第15話 蛙の花嫁 その2


ーー花嫁はどこじゃ。

ーーーどこに隠れておるか。


(ああ、またあいつらが探しに来たのか。)


残暑がまだ残る夏の終わり‥蜩の鳴き声が遠巻きにか細く聞こえ、終わりと言っても服が体にぺったりと汗ばんで着いてしまう時期。

そんな季節の終わり目に古い木造住宅の一室で優が眠っていると嗄れた声が風に乗って耳に入って来た。

折った座布団を枕に眠っていた優は重い身体を気怠そうに起こすと頭をボリボリとかきながら立ち上がり壁に掛けてある時計の針を見る。

時計の短針は三を示しており窓の外は真っ暗だった。


(丑三つ刻か‥どっかに隠れねぇとな‥前は押入れにしまってある布団の間に隠れたら結構危なかったっけ‥‥爺ちゃんの部屋にでも隠れるか。)


長らく小林家に付き纏う大蛙の妖達、妖力の強い先祖の小林優一が村の子供を守る為に一匹の大蛙に酒を供え続けるから秩序を作れと約束をした事から始まる。優一の代から子孫へ枝葉のような家系図を下る事幾代目か‥供えを怠った者が出た所為で怒った大蛙達は小林家に女の赤ん坊が出来たら嫁に貰い受けると滅茶苦茶な事を言い出した、そんな代々からの尻拭いを果たせる条件が揃っている優が今夜も花嫁を探しに来る奴等から隠れてやり過ごさねばならなくなったのだ。


何度も隠れてやり過ごす夜を迎える内に分かった事がある。大蛙達が来るのは大体丑三つ刻、奴等は頭が良くないのか毎回隠れる場所を変えると深く捜索せず諦めて帰って行く、そして曜日関係なく探しに来るが例え泥のようにグッスリと眠っていても奴等が近づいて来ると自然と目が覚める、目が覚めるのは先祖から継いだ妖力のほんのカスのような物が身の危険に反応しているからだと優は思っていた。


そして足音を忍ばせて自室から廊下を通り祖父の部屋の前に来て襖を開けようと手を伸ばすと中から祖父の声が聞こえて来る。

ゆっくり開けてから六畳程の部屋の中央に座る祖父の傍に歩み寄ると仏壇に向かって祖父は手を合わせていた。


「どうか‥あの子を御守り下さいますよう‥あんまりではありませんか‥‥代々私達全員が背負うべき物をあんな小さな孫娘にしわ寄せがくるなんて‥‥御先祖様‥‥」


「爺ちゃん‥‥」


細い枯れ枝の様な腕で、しわくちゃの手を擦り合わせながら背中を丸めて涙を流す祖父の姿に居た堪れなくなり優が背中にそっと手を置くと祖父は優の置いた手を取り自信の両手で挟むように重ねた。


その手は氷のように冷たくそして青白かった。


「優‥‥‥」


祖父が言葉を紡ぐと優は背中から何かに引っ張られるような感覚がした。

引力の縄が身体に雁字搦めに巻き付き引っ張られるような強い力に優は抗えず祖父と引き離される。

室内から何もない闇へと引き摺られ踠いても祖父の元に戻る事も出来ず、祖父の部屋は闇が広がる空間に飲み込まれて行く。


「嫌だ!爺ちゃんっ!待ってよぉぉぉ!」


手を伸ばしても虚しく空を掴むだけしか出来ず目から涙が止め処なく溢れる。



ーー優、逃げなさい。



「はっ‥‥‥!」


ベッドから勢い良く起き上がる。


(爺ちゃん‥‥)


慌しい心臓を握るように寝巻きの胸部を掴むと冷や汗で背中がぐっしょりと濡れていた。

優が辺りを見渡すと周りの内装は夢の景色と全く違っており、ベッドから降りて部屋の窓を開けると夜風が熱くなった身体を冷やし、そこから見える景色を改めて実感した。


(そうだ‥俺、もう日本に住んでないんだった‥。爺ちゃんももう生きてないし、懐かしい夢だったんだ。)


ふと気付くと片手でガッチリと何かを握り締めており確認するとボロボロに古びた赤い球が1つ手の平にあった。

燻んだ赤はお世辞にも綺麗とは言えず球には糸でも通すような真っ直ぐな穴が開けられている、不思議に思いながら掲げるようにそれを見ていると何かの視線を感じ観察を止めて辺りを見渡した。


