第16話蛙の花嫁《その3》


「おはよう、今日は一番に君に会いに来ようと思ってたんだ。」


「お、おう‥おはよう‥」


ニッコリと笑って歩み寄るアダルバード、その背後にはちゃっかり桜燐丸も付いて来ており優はぎこちなく笑う。


「‥えと、優一君‥最近何かあった?君の身に」


挨拶も早々に突然そう聞いてくる彼にギクリと冷や汗をかきながら「何かって‥何がだよ」と優が聞き返すとアダルバードは暫く沈黙を作る。


「そう‥だね、うーん‥いきなりすぎたよね。この話は置いといて朝ご飯食べた?」


「いや‥まだ‥。」


「僕もなんだ!一緒にパンでも買って食べない?今日はお金を持って来たんだ!」


胸を叩きながらエッヘンと踏ん反り返り、照れ臭そうに笑うアダルバードを見た優は腹の底から何かどす黒い物が這い回っているような感覚に陥った。


「いらねぇーよ。」


予想以上に冷たい声になってしまい内心驚いてしまったが表面には出さず、黙り込む。

本当は会いたかったのだ、今日で彼ともお別れだから‥だが嫉妬してしまった。


いいなぁ‥コイツは幸せそうで、と。


強そうな妖がいつも傍にいるじゃないか、守ってくれるんだろう?俺なんか、1人ぼっちで大勢の大蛙達に好き勝手に人生を滅茶苦茶にされてるんだ。


考えれば考える程腹の底から嫉妬の蛇が這い出て顔を覗かせる。

今の自分はすごく嫌な人間になってしまってるのは分かっているが、追い込まれて尚笑顔に振り舞える程自分は大人ではない。


「なあ、アダルバードこそ何かあったんじゃないのかよ。俺に聞いといて自分こそどうなんだ。」


(ヤバイ‥俺‥本当にクソだなっ‥アダルバードから離れよう‥でないと‥)


自分から顔を覗かせる醜い蛇が牙を立てて彼を傷付けてしまう。


「優一君‥」

「‥悪ぃ‥‥会えて嬉しかったのに、イライラしちまって‥じゃあな。」


お互いに気まずい空気になり、無駄にアダルバードに八つ当たりして‥これが最後のやり取りだと思うと自分自身を殴りたくなる。

優が立ち去ろうと踵を返すとアダルバードは優の服をガッチリ掴んで引き止めた。


「‥アダルバード、何すんだよ。離せよ!」

「離さない!!」


怒声を放った優に対してアダルバードも大声を上げた。そしてハッと我に帰ると顔を赤くしながら俯く。


「ちっ‥」


優が自分の服を引っ張るアダルバードから逃れようとしても必死でしがみ付いて来て離さない、無駄に服が伸びて終わるだけの結果となった。


「なんなんだよ‥」


「お金‥バス代を返しに来たんだ‥、あとね一緒に遊んで欲しくて‥。」


「いらねぇから気にすんなよ、それに今日はやめようぜ‥また今度誘ってくれよ」


今度なんてもうないけどな。

声を出さずに唇だけ動かすと空気だけが抜けていく音がした、先程まで腹中から外に出たがった蛇はもう身を潜ませたようで怒る気にならず投げやりな対応になる。


「駄目、僕今日を楽しみにしてたんだっ。一緒にパンを食べようよ」


大人しい性格に見えて意外と我を通すアダルバードに戸惑いつつも渋々優が了承すると彼は両手を上げて喜んだ。


「じゃあ僕買ってくるね!優一君の分まで払うから!」


「いや、お前杖ついたまま買えるのかよ。パン屋はトレーにトングでパンを取るんだぞ。‥俺が代わりに行くわ」


アダルバードがポシェットの口を広げると優はそこに手を突っ込み少量の硬貨を手に取るとパン屋まで走って行く、残されたアダルバードはホッと肩の力を抜きながらその背中を見送ると桜燐丸に向き直った。


