そして足首も同じように自由を奪われ物置のように無秩序に物が溢れかえる部屋に転がされていた。


「ここは‥そうだ‥!さくら‥優ちゃん‥」


アダルバードは仰向けの体勢からゆっくり起き上がって座ると腕を動かそうと試みるも頑丈に結ばれた自由を奪う物はびくともしなかった。


「んぎぎ‥!‥んぐー!‥駄目だ‥どうしよう‥ふん!ぐぅぅ‥!」


「無駄じゃ無駄、あんまり身体に負担を掛けるな餓鬼。」


ガチャリと錠が回った音の後に扉が開かれポチが顔を覗かせてアダルバードを見ると室内に入って来た、片手で食事が乗ったトレーを持つ所を見るとアダルバードに持って来たらしい。


「ポチさん、どうしたの?」


「握り飯と漬物じゃ、ガマ吉様に頼んでお前にも食事を運んで来た。」


「‥‥この料理は初めて見た」


「そんな珍しい物じゃないぞ、米を炊いて握っただけじゃ」


ポチがアダルバードの脇に置いたトレーからは艶やかな白米の握りが薄っすらと湯気を放ち、ふんわり丸型に握られたそれの米粒が一つ一つ立っていた。

そして一つの握り飯の隣には真っ黄色のたくあんが分厚く切られ、二枚並べられている。


「‥ごめんね。」


「何故謝る、儂に嘘を付いた事か?」


「もしかしたら、ポチさんは僕達に協力してくれたかもしれなかったのに‥。」


落ち込んだ様子で地を見つめるアダルバードの向かいにポチは胡座をかくと腕を組んで顔を覗き込んだ。


「何故儂が協力したと思う?」


「だって他の蛙さんが言ってた。さくら‥鎧武者は妖で刀を持ってる、ガマ吉様に何かあったらどうするって。君がガマ吉さんの忠実な召使いなら主人の身を案じて僕等なんて一緒に連れて行かず優ちゃんだけを攫って行けば良かったんだ。」


「それに、道中‥僕が霧の事を聞いた時も詳しく教えてくれたよね。ガマ吉さんの案内がないと霧からは抜けられない、だけど別に道はあるって事を予想出来るような。」


「‥‥‥。」


ガマ吉は暫く黙り込んだ後、アダルバードの頭をペチペチとしっとり湿り気のある手で軽く叩くとケロケロと笑った。


「阿呆と思っとったがそうでもないな!よしよし、頭を撫でてやる!」


「えへへ、ありがとう。」


「儂はな、記憶がないのだ。生まれも含めた自分自身の事の‥そんな儂を拾うてくれたのがガマ吉様じゃ、‥捨て犬を拾うたみたいだからポチじゃと。‥もちっと良い名前を欲しかったわ。‥まあ、恩義は少しは感じとるがな。」


「‥‥じゃが、女を無理矢理手に入れようとするのはどうしても、賛成出来ぬ。お前の言った空白の時間の利子と言うのもあんまりじゃ、ガマ吉様は充分過ぎる程の詫びを受け取った筈なのだ。」


「え!」


ポチは立ち上がると扉を開けて室外に顔を出すとキョロキョロと辺りを見渡して扉に鍵を掛けて改めて声を潜めて話出す。


「ガマ吉様が女子を頂くと伝えた力のある小林家の人間は最期まで酒や米、食い物や金を供え続け詫びをしておった。それに、今の小林家の小娘の祖父にあたる人物もな。‥ずっと許しを請うておったわ、見ていて何とも哀れで胸が締め付けられたわい。」


「優ちゃんのお爺ちゃんまで‥、酷い‥それをあたかもなかった事のように振舞って優ちゃんと無理矢理結婚しようとしてるなんて‥あの‥太っちょ腹黒蛙!!」


「ケロケロケロ!太っちょ!ひひひっ、今まで思っても口に出さんかったが言いよった!」


ポチは腹を抱えて、ペタペタと地面を叩いて笑っている。


「ポチさん、じゃあ僕は君を味方だと思うよ?‥今一番の問題は脱出方法なんだ。知っている事を教えて。」


ポチは息を整えると座り直し三本指の内の二本を立ててアダルバードの前に突き出す。


「‥脱出方法は二つある。その一、ガマ吉様に力付くで案内を使わせて脱出する。‥これはまず多勢を相手にするから難しいぞ。‥その二、通行手形を手に入れる。」


「通行手形?」


「ガマ吉様に仕えておる蛙の誰かが持ってるんじゃ、その手形を持ってると霧が開けてあっという間に外に出られる。」


「鎧武者のおっそろしい戦闘能力があれば心強いが他の連中もそんな脅威をそうそうもてなして置いておらんだろう。先に小娘を助けるぞ」


「‥もし、さくらが脅威で何とかしたいなら僕はどうして無事なの?」


「小娘がお前を傷付けると舌噛んで死ぬと言い出したからな。お前は小娘の話し相手として今の所は生かしておく予定だったんじゃ、それに非力な童じゃからの。」


「‥うーん‥‥とりあえず、こっそり外に出ようか。見つからないように探索して優ちゃんの居場所を知らないと。」


「‥人間の言葉で言う、のーぷらんっちゅー奴か。度胸があるんだかないんだか分からんやっちゃのー。」


ポチはアダルバードの背後に回ると彼の腰と腕、そして脚を束縛から解放する。


「まあ何にせよ、これは忠告じゃが妖相手に倫理で攻めてもノラリクラリとされては人間の方が不利だ。せっかく鎧武者が戦力としているのだ、自分が相手より優位に立とうと意識しておけぃ。」


口角を上げてニンマリと笑みを浮かべるポチに一瞬人間の姿が重なって見え、アダルバードは目を擦った。


「何じゃいな」


「い、いや‥何でもない。」


「そうじゃ、腹が減っては戦は出来ぬってのう!」


ポチはアダルバードに運んで来た筈の握り飯をむしゃむしゃと食べ始める、アダルバードはそれを見ていると腹の虫が空腹を訴えて騒ぎ出すのを感じた。


「お前は食わん方がええど。」


「そうなの?」


「よもつへぐい、‥こっちの食い物を食うと生身のお前は人の世で生活出来なくなる。」


ポチはペロペロと指についた米粒を舐めとりながらたくあんを摘み上げ、カリコリと軽快な音を出しながら食べ進める。


「って事は優ちゃんがもし食べちゃったらまずいよ!」


「大丈夫じゃ、お前が連れて行かれたのを見て水すら手を付けずに警戒しまくっておった。」


「良かった‥。優ちゃんが僕より警戒心があって‥」


アダルバードは立ち上がると軽く身体を払いポチも向き直る。


「それじゃあそろそろ行くか。」


「うん。こっそ~り優ちゃんの居場所を探そう」


「あと言っとくが儂はバッタ位弱いから当てにするなよ」


「大丈夫、僕もてんとう虫位弱いから」



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妖さん、僕の始めてになってよ 握り飯太郎 @nigirimeshi

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