「ひっひひ‥」


自室に置いてある机に大蛙が座ってニタニタと卑しい笑みを浮かべていた。


「!?‥‥な、んで‥いつから‥」


「お前さんがグッスリと眠っている時からかのぅ‥うなされていたが何をそう怯えておるのやら‥?」


分かっててそう尋ねてくる大蛙に趣味の悪い性根の腐った奴だという腹立たしい思いと何をされるか分からない恐れが同時に浮かんでそして混同し何も喉を通って発せられなかった。


「夕方‥お前を迎えに行く、もうチョロチョロと隠れる事なんて出来ぬぞ花嫁。ひっひひ‥‥お前さんに目印を書いた‥洗っても消える事はなく、見えぬ者には何も見えない。‥準備を済ませておくが良い‥」


大蛙は最後に腹から空気を漏らしたかのような汚らしい音を口から出すと壁に溶け込むように消えていった。

そしてしばらく固まっていた優が我に返り、目印を探して寝巻きを脱いで体を見渡すと確かにあった。まだ発達はそこまでしておらず緩やかな曲線を描くように出来た二つの小さな山‥乳房の心臓に近い位置に墨と筆で書かれたような漢字で蛙と書かれてある。


「気持ち悪いんだよクソ蛙!!パジャマを脱がして好き勝手しやがって!!クソ!クソ!死ね!死んじまえ!」


優は思わず壁を殴りつける、だがちっとも気が収まらずジンジンと殴った拳の方が痛んだ。


「‥もう、嫌だ‥‥‥」


自分の両肩を抱くように腕を交差させて腕を掴むと膝から下の力が抜けたように座り込む。


小林家に生まれた女児、小林優に残された時間はあと僅かだった。








そして暫く、優が抜け殻のようにベッドに寝転び呆けていると朝日もすっかり登り窓から明るい陽射しが差し込む。

起き上がり部屋から出てもまだ家族は眠っているようでシン‥と静かで生活音がなかった。

また部屋に戻りモゾモゾと真っ赤なシャツに黒のジャンパーを羽織ると脚をジーパンに片足ずつ通して着替えを済ませた。

食慾もなく何も食べる気になれない優はそのまま家から出て行こうとしてふと着替えの時に机に置いた球が脳裏を過ぎった。


目を覚ますといつの間にか握っていた赤い球、それ握った手は祖父が触れた側の手でありとても意味がないように思えない。

優は赤い球を手に取りジャンパーのポケットに突っ込んで家から出て行った。


まだ早朝だが外は意外に人は多く、家の傍のバス停を通り過ぎて店が立ち並ぶ通りを散歩してみるともう開店の準備をしている所がチラホラとあった。

雑貨屋の店のガラス扉にはClosedの看板を立てたまま外と出入りして仕入れの車から荷を運ぶ、そしてパン屋からはふんわりと小麦粉の芳ばしい匂いが漂ってきてもう幾つものパンの準備をしている事が良くわかる。


(アダルバード‥最後に会いたいな‥)


可愛らしい女の子のような顔立ちをした妖を連れた少年でとても純粋で優しい友達、まだお互いの本当の秘密を話し合ってはいないがきっと気が合うに違いないと優は確信していた。

そして優は桜燐丸の事を思い浮かべた。


(あの全身鎧の奴‥蛙共を切ってくれないかな‥‥)


見えないフリをして彼を観察するとどうやらアダルバードに今の所は害はないようだった。

どういう縁で共にいるのかは分からないが助けてはくれないだろうか、そう思ってしまう。


「助けてって‥言ったら‥助けてくれるかな‥」


ーー御先祖様が沼の妖とした約束を守らなかった人間が後にいた為に怒った妖は利子を付けて無茶な要求をした。


ふと祖父が昔に話してくれた昔話を思い浮かべると首を振る。


「あの妖が動く程の取引きなんて出来ないし、それが目的でアダルバードに近づいたんじゃ‥ないんだ‥」


優の目にはまたじんわりと膜が出来、袖で目を擦るとポケットに手を入れて赤い球を触りながら店の立ち並ぶ通りにある花壇に腰をかけてボンヤリ空を眺めているとカツカツと杖が地面を軽快に跳ねる音が聞こえた。

その音の方向を振り向くと、確かにそこには今一番会いたかった人物が歩いて来ていたのだった。


「う、そ‥」


目が全く見えない、純粋で優しい友達。


「アダルバード‥?」


「あれ?その声は優一君?」


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