第17話蛙の花嫁《その4》


約束の刻が来た。


鼻にツンとくるような生臭さが辺りから押し寄せ薄い霧の層がアダルバード達の周りに掛かると遠くからペタペタと小さな影が近づいて来る。

その影が霧のカーテンを潜ると全貌が見えた。幼児と同じ大きさの小さな身体、湿った表皮に小さく広がるイボ、ギョロギョロとした目玉に裂けるように広がった口元‥小さな蛙が二本足で歩いてアダルバード達の元へやって来たのだった。


「花嫁を迎えに来たぞー、儂はガマ吉様の下男のポチと申す。」


「ガマ吉様‥って‥?」


「そんな事も知らぬのか!結婚相手の名だぞ!」


ポチはピョンピョンと跳ねながら質問をしたアダルバードの頭を叩くと彼は苦笑を浮かべながら右足を引いて右手を腹部辺りに添え、左手を横方向に水平に出して身体を前に傾ける。


「それは失礼しました。僕はアダルバード・アンデルセン。優様の召使いでございます。」


「何!?」


「‥‥ああ。彼は俺の身の回りの雑務を頼もうと思ってる。」


ポチが優に向き直ると優は一瞬硬直するがすぐに立ち直り話を合わせた。


「そこにいる大きな鎧武者もか!お前も召使いか!なんとか言え!」


ポチが桜燐丸を見上げてケロケロと喚くと桜燐丸はゆっくり刀に手を掛ける。


「彼は優様と気心の知れた仲です。是非同行を許して頂きたいのですが‥」


(俺と桜燐丸が気心知れた‥?いや、流石にないだろ‥)


アダルバードは桜燐丸の刀の前に立つように間に入るとポチの身体を彼から離させる。


「ほうか、ならば共に同行するが良い!」


ケロケロとここに存在する者の中で1番小さな体格で踏ん反り高笑いをするとポチは付いて来いと霧の中を歩き出す。

アダルバード達も優を先頭にしてポチの後ろに着いて歩き出す。


「‥‥ありがとう、それとごめんな‥。」


優が歩く速度を落としてアダルバードの隣に付くと小さな声でアダルバードに話しかけるが彼は黙ったまま返事をせず、ハッと優に気がつくと慌てて首を振って口角をあげた。


「ポチさん、この霧はどう繋がっているのでしょう。」


「この霧はガマ吉様の御案内だ、向こう側にガマ吉様が居られると思うとったら自然と着くんじゃ。」


「それはすごい。」


「じゃが花嫁連れて逃げようと考えるんじゃないぞ。この霧は御案内があればこそ便利な道じゃが案内なしでは一生迷う事になる。」


「‥‥それはすごい。」


アダルバードは辺りに視線を飛ばして霧を良く観察した。

自分の目に映るという事はやはりこの霧も彼方側、方角や歩数を数えても簡単には帰れなさそうで薄いカーテンが折り重なったような霧は厚みを帯びており確かに右も左も、歩いて来た道も同じ景色をして迷うのも頷けた。


「では他の皆様は外に用がある度にガマ吉様に御案内をお願いしているのですか?ガマ吉様も大変ですね‥」


「いちいちそんな事しとったらガマ吉様の御身体に触るからせんわい!」


「へえ‥それは良かった。」


霧が晴れると大きな部屋の前に繋がっており、筆で色彩豊かな生き生きとした蛙の絵が描かれた襖が何枚も重なるようにアダルバード達と主のいる部屋の間を遮る、ここから先はそれこそ別世界‥襖を開けたらそこにお目当の少女を待ちわびる蛙がきっといる。


「ほれっ、履き物を脱がんかっ」


ポチが小さな声で捲し立てると優は慌てて履いていたスニーカーを踵を踏みながら脱ぎ、桜燐丸もポチに急かされ渋々といった様子で足首から脛に沿うように覆う多面の鉄板とそれに繋がる膝を覆う鉄の下に隙間を作るよう指を入れると太紐を解き、足首も同様に器用に解くと脚の鎧の下にあった固く結ばれた紐を更に解いて草履を脱ぎ、両足とも足袋のみとなった。