「さくら、君がノートに書いていた蛙の字。何の事だか少しだけ分かったよ。」


桜燐丸はアダルバードの顔を見下ろしながら腕を組んで耳を立てる。


「僕は目に障害があるから、今だって車やお店‥風景だってロクに見えない。だけどそんな僕にもハッキリ見える物があるよね?」


「さくらに博物館で見た壺の女の人‥そして巻物の蛙さんや兎さん。‥だけど今日は優一君も見えるんだ。目の色から睫毛までね。前までは全く見えなかったのに」


それは優が彼方側になっているという事実、アダルバードは会った瞬間から気付いて優に何があったか心配をしていた。


「それに、今だからこそ分かるけど優一君も僕のように見れるね。目線が何回か君を見た。」


そして先程の態度でアダルバードは自分の最も心配する一つの回答に辿り着いた。


彼は今正に妖のトラブルに巻き込まれて窮地だという事に。


「‥優一君‥」


「お待たせ!アダルバード!」


優はパン屋から小さな紙袋を片手に抱えながら駆け戻って来る。


「ほれ、チョコクロワッサンとサンドイッチ。どっちでも好きなの取れよ、残った方を俺が食うから。」


「じゃあチョコのパン!」


優は紙袋からチョコクロワッサンを出すとアダルバードに手渡し、自身もサンドイッチを見て小さく一口噛り付いた。

アダルバードもチョコクロワッサンを食べてみる、カリカリの薄皮の層にバターのこんがり焼けた匂いが食欲を唆り大きく二口目を食べると甘いチョコレートがトロリと舌に絡まる。


「美味しい~!」


「‥‥な、上手いな。」


優は歩いて道路の端にある煉瓦造り花壇の元に行き、軽く縁に腰を掛けると空を見上げる。


「優一君‥あのね、大事な話をしてもいい?」


「‥‥おう。」


「蛙‥‥君に何か関係ある?」


アダルバードの発した言葉に優は目を見開く。どうしてアダルバードが知っているのか、いつ分かったのか、知ってどうするのか、疑問が脳内に浮かんでは沈む事を繰り返し言葉が出なかった。


「なんで‥知ってる。」


「さくら‥僕の特別な友達から教えてもらったんだ。本当の名前は桜燐丸‥」


「桜燐丸‥、博物館で確かアダルバードが夢中になってた刀もその名前だったよな。刀は一本しかないから覚えてたんだ。‥‥まさか‥」


優はアダルバードとそして桜燐丸に数度視線を向けると黙り込んだ。


「でも詳しくは分からない。蛙の事も‥君の事も‥だから色々、僕達がお互いに隠しあってた事を話そうよ。」


優はサンドイッチを再び頬張るとアダルバードの手首を掴み自分の乳房に押し当てる。


「‥何してるの?優一君。」


「‥これは俺の胸板だ。本当は硬くて真っ平らな胸が欲しかった、もっと低い声が欲しかった‥」


「何言ってるの、優一君。」


優の言う意味が分からず自身の手が押し付けられている胸部に視線を落とす。

アダルバードの手には自分の胸板のような肉の薄い男の胸ではなくほんの少し、胸板に取って付けたような小さく柔らかな物が手に当たり、トクントクンと生きている鼓動が伝わる。


「そしたら男に近づけるだろ?」


「優一‥君‥いや、君は女の子なの?あ、でも確かに女の子って言われれば分かるよ!可愛いもん!君は!」


「いや、お前のが可愛いわ。っていうかお前ブレねぇな‥性別だけ一応女だけどお前‥乳触りながらあっけらかんと‥」


優は呆れた顔をしてアダルバードの手を自由にすると彼の手は彼女の胸部から離れる。


「俺の名前‥本名は小林‥優、俺もお前の言う特別な奴らを見れるよ。友達なんて思った事ねーけど、その桜燐丸って奴の言う通り俺には切っても切れぬ悪縁があるんだよ‥御先祖様の代から続く蛙の妖との悪縁が。」


優はサンドイッチを食べ切り手をズボンに擦り付けて苦笑を浮かべる。

その様子にアダルバードは深刻そうに前に屈んで聞き入った。

そして優はゆっくり物語を言い聞かせるように今までの出来事を話す。信じなくても、自分と友達である事を辞められてもこれから起こる自分の運命に気持ちがいっぱいいっぱいで思考が回らない。





