記念日には青い薔薇を(3/3)

 ……ところで、お嬢ちゃん、本当にもうお茶を召し上がらない? お菓子も――いいえ、これはいけないのだったわね。年のせいにしてはいけないのだけれど、忘れっぽくなる、こればっかりは本当に……あら、召し上がる? あんまりいい香りがするから? まあ、嬉しいことを言って下さるのね。ええ、もちろん。どうぞどうぞ。遠慮なく召し上がって。一切れでよろしい? それとも二切れ? ええ、お気に召したらいくらでも召し上がって構わないのよ。どう? あなたの頬より柔らかでしょう。


 ああ、そろそろおやつの時間だから、お腹が空いたのね。あら、それじゃ大分時間が経ったけれど、お母様はご心配なさっていない? それとも赤ちゃんのお世話に忙しくて、あなたがいなくなってもお気づきにならないかしら。いえいえ、そんなお顔なさらないで。お嬢ちゃんを悲しませるつもりて言ったんじゃないのよ。けれど、赤ちゃんは何かと手がかかるでしょう。だから、一人で何でもできるお嬢ちゃんとでは、つい扱いに差が出てしまうものかしらと思っただけなの。ええ、私は子供たちを平等に扱うけれど、人間と薔薇では、やっぱり違うでしょうからね。


 この温室の薔薇? 数えてご覧なさい。そう、全部で十二株ね。ああ、それは一番初めに植えた株なの。扱いを差別したから、特別大きくなったわけではないのよ。それから何年かおいて二株目、三株目……いいえ、差別なんてできるものですか。みんな私の子供たちですものね。それぞれに美しい青を咲かせて、すくすくと大きく育って……ああ、お気づきになった? あそこにあるのは十三株目、まだ苗のまま鉢に置いてあるの。


 ご存じ? 一般的に、薔薇は差し木で増やすのだけれど、ここの苗は私が種から育てた――実生苗というのよ。そう、鉢にそうっと種をまいて、ちょうどお腹で赤ちゃんを育てるように、大切に、大切に、ね。


 もちろん、相応の時間がかかるわ。薔薇の種を見たことがある? 繊細で小さな種よ。花? いいえ、苗を充実させるために、ついた蕾はすべて摘んでいるわ。だからまだこの苗の花がどんな花を咲かせるのか、私も見たことはないのよ。


 いいえ、青い薔薇の種なら、青い花が咲くというわけじゃないのよ。薔薇は差し木で増やすと言ったでしょう? 差し木で増やせば、増えた薔薇は取った木と同じ花を咲かせるわ。だって、元は同じ枝ですものね。けれど、種となるとわけが違うの。園芸家の話を覚えている? いま当たり前に見かける薔薇は、彼らの手で創り出された品種。一世代きりの花を咲かせて終わり。種はついても、親と同じ花は咲かせないものなの。たいていは先祖返りしてしまって、野ばらのような花――苺の花を見たことがある? ああいう花よ――を咲かせるの。


 もちろん、それは悪いことじゃあないわ。野ばらも可憐で美しい花。けれど――あなた、どうして薔薇がこんなにも人の心を掴むのだと思う? 私? 私はね――


 アフロディテの血に染まった薔薇、その赤い薔薇以外にも、園芸家たちは労を惜しまず、さまざまな薔薇を創りだしたわ。私たちが見ている薔薇は、そのすべてが彼らによって創り出されたものといっても過言じゃないくらい。だから薔薇は自然のものではなく、人間の芸術品――そう言えるんじゃないかしら。だからこそ、薔薇は私たちの心を魅了して止まないのだと思うの。この花を咲かせるのは、大勢の人々の情熱。人の手なしには、薔薇が輝くことはないのだから。


 だから、そう――この青い薔薇はその最たる象徴ね。私が咲かせた、この青い薔薇は……いいえ、彼がこの花を見ることはなかったの。障害を越えた先にあるのは茨の道、そう言ったでしょう。