「えっ、靴を脱ぐのってベッドに入る時とお風呂に入る時だけじゃないのっ?」


「いやアダルバード、えーと日本では基本的に外に行く以外は靴は履かないし‥多分ここもそうなんじゃねぇか?桜燐丸だって嫌々でも脱いでるし‥」


「えっ‥そ、そうなんだ‥日本人は靴を脱いで部屋に入るんだね‥そっかそっか。」


アダルバードが急いで自身の足元を見て改めて自覚した、目の前にいる彼等は見る事が出来るが自分の身体は何時もの通り見る事さえままならない事を。

アダルバードは桜燐丸の黒い袴を片手で掴みながら片足ずつ履いているローファーの踵部分に指を入れて脱いでいく。


「そのローファー、ピッタリしてんなら踵を踏んで脱いだら早いぜ。」


「そしたら皮が駄目になるよ。」


(お坊っちゃま‥)


「まったく履き物を脱ぐのも時間をかけおって‥、ごほん‥。」


ポチはようやく脱ぎ終えたアダルバードの靴も含めて三人の履き物を持つとアダルバード達と向かい合う襖の前につま先を自分達に向ける形でキッチリ並べて咳払いをした。


「ガマ吉様、ポチでございます!花嫁を連れて参りました!」


「‥入れ。」


中から老人のように嗄れた声が聞こえて来ると同時に目の前の襖が平行に重なり合うかのように開いていき、大きな座敷の部屋への入り口が出来る。

座敷の床には畳が敷き詰められ、そして部屋の左右対面するように大蛙達が座ってこちらを見つめている。

そして通路のように開けられた真ん中の道の先、向き合う大蛙達の視線を潜って行くと一段高く大蛙達より高い床に一際大きく肥え太った蛙がいた。


色んな色素が混ざったようなドドメ色の肌には大きなイボが沢山連なり身体が大きく肥え太っている割には手足が細く、そして大きな目はギョロギョロと動き回るとジロリとこちらを見つめた。


「‥‥‥ぅ。」


優は一瞬眉を潜めるとすぐさま平常心を保とうと深呼吸をするが生臭い空気が一気に肺に溜まり不快感を募らせて軽く咳込む。


「おおう、お前が私の花嫁か。分かる‥分かるぞ、顔が特に彼奴の面影がある。もっとこっちに来て顔を良く見せろ。」


よりにもよって想像していたより遥かにずば抜けている見た目に優は鳥肌が立ち、近付きたくないと拒みたかったがポチに背中を押され上座の前に突き出される。


「私がガマ吉だ、ここを束ねておってな。ようやく‥ようやくこれで満たされる。‥‥そしてポチ、お前なぜ部外者を連れて来た‥」


「こ!こやつら二人は花嫁の召使いと知り合いと申したのでお連れ致しました!」


機嫌が良さそうにウンウンとガマ吉は優を頭からつま先まで見ると顎に着いた肉をタプタプと揺らしながら頷き、そしてポチへと眼球がギョロリと動いた。

飛び上がったポチを見ていた上座から近い位置に座っていた大蛙が立ち上がり小さなポチを蹴り倒すと踏み付けながらゲロゲロと怒声を上げる。


「お前の目は飾りかポチ!ガマ吉様に拾って頂いた御恩に報いる事も出来ぬ愚か者が!武者を見ろ!我等と同じく妖な上に刀を携えておるぞ!ガマ吉様にもしもがあったらどうしてくれる!」


「お許しを!お許しをーー!」


踏み付けられ、そして蹴られて縮こまるポチを周りの大蛙達は煩わしそうに見ている。

足手纏いのこの小さな蛙にもっとしてやれと言わんばかりに。


「‥‥‥‥‥‥さくら、お願い出来るかな。」


アダルバードがそう言うと桜燐丸はポチを何度も踏みつける大蛙の元に近寄り拳を握りしめてその顔面を床に殴り倒す。

大蛙は後頭部から畳に叩きつけられると鞠のように跳ね上がり、ピクピクと片足を痙攣させながら口から泡を吹いて意識を手放した。


(さくら‥ちょっとやりすぎ‥まあいいか。)


「な、なんだ此奴ら!」

「ガマ吉様の目の前で何という事を‥!」


上座から連なるように左右壁際で向かい合いながら胡座をかく大蛙達がザワつき、何匹かが立ち上がって桜燐丸を取り囲み襲いかかろうとするがガマ吉が手を上げるとザワつきも、桜燐丸を取り囲む大蛙達もピタリと止まった。