「優ちゃんが、そんな無理矢理な言い分で結婚させられるなんて酷い‥。約束のお供物と優ちゃんを同じ様に見て勘定を測るようなやり方は汚ないよ‥その蛙さん達とは友達にはなれそうにないね。」


「だろ‥‥?だから、今日会えて良かった。最後の時間を惜しもうぜ、俺もいじけるの辞めるからまた遊び回ろう、アダルバード」


アダルバードは黙り込むと桜燐丸に視線を飛ばす、桜燐丸からは無機質な仮面越しに視線が帰ってきて目線が交差した。


「そう、だね‥じゃあ夕方まで一緒に遊ぼうか!」


アダルバードが優と手を繋ぐと自身の残りのパンを平らげて街を探索し始める。

今まで行った事のない道、新たに発見した広い道幅にポッカリ穴が開いたように出来ている公園、沢山の場所を歩きそしてたわいもない話をして時間が過ぎて行く。


優は儚い夢のような楽しい最後の一時を名一杯楽しんだ、そして太陽が東へ差し掛かる茜色の時間。とうとう優にタイムリミットが迫ってきた。

街探索で見つけた公園にあるカラフルな像の形をした滑り台の下で2人でしゃがんで木の棒を砂の山に突き立ててお互いの手で山を削っている時、アダルバードは件の話題を口にした。


「おおよそ‥だけどそろそろ‥かな。優ちゃん」


「ああ。バイバイしようか、そろそろ」


「ううん、僕はまだ帰らないよ。まだまだ君といる。」


小さな両手で砂の山を削る手を止める。今優とアダルバードがしている遊びは山崩しとも言われる日本の遊びで砂で作った山に木の枝を山頂辺りに刺してから其々が手で山を削り棒を倒した方が負けと言うルール。沢山の違うルールがあるが今回は優の地元で主流であったルールを活用して遊んでいた。


「アダルバード‥‥?」


アダルバードは目を伏せ、そして優の手を掴んで砂山に刺した木の枝ごと山を崩す。


「おい!卑怯だぞ!俺の負けになるだろ!今のは無しだ無し!」


「そう、卑怯なんだ。無しになるべきなんだ。」


「‥‥はぁ??」


「御先祖様の優一さん、彼は秩序を作り人間に害を加えないようにしろって約束したでしょ。言い方を変えると妖から村を守れって言い方も無理矢理ではないと思うんだ。でも村自体がなくなり小林家も都会へ出た空白の期間。蛙達が保護すべき村自体が消え、守るものもない。ある意味で約束が破棄されてもいいと思う。」


「お、おい‥‥アダルバード‥」


「そして、優一さんの後の代‥優ちゃんの何代か前の無理矢理な要求を聞かされた小林家の人が手を打たずにそのまま生涯を終えたのかな。‥‥自分の孫や、子孫がこれからどんな目に合うのか知っているのに行動しなかった?そんな事ないと思うんだ。今までの空白の期間を許してもらえるようお供えを増やしたり蛙達の元に出向いた‥かもしれない。」


アダルバードは倒れた木の枝を持つと崩れて山の形をなさない砂をかき混ぜるように動かし続ける。


「蛙達は卑怯な要求をして、君が手にはいるもんだから嬉しいだろうね。でも卑怯な手口に正直に受ける必要もきっとないよ。」


「何考えてるんだよ‥アダルバード‥」


アダルバードの持っている木の枝が折れた、乾いた音と共に真っ二つに折れたそれを見つめて地面に置くとアダルバードが桜燐丸を見上げる。


「さくら、君の力を借りると思うんだ‥もしかしたら乱暴な事に。聞いてくれるかい?」


桜燐丸は腰の刀の鞘を持ち鍔を親指で持ち上げて刀身をアダルバードに見せる。

アダルバードはホッとすると優の目を見つめる。


「君を一人で行かせる訳ないじゃないか。」


アダルバードの目で見る事が出来る優の瞳は驚きと困惑が浮かび、震えていて薄っすらと映る彼方側ではない風景が約束の時を告げていた。



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