 死産してしまった私に、彼はもう一度子供をつくろうと言ったわ。悲しみの沼に沈んでいた私は、彼の言葉にすがった。あれから三年経っていたの。だから今度こそ――私は誓ったわ。今度こそ、無事に赤ちゃんを産んであげよう。この腕に抱き上げ、お乳を飲ませ、私の宝として大切に育てよう。そう思ったの。けれど――。


 次の子も、死産だった。産まれたその子を見たとき、私は三年前に戻ってしまったのかと思ったわ。それほど、同じ光景だったのよ。首にきつく巻きついたへその緒、肌の青い赤ん坊……二人続けて子供を失った私は、半狂乱になって病院を責めた。ええ、それは初めての子と同じ病院だったの。


 病院が悪いに違いないわ――そう決めた私たちは、別の大きな病院で次の赤ちゃんを産むことにしたの。陣痛が来て、三度目の正直、今度こそ大丈夫、そう願いながら――けれどやはり生まれた子は……前の二人の時と同じ、青い子供。私は思わず悲鳴を上げたわ。叫んで、気を失って――再び気がついたとき、彼に向かって叫んだの。


 おかしいわ、どうして私の赤ちゃんは生きて産まれてきてくれないの? 本当なら、私はいまごろ三人の子供に囲まれているはずよ。それが、小さな骨壺が増えていくだけなの。ねえ、どうしてこんなことが――言いながら、私ははっと気がついたのよ。


 奥様よ。身を引いた、彼の奥様。彼女が私に、いいえ、生まれてくる子供に呪いをかけたに違いないわ。大人しく身を引くふりをして、影から私が悲しむのを見て笑っているんだわ、と。


 そんなはずはない、彼は一瞬青ざめたようだったけれど、すぐに平静に戻って言った。あいつにそんなことができるはずがない。けれど、私は言った。奥様をここへ連れてきて、謝罪をさせて、私たちにかけた呪いを解いて!


 ……あら、お嬢ちゃんどうしたの? 少し、眠い? ああ、そうよね、お昼寝をしていないんだもの、眠くなるはずよ。ええ、もちろん、日が暮れる前には起こしてあげましょう。でも……こんなことを聞いてはいけないかもしれないけれど……お嬢ちゃんは、本当にお母様の元へ帰りたいと思っているのかしら?


 はい、なあに? まあ、ろれつも回らないほどに眠くなってしまったのね。


 ねえ、でもあなた、考えてもご覧なさいよ。お母様には赤ちゃんがいらっしゃるのでしょう? なら、お嬢ちゃんがいなくなっても、きっとそれほどお寂しくはないでしょうよ。ええ、そうよ。そう言っているの。あなた、もしかして私の子供になりはしないかしらって、そうお誘いしてるのよ。だって私なら、あなたのお母様のように他の子と差別なんかすることなく、平等にお世話してあげられる自信があるのだもの。


 ……それでも帰りたいとおっしゃるの? まあ、仕方がないわね。けれど、秘密のお話を最後まで聞いてからにしないこと? そうしたらあなたの気も変わるかもしれないことよ。ええ、彼の奥様のこと。その呪いのこと。


 彼と私の関係に気づきながらも、どうすることもできなかった奥様は思い詰めて、身を引いて下さった、彼は私にそう言ったのよ。けれど、実際はそうではなかった。彼は隠していたのよ、奥様が――亡くなってしまっていたこと。奥様は身を引いたのではなく、自殺なさっていたのよ。


 賢いお嬢ちゃんなら、もうわかったでしょう? 奥様は私たちを憎んでらして、自分の命と引き換えに呪いをかけたのだわ。大人しい人ほど、胸の中に溜め込んだ恨みは大きなものよ。え、なあに? どうしてそんなことがわかるのか、ですって? ええ、それはわかりますとも、それもこれ以上ないというほどはっきりと。なぜって、奥様は首をきつくくくって自殺をなさったのだもの。へその緒で首をくくられた赤ちゃんと同じに、鴨居にかけた、太いロープで……。