「お前‥花嫁の召使いと知り合いではないな‥」


「はい、自己紹介をします。僕はアダルバード・アンデルセン、こちらはさく‥桜燐丸と申しまして私達は小林優の友人です。」


アダルバードは右足を引きながら右手を腹部に添えて左手を水平に滑らせると挨拶をした。


「‥お前達、嘘を吐き並べて此処までノコノコとやって来おったのか。」


「はい、ポチさんに私達は召使いと知人と嘘を付きました。あなたと会って話したいと思いましたので。」


「ほう‥私と会って話したいだなんて‥懐かしい事を言いよる。気に入ったぞ、話を聞いてやろう‥してどんな話だ。」


「小林優を嫁にするというお話をなかった事にして欲しいのです。」


再び大蛙達がザワつき、優も固唾を飲みながらもし大蛙達がアダルバードを狙った時には自分が盾になれるようにアダルバードの傍に立つ。


「何故そんな事をしてやらねばならない」


「小林家の今までの代‥ガマ吉さんからの要求を聞いた人達は何もせず黙ってその要求を飲んだのですか?」


「ひたすらに許しをこうてたな‥。だが許す訳がないだろう?」


「その空白の期間自体、約束の内容から外れてはいませんか?」


アダルバードは一歩も引かずガマ吉を見上げながら言葉を並べる。会話は言葉の投げ合いのように速く進んでいき、深く考える余裕など出来ない為話ながら必死で頭を回転させた。

いかにしてガマ吉に手を引かせるか、そしてぐうの音も出ない程に言い負かせるかを。


「妖が人間に手を出さないよう、人間を守っていた。その守るべき人間達は都会に出ていきあなた達は何も守れなくなりました。それを空白の期間と呼んでこんな要求をするのは無理矢理だと思いませんか?」


「そうじゃ、確かに妖が人間に手を出さんよう見守っていた。だが人間は村から消え、小林優一の代と比べると随分と楽になった。妖達を放って置いても悪さをする相手がいないからのう。」


ガマ吉は桜燐丸に視線を移すと腕を組んでゆらゆらと上半身を前後に揺らして考え込む。


「ふむ‥‥確かに無理矢理な要求じゃ。これではその娘がずっと我等から隠れ凌いでいたのも頷ける。」


「では‥」


ガマ吉自身の口から出た言葉に光を見つけ、アダルバードはこのまま優の事を諦めさせようと特に慎重に言葉を選んでいるとガマ吉はその大きく裂けたような口から腹部に溜まったガスを抜いたような音を出すと口角を釣り上げた。


「それがなんだと言うんだ。小僧‥」


ガマ吉が顎をアダルバードの方角にしゃくらせると取り囲んでいた大蛙達が押し寄せて来た。

一匹は優の身体を羽交い締めにして引き離して押さえつけ、残りは桜燐丸とアダルバードを拘束しにかかる。


「やめろ馬鹿!アダルバードに手ぇ出すな!」


「優ちゃん!」


桜燐丸は自分に跳び掛かってくる大蛙達に刀を抜くと刃を振るう。

一閃の如く弧を描いて振られたそれは向かって来る大蛙達の身体をバラバラに切り刻み、刀を持つ手と逆の手を伸ばしてバラバラになった肉片を飛び越えて来る大蛙の喉元に爪のような指を突き立てて分厚い皮膚を突き抜けさせる。

そして自分から距離の出来てしまったアダルバードへ向かって来る大蛙に腕を鞭のようにしならせて刀を投げ、大蛙の額へと深く突き刺した。


「さくら!危ない!」


桜燐丸へ別の大蛙が舌を弾丸のように伸ばし、片腕を拘束する。

桜燐丸が残された自由な片腕で舌を引き裂くが他の大蛙達もこぞって四方から舌を伸ばし桜燐丸の四肢へと絡みつく。

桜燐丸が四肢を動かそうと力を込めて蛙の舌を引っ張るが彼を拘束する大蛙達も身体を踏ん張り大きなその身を震わせ応戦する。


「桜燐丸!」


優が叫ぶ時、大勢の大蛙達の内の一匹がアダルバードの背後から近寄ると口元に布を押し当てそのまま押し倒し彼の小さな身体にのし掛かる。


「ぁっ‥がはっ‥‥!」


ミシミシと肺が潰されるような重みに骨が軋んで悲鳴をあげアダルバードの肺から空気が漏れ出した時、口元の布に含まれる薬を大量に肺に入れてしまった為気絶してしまった。


桜燐丸が拘束された手を開くと蛙の額に刺したままの刀が一人でに振動し、勢いよく抜けると桜燐丸の手にその勢いのまま戻って来た。

そして四肢を拘束する舌を切り刻み、倒れるアダルバードの元に走るが桜燐丸の駆ける足下の畳が池のように勢いよく沈み、桜燐丸は溺れるように呑まれて沈んでいく。


最後に彼が見た景色はアダルバードがボロ雑巾のように扱われ、運ばれる姿であった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る