第14話 蛙の花嫁 その1
「さくら!会いたかったよ、すっごく君に会いたかったんだ!」
2人が出会った日から桜燐丸とアダルバードは毎日共に過ごしていた。その日々はアダルバードに新たな刺激、楽しみを与え、そして彼の中で今まで枯れていた何かを芽吹かせるキッカケすらなった。
目先に広がる濃霧の世界には胸の奥底の物を動かす物なんて何もないと思っていた、だがその向こう側の世界には確かに美しい物がある。
きっと周りの人間なら気にもかけないような、道端の野花のような発見だがアダルバードの瞼の裏には始めて見た真っ赤な夕日が焼き付いていてその日からアダルバードは外の世界に心奪われていた。
今日もそれは変わらず、窓から桜燐丸がアダルバードの自室に入った時にもう既にアダルバードは杖を持ち、肩から小さなポシェットを下げている状態で待ち構えている。
「外に連れてってさくら!」
アダルバードは来たばかりの桜燐丸の手を掴み自分の後ろ身頃に当てるとワクワクと瞳を輝かせながら振り返る、だが桜燐丸はアダルバードを抱えようともせず手を離すと部屋の中央に胡座をかいて座る。
「さくら?‥今日は駄目なの?」
アダルバードに対して友好的と言う訳でもない桜燐丸、だが共に夕日を見たり壺の女からアダルバードを守ったりとゆっくりと2人の距離は近づいていると思っていたが今日は冷たい印象が見受けられた。
そっとアダルバードが歩み寄り桜燐丸の顔を覗き込むが表情は分からず着けている仮面の見た目通り鬼のように激情を抱いてるように感じアダルバードが桜燐丸の双肩に手を置く。
「さーくら」
アダルバードはお願いをするように自分の両方の拳を握り桜燐丸の肩を叩きながら呼ぶ、小さな拳で鎧の上から肩を叩いてもヒタヒタペタペタとくぐもった音が出るだけだった。
肩を叩くのは止め、アダルバードが桜燐丸の髪を触りながら櫛で梳かす。
「もしかして、優一君の事が気に入らない?」
桜燐丸は首を振る。
「僕と優一君を近づけさせたくない?」
桜燐丸はアダルバードに振り返り己を見つめるその空のような瞳を見つめ返した。
「なんで?ここに書いて」
アダルバードは肯定と受け取り困ったような表情を浮かべながら万年筆とノートを手渡す、それはいつも2人がする唯一の意思交換の手段だった。
蛙
そうノートに書かれた漢字を見てアダルバードは辞書を持ち意味を調べる。
「‥かえ、る?どう言う事‥優一君と何の関係があるの‥?」
桜燐丸は万年筆を持つ手を止めると視線を落とす、桜燐丸にも詳しい事は分からないようだった。
「でもさくら、優一君にお金借りちゃったから返さないと。ほら博物館に行く時のバス代。」
アダルバードが桜燐丸の前に回るとポシェットの中を見せるように口を開いた、数枚の紙幣と銀貨と金貨が無造作に入れられており首を傾げる桜燐丸にニッコリとアダルバードは笑う。
「僕が今よりもっと背が低くて小さい時、お小遣いを貰ってたらしいんだ。それをアニータが貯金箱に入れて貯めてくれてたみたい。」
「優一君に会いたい、借りたお金を返して‥‥僕と遊んでくれるかな?出来たら少しだけ遊んで、それから‥さくらと歩き食いをしてちょっとだけ悪い子デビューだっ。ふふふっ」
桜燐丸はアダルバードの頬を触る、指先まで爪のように鋭い装飾がチクチクとアダルバードの白く柔らかな肌に食い込みアダルバードは触れられている頬の側の瞳を細めた。
アダルバードは世界を美しい物と信じて疑わず、夕日の一件で彼の心が色付き始めたと言っていい。
普段なら何とも思わないが最近出会った子供にアッサリと尻尾を振り、開花されていく姿を見るのが桜燐丸は面白くなかった。
桜燐丸は触れた頬に愛撫するようにゆっくりと親指を動かしながら小さな輪郭を包み爪のような尖った指を動かして耳をなぞるように撫で上げると耳たぶをクニクニと指で転がしもて遊ぶ。
「つっ‥冷たいよっ、指がっ」
耳を触った後に頸にまで這わされた手にゾクゾクと感じた事のない感覚がしてアダルバードは逃げ出したくなり自身の首を動かし触られるのを止めようとするが桜燐丸の手が後を追い、逃そうとしなかった。
そして次の瞬間、アダルバードの頸に力を込めて尖った指先を柔肌に突き立てた。
勿論本気で力を掛けてはいない、そんな事をしたら彼の首を絞め折ってしまう事になる。
だがアダルバードの細い首に爪先がツプリと簡単に埋もれて白かった肌の皮下が段々赤みを帯びていき、爪先を引き抜くと内に流れる物がじんわりと溢れてきた。
「っ‥‥‥‥!!」
アダルバードは頸を押さえて背中を丸めてしゃがみ込むと声を抑えながら肩を震わせた。押さえた指の間から少しずつ溢れる液体はアダルバードの輪郭を伝い顎からポツリポツリと絨毯へ落ちて模様を作る。
桜燐丸はアダルバードと触れ合う時から度々考えていた、少し指先に力を込めて触れるだけでアダルバードの頬は裂け、熟れた果実のように皮は剥れ、中から美しい葡萄酒のような色をした物を沢山見られるであろうと。
「さくら‥‥僕と過ごすの、飽きた?確かにぼくの事を殺してもいいと言ったけど‥今が君の望む瞬間?」
桜燐丸はアダルバードの顎に指先を着け、橋のように流れる液を自分の指先にまで伝せるとそれを眺めた。
「でも、お金を返さなきゃ。それから僕は少し悪い子になるんだ、さくらと美味しいパンを歩き食いをする。まだまだやりたい事が山積みでね、どうせなら僕が満足して未練がなくなった時にして欲しい。」
「だって僕らの記念日になるじゃないか。」
ハンカチをポケットから出し、指圧で頸を止血しながら‥おねだりでもしだすような年相応の表情を浮かべて桜燐丸を見つめるアダルバード。
アダルバードもまた幼いながらにネジを何処かに落として来たように感じ、桜燐丸は愉快そうに肩を揺らした。
そして首を押さえながらアダルバードは片手で引き出しから救急箱を出し、大きなガーゼとコットンを乱雑に取り出すと止血剤と書かれたチューブの蓋を器用に片手で回して取って中身をコットンに絞ると押さえつけるハンカチをサッと除けて薬付きのガーゼとコットンを傷に当てがい押さえたままテーピングを施した。
「アニータにもし見つかったら‥そうだ、転んだって言おう。‥僕も段々それらしい嘘が口から出るようになったもんだね。」
そして肩まで伸びた髪を撫で、傷が隠れるか手探りで確認しながら桜燐丸に向き直ると普段のアダルバードに戻ったように笑いかける。
「僕を大事にしてさくら、思い出を沢山作ろうよ。今後の為に」
桜燐丸は満たされた様な感覚になるとようやく重い腰を上げ、アダルバードを外に連れ出しにかかる、何時もと違いこの時ばかりは壊れ物を扱うように丁寧に彼を抱えながら窓辺から跳び立ち例の子供に会いに行く。
いつか来る2人の記念の日の為に思い出を沢山作ろう‥何の為かなんて分からないがアダルバードを斬るのは沢山のお膳立てをしてからでもいい‥そう桜燐丸は思ったのだった。
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