 ……それから? それから私がどうして生きてきたか、そんなことをお聞きになるの? 酷いことをお聞きになるのね。


 ええ、奥様の呪いの通り、私はそのあとも死産を続けた。そんなにも子供が欲しかったのか、それともそれすら奥様の呪いだったのか、そんなことは考えても無為なことだわ。私は妊娠しては死産を繰り返し――そうするうちに彼は薄気味悪がって、どこかへ逃げていってしまったわ。


 でも、それでも、私はどうしても生きた子供を産みたかった。だから、私は歓楽街をさまよい、行きずりの男性の種をもらったわ。けれど、ねえ、生きた親から種をもらって、どうして赤ちゃんは死んでしまうのかしら。まるで親と同じ花を咲かせない薔薇のように、どうして青く産まれるのかしら。


 死産が続く死に腹の女――私はとうとう病院からも気味悪がられて、けれど子供を諦めきれず、それからは自宅で一人、青い子供を産み続けたわ。遺体はその度に土へ還して――。


 そうよ、それがこの温室の土。その上にこの薔薇の苗を植えて……その数は――十と二人。死んだ子供たちと同じ数育った、これがこの世で一番青い薔薇よ。


 まあいやだわ、何をおっしゃるの。よくよく見てご覧なさい。あなたのお父様が贈った薔薇は、こんなに青い色をしていた? 少しの赤も混じらない、冴えた青で咲いていた? 不可能だと言われた園芸家の夢、それを他の花の遺伝子を組み入れることによって成功させ、奇跡の薔薇と呼んだって、そんなことには何の意味もないのよ。薔薇は薔薇。ほかのどの花よりも美しい、人間の手で創り出される芸術品なのだから。


 だから、あなたのお父様が贈った青い薔薇は、私に言わせれば青紫色。この秋晴れの空と同じ青には遠く、届くことのない色よ。


 この薔薇たちが奇跡の薔薇でないのなら、それならばどうしてここの薔薇はこんなに青いのか、ですって? ふふふ、そうよ、いままでのお話は秘密でも何でもないわ。これからするお話こそ、秘密のお話。薔薇の下でするにふさわしいお話よ。


 いいこと、アフロディテの血が薔薇の花を赤く染めたように、この青い薔薇も、血で染まったことにはかわりがないのよ。……ええ、やっとお嬢ちゃんにもわかったみたいね。だから最初から言っているでしょう。この薔薇は私の子供たちなのよ、と。これは私の死んだ青い子供たちの血で染まった、青い色の薔薇なのよ。


 ふふふ、お嬢ちゃんったらおかしいわね。ほら、いまからそう青ざめなくたっていいのよ。ええ、ええ、あなたも私の子供になるのね。十三本目の薔薇の苗に、青い花を咲かせる子供に。


 そうよ。私の子供は死に続けて、薔薇となって生まれ変わった。ねえ、あなた、こんなに青い色をしているっていうのに、この子たちは生きているのよ。素晴らしいとは思わない? ここにいるのは、生きている私の子供たちなのよ。私の子供は生きているの。


 でも――ええ、そうなの、こんなにおばあさんになってしまっては、新しく赤ちゃんを産むことなんてできないでしょう。だから私、ここで待つことにしたの。私の子になるのにふさわしい、ふらふらと迷い込んでくる子供をね。ほら、お嬢ちゃんのような可愛い子供を待ってた、とも言ったでしょう。


 ええ、そうよ。あなたも私の子供になるのなら、もっと青くなってもらわないとならないのだけれど……大丈夫よ、苦しくなんてないわ、ほら、お菓子に入った眠り薬でとっても眠たくなっているでしょう。ちゃんと私のお話を聞いていた? 力のない女や老人が使うのは、昔から毒と相場は決まって――あら、もう眠ってしまったのね。残念だわ。それじゃ――ね。お休みなさい、私の赤ちゃん。青い、青い、夢を見て。


【記念日には青い薔薇を――完】

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